お仕事とその意識 #呑みながら書きました
どうも、呑み書きですね、おはようございます!
昨晩間に合わなかったので、今朝書いています。
マリナさん、いつもありがとうございます!
新しいお仕事、がんばってね!
朝だから、飲むものは、とりあえず紅茶片手にかな!
kindle unlimitedというAmazonのサービスがありますね。あちらの定額読み放題サービスで、いろいろ本を読んでいるのですが、さまざまなジャンルの本を流し読みしていくなかで、ビジネス書も「おもろいな~」と思って読んでいます。
私はnoteで2020年に書籍化に恵まれ、本を出すことができたのですが「商業で小説を書く」ということと、自分の意識の調整を、合わせるのになかなか苦労したという思いがあります(いまもたぶん、ちょい苦労している)
たぶん「本を出す=自己実現」の一環、という風にとらえる意識が強かった。そしてそれは、間違いでもなんでもないのですが、商業ベースで「本を出す」ということは、あくまで「自分は商品を提案する側」、そして出版社のほうは「取引先」なのだと実感し、いろいろ腑に落ちた経験があります。
書籍化でも賞でも、本を出したあと、遅かれ早かれ、編集さんに企画を提案する、ということになると思います。
「企画を出す」ということは、ビジネスで言えば「この商品、いろいろ性能などいいですし、みんなの役に立つものですから、一緒に売りましょう! そして一緒にたくさん利益を出しましょう!」と提案するということで。
そのために「企画書」を書くし、その企画書は(あまり企画OK出たことのない私が言うのは片腹痛くもあるのですが)要するに、出版社に対する「プレゼン資料」みたいなものなのですよね。漫画の人だったら、ネーム資料とかなのかな。
その「プレゼン資料」の出来で持って、自分の作品にお金を何十万、何百万とかけてもらうことを許していただくんですね。商業で本を出すときは、出版社がその必要額を著者の代わりに持つことになる。出資者(決裁者)を説得できるだけの「プレゼン資料」が要るってえことです。
――ということが、本を出してからもしばらくわかっていなくて…
わかってきたのは、クリエイター仲間、作家さんのお知り合いが増えてからのことでした。
私は、大学生のとき、一人で起業して働いていた叔父に「会社員になりたいけど、事務も営業もあんまりやりたくない」とのたまって「あんた馬鹿じゃないの」と言われたことがあるんですけど、一人で商業で書いていくというのも、事務や営業までも自分でやって回していくみたいなことなんですよね!
プロダクトをつくるということだけが仕事なんじゃなくて、いい商品(小説)を作り、それを営業(持ち込んだり、賞に出したり、編集さんに企画書としてプレゼンしたり)をして、それから事務作業(確定申告などもね!)もやって、と。
もう一回言うけど、それがわかってなかったんだーッ!
商業で「本を出す」ということは、ビジネスのルールにある程度組み込まれるということで、それに違和感を感じるのなら、私は(自分もよくやっていますが)個人で同人誌を出していく、というやりかたも、とっても素敵なことだなあと思います。
個人同人誌つくるの、めっちゃ楽しいし、私は商業が上で個人同人誌が下とは思っていないし。でも、それはやっぱり、商業経験が1回あったから、見えた景色かもしれないですね。
私は「人にお金出してもらって、本を作るのはちょっと怖い」という面も持っていないことはないため、なお、自分の手に負える?同人誌制作も、決して悪いチョイスではないというスタンスです。自分が創作することにおいて、何を大事にして何を捨てるか、の問題だけだなって思っています。
で、なんだっけ、そう、ビジネス書!
少しずつ読んでいるのですが、ビジネスマナーの本も、営業の本も、プレゼン資料作成の本も、たぶん作家としてこれからも商業でやっていくのなら、読んでいて損はないなーと思うものが多くて。
「自分のつくった商品を、取引先に、売ってもらえるよう提案していく」その一連の行動をやるときに、学んでいて損はないことだろうなと思います。
というわけで、ビジネス書は、商業創作という荒野を歩いていくときの杖のようなもの…というお話でした。
ここまでが、前半。で、ここから後半。
私、マリナさんのこのnoteに、昔ガーンと撃ち抜かれた記憶があって。
当時これを読んだ私は、まさになまっちょろい「夢」でしか、創作をとらえられていなくて、気持ちの準備も整わないまま「自己実現したい~」みたいな意識でしかなかった。自己実現したいだけなら、同人誌で良かったんだ。
マリナさんは「プロはガチだよ」ということを、よくわかっている方だとお思う。たぶん、ふわっと夢見がちに、プロでお金を稼いでいい想いをしたい、みたいな人が散見されたように思えて、「じゃあ創作って何なんだ? あなたにとってどういうスタンスで向き合うものなんだ?」って、ずっと問いかけてくれているのでは、と。
そして、芸術のプロを選ばずに、日々生活を淡々とこなしながら、そのなかで素敵な作品を、見る人が少なくてもつくっている人の存在こそ、noteは肯定する場なんだろうなっていうことも、同時に思っている。
「生活者として創作していく土壌」みたいなものが、もっと豊かになったらいいな、って私も思います。
そう、私自身も、自分のスタンスに揺れっぱなしだ。でも、それでも、ぐるりとnoteとnoteの外の商業世界を見られたことは大きな経験でした。でも、自分のなかで少しずつ、スタンスが変わり、意識も変わるなかで、自分の創作がどんな風に育っていくかが楽しみでもあるんです。
いつも楽しい呑み書き、今回もありがとうございました。
まとまりなくて、ごめんなさい。
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