見出し画像

知らない人が知らない人を救うこともある

2005年。結婚をきっかけに、縁もゆかりもない土地(名古屋)に住むことになった。

2007年。ムスメが生まれて、気の合うママ友が3人できたし、それまでだって孤独でたまらないということはなかった。

それでも、生まれ育った松山が恋しくて恋しくてたまらなくなることはあった。

34年も住んだ場所だし、嫌いになって出てきたわけでもないし。

今思うと、子育てがキャパオーバー気味だったのだろう。

特に身体が。(高齢出産あるある…)

ムスメが1歳を過ぎた頃に体調不良のピークを迎え、完全予約制の婦人科クリニックに定期的に通うことになった。

そこはムスメも連れて行けるので通いやすかったのだ。

母親が自分の通院のために子どもの預け先を確保することが難しい。それも子育てでは珍しい話ではない。

だいたいいつも9時台の診察で検査や漢方薬の処方をして貰って、帰りにセンパ(セントラルパーク)の地下街のタリーズコーヒーに寄るのが私とムスメのお約束だった。

ムスメはオレンジジュースを、私はジンジャーミルクティーを飲む、ちょっとした贅沢。

当時、そのタリーズにはムスメと同じくらいのお子さんを持つ若いママさんが働いていた。

小さなお子さんを持つ人ならではの気遣い(蓋つきの容器に入れて曲がるストローで出してくれるとか、その蓋にアンパンマンを描いてくれるとか、そんな気遣い)をしてくれたり、ちょっとした立ち話をしてくれたり、毎回必ずホッとする気持ちにさせてもらった。

あの頃、あのタリーズの、あの店員さんと遭遇できたおかげで私は「この街でもやっていけるかも」と思ったのだった。

見知らぬ環境でやっていけるかどうかは、そこに親しい友達が出来るか否かがキーポイントになることも多いけれど、それ以外にも、ちょっとした顔見知りや、たまたま言葉を交わしただけのよく知らない人の親切(や感じの良さ)に左右されることもあると思う。

私やあなたのちょっとした優しさが、名前も知らない、街で遭遇しただけの誰かの1日(あるいは一瞬かもしれないけど)を救うこともある…かもしれない。



その店員さんはやがて福祉の専門学校へ通うためにタリーズを辞めたので、それ以降、会ったことはない。

でも、センパの地下街のタリーズにはその後もムスメとよく通ったので他の店員さん(みんな親切だった!)とも顔見知りになった。

2014年4月。我が家は名古屋を去ることになった。

「ニュージーランドへ引っ越すので今日が最後なんです」と挨拶をした私とムスメに、タリーズの店員さんたちが「これ、この店舗が出来て◯周年の時のノベルティの残りなんですけど、良かったら一緒にニュージーランドへ連れて行ってください」と手渡してくれたピンクのクマ。

あれから10年。

見知らぬ街だった名古屋のことを今は懐かしく思い出している。

ときどき夢に見るくらい、恋しい街のひとつになった。

あのタリーズ、まだあるかな。

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?