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永遠みたいにしたい。今を。

文字を書いて残していると、その時にどういう感情で、何に引っかかったのか、一瞬で揮発しないで残り続けるからそれが嬉しくて日々の嫌な出来事を書き記す悪癖が俺にはある。そうやって負のエネルギーを注入された文章はもう呪言みたいなもんで、自分の中から出てきたもんにも関わらず、メチャクチャ自分に悪影響を及ぼしてくる。「これ、多分言わん方が良いんだろうな」って枷が緩んで、その一部を世に出してしまった時は最悪で、他人にもストレスを与えてしまったりして、実際案の定言わんかったら良かったな……と反省することも結構あった。

これは一種の傲慢かもしれないけれど、そういう生々しい負の感情で人の気を引かせたら、俺はその辺のメンヘラ女子なんかより上手く自分に合った負の共感を集められる自信がある。「承認はされてるけど、結局身体目的なんでしょ」みたいな、薄っぺらさと性欲が透けて見える中途半端な共感じゃなくて、自分に近い心境から声をかけてくれる人間とズブズブ馴れ合って傷を舐め合うような共感のされ方って意味合いで。「思わずこう思ってしまうけど、間違ってるんだよなこの理屈は」っていう批判思考の枷がなくて、もっと悪い意味で人を信用していて、現実の今の状況とかを包み隠さず言うような性格だったなら、多分そうなっていた気がする。俺が唐突にDMでこの出会いはある種の運命かもしれませんって言い出したら迷わず殺してください。


素敵だね。


ツイッターのオヌヌメはいじわるチュー(矢吹奈子)みたいなもんだから、そういうifの俺みたいな奴のツイートをピックアップしてくるんだけど、本当にゾッとする。俺は自己肯定感とか自尊心がかなり人と比べて低いんだけど、ああいう奴ら、多分冗談じゃなさそうなんだけど自分の言ってることとか本気で一睡もできずに毎日悩み続けたこととかあるかお前、ねーんだろうなあ、身内で人生追い詰められて首吊って死んだ奴とかいないんだろ?出てくるからなこの先当たり前のように、お前の人生全部そう!今からそうなる。既にそうなっていてこの先そうなりゆく。みたいなことを体感として持ってない奴らの醜さを見てると、心の底から自尊心だの自己肯定感だのが低くて良かったのかもしれないと思うときもあったりして。そうやって人に、あるいは自分に絶望して気分が底を打ってる時に、心の余裕と優しさが欲しくなる。

なんか、自分の能力とか容姿とか他人に配慮してる一つ一つの細かい事とかなんとかしようとして空回りしてることとか、そういうの引っ括めた苦しさをなんにも汲み取る気なくボロクソ言う奴がいたり、それをネタに戯けたり、その感情を金に変える奴がいたりして、その度に最悪な気分になって死ねよクズどもって冷笑してみたり嫉妬したり見下したりするけど、最近ありがたいことに人に助け舟を出して貰えたりして、ようやく、本当にようやく余裕の一欠片が戻ってきていて、改めて余裕と優しさの必要を実感している。

俺はSyrup16gがもう自分の青春で、今でも聞き続けていて、多分この先もずっと聞き続けるくらいには好きで、最近また「HELL-SEE」ってアルバムを通しで聴いてたんですけど、これの聴き方も変わったことに気づいた。別に「HELL-SEE」に限らず「COPY」も「coup d'Etat」も「Mouth to Mouse」もそうだし、なんなら好きな音楽全般がそういう気分や思想の変化に耐えうるものが多いんだけど、特にこのHELL-SEEってアルバムは救いがない救いがないって言われがちな作品で。実際俺はそういう救われることを前提とした流れみたいなモノが受け付けない瞬間があって、なんの瑕疵もないハッピーエンドを迎えられると、こう、自分とは関係ない話なんだな……と距離を感じる、救うと言いつつ俺みたいな奴らは掬いこぼすんだっていうイヤ〜なマインドの時に好んで聴いてたんだけど、「吐く血」の「二番線の電車に乗って帰った」から最後の「パレード」の流れを久々に通しで聴いて、アレこんな優しいアルバムだったっけって思ったんだよな。

https://music.apple.com/jp/album/%E3%83%91%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%89/1492396148?i=1492396165&ls

救おうとはしてこないけど、ただそこで待っててくれる優しさみたいな。「少しはいなよ、長居していきなよ、近くに来たならノックしてよ」のフレーズで毎回もう一回聴きたくなってシークバーを戻してしまう。

「Free throw」の「明日を落としても」って曲も、初聴で聞こえてくる部分と何度も聞き返して聞きたくなる部分が変わったな。初聴はやっぱり「辛いことばかりで心も枯れて諦めるのにも慣れてしたいこともなくてする気もないなら無理して生きてることもない」が耳について、そういう気持ちの捌け口になる曲なのかなって思ってたんだけど、そこから2番サビが終わった瞬間繰り返しが終わって「そう言って上手くすり抜けて、そう言って上手く誤魔化して、そう言って楽になれること、そう言っていつの間にか気づいてた」が段々耳に入るようになって、初めて本当に「いつの間にか気づいていた」の経験をさせられる。


優しさって、自分より別の角度が見えてる人間からの寄り添いのことを指すんだろうなと思う。余裕がないと本当に視野が狭いから、単純なことにも気づけないし、相手の立場にもなれないし、そうやって人に寄り添えない。優しくあれない。こういう事言ってるけどあの人もなんかあったんだろうなみたいな背景まで目に入らないし、なんならなんで俺が一々そんなことまで考えてなきゃなんないんだと思う。自分はそんなことまで一々考えて接してほしいクセにね〜。こうなったらもう救われる訳ねーんだよな。自分じゃどうしようもできないのに他人に頼れないから。そうやって一つの尺度、一つの見方しかできなくなった奴の行き着く末路なんか大体気に入らない奴を思いっきりぶん殴って断罪する形になるだけで、一方的に断罪して説教垂れて気持ちよくなるような奴に共感して寄ってくるような奴も同じような奴ばっかりなんだから、そんなとこは地獄と呼んで差し支えないんだよ。地獄。良心が死んでて全員鬼の形相で苦しい苦しいっつってる。




詳細は読んで欲しいから省くけど、ノクチルの「ワールプールフールガールズ」に、大事にしてた飛車を透に奪われた小学校の知り合いが出てきてさ。それを勝手に返しにいく話がこのイベントコミュなんだけど、その知り合いはそこから好きだった将棋も勉強も、何にも上手いこといってないっぽくて。ノクチルとそいつの繋がりもそういう嫌な出来事くらいしかないし、返しに来た時も終始インターホン越しに帰れよくらいしか言わなかったんだけど、そいつは上手いこといってない人生の中でアイドルを見つけてたらしくて、その時の会話の一部が上の画像。この時の円香の一言が凄い樋口円香らしい、同情のニュアンスを含みすぎず、短く端的で、でも彼女がそれまで辿ってきた思考の中から出てくる率直な優しさなんだなってのが伺えて好きなんだよ。

言葉には発する人間の重みが凄くよく乗るから、それ故に己の軽さでかける言葉を間違えてしまうことがある。それに既に気づいている彼女が、こいつは自分を嫌っている人間でそこまで繋がりがある訳でもない、あくまで他人、そういう軽い立場からそいつの見え方を提示する形で優しさを滲ませている所で、俺が悩んだり配慮しようとしたりしてる細かい一つ一つのことを無駄じゃないよって肯定されているような気がした。生きづらさを捨てないでい続ける価値はいつも現実より創作の方が上手く示してくれる。最近のシャニマスで一番最初好きなコミュだった。

優しさが生きる答えならいいのにね。救おうって意思より、優しさとか暖かさとかなんかそういうぼんやりとした心持ちの方が、結果として人を救って救われる方向に持っていけるような気がしない?人に優しくしたいな。積極的に何か働きかけようってのはないけど、ちょっと人が落ち込んで話してたら聞いてみようとか、重い空気を引きずり過ぎないように平常なテンションでいようとか、そういうの。そういう優しさが今少し戻ってきている。今の優しい気分のまま、永遠にいれたらいいな。もしまた余裕がなくなってきて、気分が落ち込んでも、とりあえず飯でも食うか、何にも出来ないから寝てみるか、みたいな所から繰り返し調子を取り戻していきたいね。














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