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北欧ウォーク6 ヘルシンキの核シェルターは 子ども時代からなじみの場所

フィンランドの核シェルターのマーク

☆日本の防空壕
防空壕。過ぎ去った過去の言葉のように思えます。太平洋戦争末期に、敵の空爆から隠れるために、地面や崖に掘った穴。敵とはアメリカ軍。戦争をはじめたのは日本政府。民間人を戦地に送り、さらには本土で死なせていく、日本政府を降伏させるために、米軍は日本の国土を爆撃しました。爆撃から身を守るため、人々は防空壕を掘りました。いまも8,000近い残骸が残っているそうです。神奈川県横浜市の、「コメダ珈琲店子どもの国」の前の崖に残る防空壕を見たことがあります。人の胸ほどの高さの穴でした。もちろん政府や軍人のための防空壕はずっと堅固だったようですが。

親の会運営の発達障害者グループホームの地下にあるシェルター

☆フィンランドのグループホームの防空壕
フィンランドに防空壕があることは、ずいぶん前から知っていました。
8年前に、新築のヘルシンキ市営発達障害者グループホームを見学したときに、地下にあるシェルターに案内されました。それは日本の崖の穴とは違い、岩盤を地下へ3mほど掘って、内部をコンクリートで固めた、がっちりした部屋でした。防空壕ではなく、立派なシェルターです。
そのときは「えー、20人しか住んでいない集合住宅に、こんなもの必要なのかな」としか思いませんでした。
23年5月、ヘルシンキの親の会運営の発達障害者グループホームを見学したときも、地下のシェルターを案内されました。たぶん、入居希望者の親族がきたときに、安心感を伝えるために、シェルターも案内することになっているのでしょう。
施設長が説明してくれました。
「国の法律により、私たちのグループホームには、シェルターの設置が義務づけられています。シェルターは当局から命令があったときだけ使用しますが、毎年必ず設備点検を行います。ヨウ素剤は時々交換する必要があるし、その他の備品も必要に応じて交換します」
ヨウ素剤は、体内に入った放射性ヨウ素の甲状腺への取り込みを抑制するそうです。この国のシェルターは、核弾頭を搭載したミサイルによる爆撃に備えているのです。
「シェルターに食料は備蓄していません。シェルターの使用命令がでると、急いでパン、果物、缶ジュース、グリーンピース、スープやその他の缶詰や袋詰めの食品、ビスケット、クラッカー、ナッツ、ドライフルーツなど常温保存がきく食料品を調達します」
ウクライナ戦争がはじまって、フィンランドの恐怖がよくわかりました。この国は東部にロシアと1,300kmもの長い国境を接しています。ロシアの大統領は自己保身であり、絶対権力を持っています。いつでもミサイルを撃てと命令できますし、やりかねません。それも核弾頭つきのミサイルを。フィンランドには核シェルターが必要なのです。フィンランドだけではありません。ロシアと国境を接している国はどこも。西はデンマークから東は日本まで。たぶん。

イタケスクス水泳場の入口。ドアの中は撮影禁止でした。

☆巨大なシェルター
親の会運営のグループホームは、中央駅から地下鉄で15分の、衛星都市イタケスクスにありました。移民が多い住宅地として知られています。視察のあと、駅近くにある水泳場のホールに入りました。爆風をさけるためという、曲がりくねった通路を下り、いくつかのドアを抜けたところに、50mプールを中心とした大きなホールがありました。岩盤の地下20mだそうです。
ここは有事には72時間以内に、3,800人を収容する核シェルターに変わるそうです。施設にあるのはヨウ素剤、放射能に汚染された人の洗浄場、3段ベッド程度で、衣類や寝具、食料、医療品、トイレ用品は避難者が持参となっていると聞きました。ということは、各家庭で有事のときにもっていくものを、どこかに用意していて、家族みんなが知っているのでしょう。食料品も定期的に入れ替えているはずです。シェルターは国の責任、そこでの生活は家族の責任と広報されているそうです。

ハカニエミ広場の南部分。この下がシェルターとは思えません。

わたしがヘルシンキでよく利用するホテルは、中央駅から地下鉄で2駅の庶民の町にあります。ホテルの前は150m四方の広いハカニエミ広場。地下鉄駅はこの地下にありますが、不必要なほど巨大な空間です。いつも広いなあ、と思うだけで、理由を知ろうとはせずに利用してきました。

地下25mまで続く鉄網階段

わたしがヘルシンキでよく利用するホテルは、中央駅から地下鉄で2駅の庶民の町にあります。ホテルの前は150m四方の広いハカニエミ広場。地下鉄駅はこの地下にありますが、不必要なほど巨大な空間です。いつも広いなあ、と思うだけで、理由を知ろうとはせずに利用してきました。
この駅もシェルターになると聞き、見に行きました。広場の東端に小さな建屋があり、多目的ホールと書いてありました。ガラス越しに地下へのエレベーターが見えます。建物の反対側に回ると、壁にシェルターのマークがありました。ドアの向こうに、鉄製の階段が下へ伸びています。金属のきしみが響く階段を延々と下ると、曲がった廊下があり、広いホールに入りました。目の前は子どもたちの「遊び場」という名の屋内遊園地。トランポリンや滑り台などのあそび道具がたくさんあります。反対側にはフットサル競技場、ハンドボール・コート、筋トレのジムなどが広がっていました。突き抜けると駐車場、その奥が地下鉄駅につながる広大な空間です。ここには6,000人が避難できるそうです。シェルターを、スポーツ施設や駐車場を運営する企業に貸し出し、活用しながら掃除や補修を行い、緊急時に備えているのです。

いちばん下に着きました

いま、人口60万のヘルシンキには、5,500か所、90万人分のシェルターがあるそうです。留学生や旅行者まで避難できるのだから、安心です。
そしてシェルターを水泳プールや遊び場として、子どもの頃から親しめる施設にしていれば、大人になっても、いざという時に行き方や出入り口、中の使い方がわかっています。自分だけでなく家族や近隣の人たちの命を護るのにも、役立つのです。施設をつくるだけでなく、利用しやすいものにする心配り、移民や障害者のような弱者も守ろうとする気持ちが、何年も幸せの国世界一を続けられる秘訣の一つなのでしょう。

極寒の冬でも元気に遊べる地下遊園地「あそび場」



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