見出し画像

余命を意識したときに思考し、生み出した音楽について。(坂本龍一『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』を読んで)

2023年3月に亡くなった、音楽家の坂本龍一さん。

雑誌「新潮」での連載が単行本になった。3.11以降、そして病を患いながら過ごした晩年までの音楽家としての日々が綴られている。

『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』
(著者:坂本龍一、新潮社、2023年)

──

本書を読んで、晩年までの坂本さんは、徐々に荷物をおろすような研ぎ澄まされたような音楽をつくっていることを感じた。それは音楽的にシンプルになっている……ということでなく(もちろんそういった側面もあるだろうが)、余計なことを考えず、引き算を意識しながらアウトプットしているのではないかということだ。

「何もしなければ余命半年」と宣告され、命が永続しないという摂理を身に沁みて実感したことが大きいのではないだろうか。

音楽は時間芸術だと言われます。時間という直線の上に作品の始点があり、終点に向かって進んでいく。だから時間はぼくにとって長年の大きなテーマでした。
それでも自分自身が健康だった頃は、どこか時間の永続性や一方向性を前提としたところがあったのですが、生の限定性に直面した間、これまでとは違った角度から考え直す必要があるのではないかと感じています。

(坂本龍一(2023)『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』新潮社、P20より引用)

河出書房の編集者の父と、知性と社交性を併せ持つ母のもとで育てられた坂本さん。幼少期からありとあらゆる分野での教養を身につける素地があったのだろう。

音楽だけでなく、あらゆるジャンルを横断しながら思考してきたゆえに、あらゆる事象に対して繰り返し思考を巡らせてきたはず。だがやはり、余命を意識したとき、音楽や言語の役割などについても認識を新たにしてきたことが伺える。

翻って、人間の言語の機能について考えてみると、言語というものは実際には形のないものにまで枠を与えてしまいます。

(坂本龍一(2023)『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』新潮社、P53〜54より引用)

おそらく自分にも他人にも厳しい坂本さんだからこそ、言葉だけでなく、自らが生み出してきた音楽についても「疑い」を抱いてきたのではないだろうか。

それでも「仮に1分でも2分でも命が延びれば、それだけ新たな曲が生まれる可能性も増すんじゃないか」と考え、病気を携えながらも精力的に音楽活動に取り組んでいた。映画音楽だけでも凄まじい量なのに、芸術祭のディレクターやNHK番組のメインMC、インスタレーションへの協働などありとあらゆる仕事に臨んでいる。感服する他ない。

病気になってからは、1日6時間が限度だったと書いてあった。ということは、だ。6時間という限られた中で生み出すスピードが半端ないということを意味する。同じルーティンの繰り返しではない。常に、全く新しい音楽を生み出さなければならない。

世間の期待、それを常に上回ってきた坂本さんの人生。坂本さんが仕事に向き合ってきたスタンスの全てをインストールするくらいの気持ちで、僕もまた仕事に向き合おうと思った。

一朝一夕に上手くいくものではないけれど。一つひとつの仕事を、丁寧かつ全力でやっていこう。まじで。

──

幼少期から57歳までの人生を振り返った前作『音楽は自由にする』では、坂本さんの音楽のルーツが垣間見れます。併せて読むことをお勧めします。

#読書
#読書日記
#読書記録
#読書感想文
#ぼくはあと何回満月を見るだろう
#音楽は自由にする
#坂本龍一
#音楽
#音楽家
#映画音楽
#新潮社

この記事が参加している募集

読書感想文

記事をお読みいただき、ありがとうございます。 サポートいただくのも嬉しいですが、noteを感想付きでシェアいただけるのも感激してしまいます。