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#さよならbosyu

「無料で気軽に」募集ができる、bosyuというサービスがある。

数あるインターネット・サービスの中で、僕はダントツでbosyuが好きだった。

既にbosyuはクローズに向けて進んでいるが、6月末で完全にサービス終了になる。せっかくなので #さよならbosyu と題して、bosyuとの思い出を書いてみる。

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成功体験を積むことができた

僕はbosyuを通じて、2つの成功体験を積むことができた。

1つ目は採用活動において。bosyuでインターンスタッフを募ったところ、とても優秀な学生が来てくれた。少し話をしただけで「馬力が違う」と感じた。優秀な学生にはこれまで何人も会ってきたけれど、その学生は異質なタイプだった。

こういう学生に出会いたかった。どこで出会えるんだろう?と思っていた。そういう学生は、目敏い採用担当者により素早く青田買いされていて、G社やY社、M社などに早々と内定が決まっているものだと思い込んでいた。

だけど違った。やり方が甘かっただけだった。

藁にもすがる思いでbosyuを出した。彼はうちの会社を見つけてくれて、リアクションのメッセージをくれた。出会えたのだ。彼は新卒で入社し、今も一緒に働いている。

ただ運が良かっただけかもしれない。

だけど泥臭く動いていった中で、何とか機会を掴むことができた。動かないと何も始まらない。この成功体験は、僕にとって本当に嬉しい出来事だったのだ。

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自分の価値に気付くことができた

もう1つの成功体験は、読書を通じた出会いを得られたことだ。

bosyuの石倉さんが「みんな、本来持っている価値に気付いていない」と話していた。僕は他人を見ると「○○な強みがあるよね」とか「○○で収入を得られるようになるんじゃない?」とアドバイスすることができる。

だが、自分のことになると、まるでダメだった。

僕の強みって、何なのだろう。

特に専門性が高いわけでなく、代替が効くスキルばかり。

だけどとりあえず「あなたにぴったりの本を選書します」というbosyuを出してみた。すると何人もの方が応募してくれた。1,000〜3,000円という決して低くない金額を、僕の選書を信じて払ってくれた。

どれくらい満足してくれたかは分からないが、「やってみよう」という一歩を踏み出すことができた。自分という人間の価値を、再発見できたのだ。

それ以来、読書という行為をもっと好きになれた。読書に関するアクションも続けている。大袈裟でなく、人生の幅が広がったのだ。

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仲間に出会うことができた

bosyuのTwitter担当のふせさんが中心となって開いてくれたイベントや、bosyu cafeというオンラインのコミュニティなど、bosyuを通じた場づくりも有難かった。

おはようを言い合うだけのチャンネルや、1日の出来事を褒め合うチャンネル。猫や芝生を愛でるだけのチャンネルなど多種多様。

アクティブな人たちとはSNSでも繋がり(一度も会っていない人がほとんど!)、今も、緩やかな交流を楽しんでいる。

仕事やプライベートの繋がりはもちろん大事なものだけど、何の利害関係もない人たちと「こんなnote書きました」「新しくbosyu作ったんだけど、どう?」「うちの子ども可愛くない?」といったコミュニケーションを交わす。

bosyuというサービスはもちろん好きだが、それを運営する方々や、bosyuを愛用する人たちの、「人としての温度感」が柔らかくて大好きだった。

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公正で、やさしいサービス

bosyuのサービスのことも、メモとして残しておこう。

bosyuはとても公正だった。どうしてもマネタイズする上で、影響力のあるユーザーや、お金を払ってくれる法人へのプライオリティを上げなければならない。

だが、bosyuは無料で使えた。「持たざる者」も、運用次第で、応募が集まる仕組みになっていた。(プライオリティは「公正である」ことだったのかもしれない)

やさしい、と書いた。優しくて、易しいのだ。

前述した通り、運営してくれた皆さんの人柄はみな温かかった。時にユーザーを集めて「どんな機能がほしいか」「どんなところで困っているか」をヒアリングしてくれた。ワイワイみんなで話すことで、bosyuが目指す世界観に近付けた気がした。とても新鮮な感覚だった。

そしてサービスはとても使いやすかった。タイトル、内容、値段設定をすれば、誰でもサクッとbosyuを出すことができる。簡単でシンプルなUI / UX。

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bosyuのようなサービスを作りたい

bosyuが終了することになり、SNSで「bosyuの代わりになる」サービスを作ろうというツイートが散見された。

エンジニアリングのことは分からないが、誰かが「bosyuっぽいサービスを作るなら1日くらいでできる」という発言をしていた。ほぼコピーするだけなら、そしてマネタイズのことを考えなくても良いのであれば難しくないのだろう。

だけど僕がその流れに与しなかったのは、コピーするだけは意味がないと思ったからだ。

「あと1万円収入があれば、生活が変わる人たちがたくさんいる」
「しごとを通じて、他人に喜んでもらえる。そのことで貢献感や幸福感を得ることができる」

石倉さんがnoteで示唆していたのは、世の中に溢れている「困った状況」であり、それをどう解決するかという葛藤だった。(と僕は解釈している)

同じようなサービスを作るつもりはないし、もしかしたらインターネットに関わるものですらないかもしれない。

身近で放置されている「困った状況」を、何かしらの手段で解決したい。bosyuのような、本質に迫るサービスを作りたい。

それが今、僕が目指していることだ。

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さっくりと書くつもりが、だいぶ長くなってしまいました。

最後に。bosyu開発・運営に関わって来られた全ての方へ。

素晴らしいサービスを作ってくれて、世の中に広めてくれて、本当にありがとうございました!

引き続き、皆さんの新しいチャレンジを応援しています!!!!!


記事をお読みいただき、ありがとうございます。 サポートいただくのも嬉しいですが、noteを感想付きでシェアいただけるのも感激してしまいます。