noteを書くネタが浮かばなくて、小一時間とか余裕で経っちゃう件。

22時過ぎ、ようやく息子も眠ってくれたフライデーナイト。

1週間の疲れもあるのだけど、本棚を探りながら久しぶりに村上春樹さんの『ドライブ・マイ・カー』を読みたくなる。今週水曜日に、濱口竜介監督の最新作「悪は存在しない」を鑑賞したことにも影響を受けている。

だが、その前にやらねばならぬことがある。noteを書くことだ。

今日まで1,142日連続で書いているわけで、2024年5月17日も同様に書かねばなるまい。だが、MacBookの前で何も思い浮かばないまま小一時間が過ぎる。もちろん『ドライブ・マイ・カー』も読めないままだ。なんて無為な時間の過ごし方をしているのだろうか。

それでも、ようやく書く覚悟ができて、このように駄文を打ち込んでいる。この文章が、いったい誰の何の役に立つというのだろうか。

いや、そもそも僕はnoteを「スケッチ」として捉えていたはずだ。

誰の何の役に立たなくても構わない。来るべき「大作」を書き切るためのスケッチであり、それ以上でも以下でもないはずだ。他者の存在なんて気にしなくていい。

何度も何度も、そのことを言い聞かせるも、1日経つと忘れちゃうんだよな。つい、面白い何かを書こうとしてしまう。僕の悪い癖だ。

そのようにして、小一時間、いや小二時間ほどが経過してしまった。そろそろnoteは描き終わるだろうけれど、これから読書するのもしんどい時間帯だ。

でもたぶん、無駄な時間を過ごしたわけではないはず。

「書けない、書けない」と苦しみながらも、とりあえずの文章を上梓した。この経験は、きっとどこかで役に立つ。

ネタなんて、そう易々と浮かんでたまるか。浮かばね〜、どうしよう〜と悩み、その先にようやく絞り出た「カス」のようなものに、僕はどうにか生かされているような気がしてならない。

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