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芸について(バラエティ番組「あちこちオードリー」を観て)

2024年3月6日の「あちこちオードリー」で、お笑いコンビ「なすなかにし」の中西茂樹さんが「芸」について話していた。

MCを務める若林正恭さんと、中西さんのやり取りはこんな感じだ。

若林:中西さんから見てさ、嫌なこと言う芸人っているでしょう?なんか揚げ足どりとか。おれとかがそうだけど。なんか商品とか出てきて、使わねえみたいなことをさ、嫌な言い方で言ったりするじゃん。そういうの聞いて、どう思ったりするの?

中西:ああ。「この人は芸がないな」と思いますね。芸がないからそこに逃げてる感じはやっぱ、思いますよね。やりようがあるのに、なんか、「こんなとこ使えねーだろう」っていうのは、あれがひとつのおもろさみたいな感じで言うてるじゃないですか。違うと。

(中略)

中西:(味が美味しくなくても)やっぱ何か褒める部分を見つけるというか、もちろん自分の好みじゃない部分もあるんですよ。食感素晴らしいですねとか、そこを立たすと、いう感じの動きですね。

(「あちこちオードリー」2024年3月6日放送より)

2006〜8年頃、当時流行していたSNS「mixi」にて、自分のアカウント内で音楽評(レビュー)を書いていた。誰に頼まれたわけでもなかったが、聴いた音楽について、どうしても書きたいという衝動が生まれていたのだろう。

それは良かったのだが、今振り返ってみると、内容は決して良いものではなかった。自分の好みでなかった音楽を、安易に「つまらなかった」と決めつける姿勢。穴があったら入りたい気分だ。

中西さんの発言の意図は、平たくいえば「誰(何)にだって良いところはあるのだから、それを発見できるかどうかが大事だよ」ということだろう。それは芸の良し悪しというより、芸に関わる人にとっての前提であり、スタンスであると僕は感じた。

それは「『面白くない』と言ってはいけない」ことではないはずだ。表面的に、あるいは感覚的に抱く「面白くない」という感想について、もう少し深掘りしてみる。言語化を試みてみる。評価を公にする前に誰かと対話してみる。できれば自分と反対の意見を持っている人と話してみるのが良い

それだけで、感じ方というのは人それぞれだと知ることができるし、もしかしたら「面白くない」という感覚がひっくり返るかもしれない。

パーソナライズの精度とユーザーの利便性を高めることが突き詰められ、フィルターバブルという現象が起こっている。同質性の高いコミュニティにいる限り、同質性の中で生まれた意見や考え方、アウトプット以上のものは出てこないはずだ。(「それで十分だ」という説もあるけれど)

芸は「磨く」と表現する。磨いていくためには摩擦が欠かせない。

摩擦が発生する際には、表面を削りとるためのエネルギー、熱を伴う。人間に置き換えるならば、ある種の「痛み」といえるのではないか。「おれはこんなことを感じていたが、完全な間違いだったかもしれない」。そういった気付きはつらいし、恥ずかしい。試行錯誤の「錯誤」には、そういった意味が多分に含まれている。

同質性の高い意見や考え方を目にして、溜飲を下げるのも結構だ。だが、僕は「錯誤」を恐れずに芸を磨いていきたい。いや、錯誤は健全に怖がろうと思うけれど、足を止める理由にはしたくないのだ。

それが、「芸を磨く」という僕なりの解釈だ。

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