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部分月食とBRUTUS

10日前ほどに、部分月食を見ることができた。

周囲に話題にする人がそれほどいなかったこともあり、実は、すっかり忘れていた。

気付けたのは、空に向かって写真を撮る人がいたから。「なんだろう?」と思って空を見上げると、三日月よりもシャープな月の背景に、オレンジ色の何かがそびえていた。なかなか見応えのある夜空で、息子と一緒に盛り上がっていた。

今回の部分月食は「月の直径の97.8%までが影に入り込むため皆既月食に近い」というものらしい。

部分月食も皆既月食も日食も、どんな現象なのか説明するのは難しい。僕はとことん天体に関しては疎いから、息子にも「すごいねえ」としか言うことができなかった。

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雑誌「BRUTUS」の編集長、西田善太さんは20代のとき、編集者・寺崎央さんに「西田、何があろうと、そのことに対して400字は書けるようにしておけ」と言われたそうだ。

対象について「書ける」「言語化できる」ことで、何が琴線に触れるのか自覚的になれる。また相手に説明できることで「面白さ」を共有することができる。

これ、ヤバい!

という感情表現もナシではないが、射程距離は、あまりに短い。

もっとオープンに、遠くまで「これ、ヤバい!」を届けるためには、自らの知性や体力を振り絞って、言葉などに落とし込む必要がある。それを一般的に「表現」と呼ぶ。

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面白いについて。

何か対象があったときに、面白いか、面白くないか判断できるのは、本来「自分」のはずだ。だけど「自分」の感性だけに委ねてしまうと、面白いと思えるものは極端に少なくなってしまう。

僕は高校のとき、友人がBUMP OF CHICKENのMDを貸してくれた。それまで彼らの音楽は聴いたことはあったけれど、そこまで心を打つものではなかった。彼が渡してくれたMDは、BUMP OF CHICKENがまだメジャーデビューしていなかった頃の楽曲が収録されていた。ザクザクとした粗いサウンドと、オブラートに包まれていない剥き出しの歌詞がシナジーを生んでいた。当時の僕にはものすごい衝撃だった。

大学に入り、色々な音楽を聴くようになった。

だから、友人がMDを貸してくれなかったとしても、インディーズ時代のBUMP OF CHICKENの楽曲にもどこかで出会っていたはずだ。

だけど、高校生のときに抱いた衝撃と全く同じ純度で心が動いたかどうかはイマイチ確信が持てない。「数ある良い曲の中のひとつ」としての認識に留まっていた可能性も高そうだ。

例が長くなってしまった。

要するに、他者との「対話」が面白さには付随する。

雑誌「BRUTUS」の価値も、対話という側面があるはずで。世の中で埋もれてしまっている(あるいはあまり認識されていない)面白きことを、「これは面白いですよ!」とブルータスの編集部が紹介する。読者の好奇心を呼び起こし、面白いが増幅される。個人が抱いた面白さは、口伝てに、社会へと連鎖していく。

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そういった効果は、今やSNSがカジュアルに演出するようになった。何となく面白そうな雰囲気に飲まれ、僕たちは「自分」の感性をすり減らしてしまっている。

だからこそ、西田善太さんの「好奇心を人任せにしない!」というメッセージは心に留め置くべきものだ。まず個人が起点となる。その上で、じっくりと対話に向き合うこと。

受動で、何となく飲まれてしまうような「面白い」は、一瞬で泡となり失せてしまう。(それがバズということかもしれない)

僕は、できれば長く、自分の中に留まり続けるような「面白い」を探したいと思う。掘るように、辛抱強く。

いつだって、好奇心は、僕たちを元気にしてくれるのだから。


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