トゥールスレン_

浦和を離れてカンボジアへ イオンモールからキリング・フィールドへの足跡

浦和レッズサポーターのほりけんです。今回はホーム浦和を離れて、カンボジアを舞台に旅記事を書きます(しかも3部作)。第1弾は、僕が旅に出た理由と、カンボジアの今を目撃し、歴史を学び直したプノンペン編です。「アディショナルタイム」では、カンボジアへの旅の準備について紹介します。

2018年9月、雨季の終わりに、カンボジアを訪れた。

カンボジアには雨季と乾季がある。雨季といっても、日本の梅雨のようにずっと雨が降っているわけではなく、1日に1~2回、小一時間の土砂降り(スコール)にあう。しかし、少し街を離れれば大地の青さが目に映え、漂う空気にすら瑞々しさを感じる。

9月は、観光客で溢れるハイシーズンは過ぎたものの、まだ雨季。遅めの夏休みにはうってつけだ。

なぜカンボジアへ旅に出るのか?

カンボジアへの旅はこれが初めてではない。5年ぶり、通算では4回目になる。

初めて訪れたのは今から12年前、2007年のこと。当時学生だった僕は、夏休みに、1週間のスタディツアー(通称スタツア)に参加した。その時訪問したのが、現地で活動している日本のNPO、かものはしプロジェクト。動物の名前を冠しているが、動物愛護団体ではない。「子どもが売られない世界をつくる」をミッションに掲げ、児童買春の被害者を減らすことに取り組んでいる。

国際協力、開発、人権といった問題には必ずしも馴染みはなかったが、かものはしプロジェクトの創業者のひとりである青木健太さんに誘われ、ふらっと参加した。

人生で初めて訪れた発展途上国。目にする光景や聞こえてくる音、ふとした瞬間に感じる匂いなど、全てが新鮮で、刺激的だった。旅の仲間にも恵まれ、夜な夜な語り合う。五感すべてがフル稼働の1週間を過ごした。

プノンペンの街角

当時プノンペン郊外にあったゴミ山。五感への刺激は凄まじかった。

朝日とアンコール・ワット

以来なんとなく、節目節目でカンボジアを訪れる癖がついた。

2回目は、スタツアから1年後の2008年8月。かものはしプロジェクトの日本事務所でインターンをしていた僕は、「中の人」となってカンボジアを再訪した。

3回目は、2013年3月。仕事のため2年間、海外に赴任するのを目前に控え、もう1度カンボジアの空気を吸いに行った。

4回目となる今回は、転職して最初の夏休み。きっかけは、2018年3月に、かものはしプロジェクトがカンボジアでの活動を終えたこと(児童買春をめぐる状況が大幅に改善したため)。これまで農村に雇用をつくり、女性たちの自立を助けてきた、かものはしプロジェクトの工房は、カンボジア発のライフスタイルブランドSALASUSUの工房に生まれ変わった。

SALASUSUのブランドコンセプトは、Life Journey(人生の旅)。作り手の女性たちは、安定的な収入を得ながら、ものづくりを通じて様々な学びを得るLife Journeyを歩んでいる。そして、SALASUSUは、作り手と買い手による、人生の旅路の一瞬の交差を大切にしている。

再出発した工房を訪おう。SALASUSUの作り手たちに会いに行こう。

旅のコンセプトは、study tour revisited(スタツア再訪)に決めた。人生で初めてカンボジアを訪れたときの旅路をなぞりつつ、また新たな気持ちで、旅に出よう。

日々のスキマに訪れる旅へのあこがれ。
あたらしいものに出逢おう。
知らないものにふれよう。
偶然を楽しもう。

時間の使い方は自由、行き先はどこへでも。
何かをしても、しなくても良い。
気の向くままに。

旅はわたしを思い出させてくれる。

ときにはわたしに戻ろう。
人生の旅をご一緒に。
Life Journey with SALASUSU

旅のプラン、余白を残す

行き先とコンセプトが決まり、旅のプランを立てる。OWLメンバーの屋下えまさん曰く、準備にかける手間暇は大正義。大いに賛同。僕もプランを練るのが好きで、旅の準備も楽しみたいタイプだ。

一方、宇都宮徹壱さんは、無駄が許される、無駄を楽しめるのが旅だと言う。それも一理ある。分刻みでスケジュールが決められたものを旅と呼ぶのは少し違う。旅にトラブルはつきものだし、非日常だからこその偶然も楽しみたい。

だから僕は、余白を残して、旅のプランを立てる

少し脇道にそれるが、余白といえば、フェルマーの最終定理である。

17世紀フランスの数学者ピエール・ド・フェルマーは、古代ギリシアの数学者ディオファントスの著作「算術」を読みながら、得られた着想を余白に書き残した。しかし、余白には限りがあり、証明が省略された書き込みも少なくなかった。

フェルマーの死後、後世の数学者達によって、これらの書き込みの真偽は次々に証明されていった。そして最後に残ったものが「フェルマーの最終定理」と呼ばれるようになった。

フェルマーの最終定理
方程式 x^n+y^n=z^n が n≧3 の場合、 x,y,zは0でない自然数の解を持たない

【フェルマーによる「算術」への書き込み】
I have a truly marvelous demonstration of this proposition which this margin is too narrow to contain.
私はこの命題の真に驚くべき証明をもっているが、それを記すには余白が狭すぎる。

このフェルマーの最終定理、イギリス人の数学者アンドリュー・ワイルズによって、1995年に証明された。フェルマーの書き込みから、実に360年の歳月が経っていた。

これを英BBC放送がドキュメンタリーに仕上げ、そのディレクターが本を書いた。数学はさっぱりわからないが、この問題に没頭するワイルズの半生、余白の狭さを端緒とする壮大な物語は面白い。僕が好きな本のひとつだ。

この話から何が言いたいかというと、余白は白紙とは違う、ということだ。白紙には何も記されておらず、そこからは何も生まれない。しかし、余白には必ず本文がある。フェルマーも、「算術」があったからこそ、様々な着想が得られた。

旅も同じだ、と僕は思う。確固たるプランがあった上で、そこに少しの余裕があるからこそ、偶然の出会いを捕まえられる。

だから、僕にとっての旅の準備は、計画を立てるとともに、自由度を埋め込むことだ。しかし、これが意外に難しい。あれもこれもと欲張ってはいけないのだが、初めて訪れる場所だったりすると、つい詰め込みたくなる。

その点、僕にとって、カンボジアという行き先は理想的だ。やりたいことや行きたい場所はあるけれど、何度も行っているので旅路を急ぐ必要がない。偶然を楽しむ余裕がある。

じっくり考えた末に、ようやくプランがまとまった。さぁ、旅に出よう。

羽田を発つ

アジアへの旅は久しぶりだ。往路は羽田発、クアラルンプール経由でプノンペンに向かう。キャリアはエアアジア。ほぼ真夜中の出発だったが、人影の少ない羽田空港に着いただけでも自然と気分が昂る。

アジアのLCCに乗るのは初めてだったが、これがとても当たりだった。当然サービスは最小限だが、タブレットに本(Kindle)と映画(Amazonプライムビデオ)を入れておけば、エンターテインメントは全く問題ない。機内食は元々好きではないし、なんなら自分で食べたいものを買って持ち込んだ方がクオリティも満足度も高い。

乗継ぎの待ち時間は若干長いものの、なかなか順調な滑り出しだ。

10年ぶりにプノンペンに降り立つ

昼過ぎに到着。カンボジアは5年ぶりだが、プノンペンは10年ぶり。さすがに10年も経つと街も様々に変わるものだ。途上国の発展は、物理的・視覚的にわかりやすいので面白い。

例えば空港から市内に向かう車窓。近代的な建物が増えていて、風景が様変わりしている。今回は昼間だったが、夜に到着すると、街の明るさ(街灯の多さ)に驚くこともある。

その意味で、プノンペンでのお目当てはイオンモール。2014年にオープンし、前から気になっていたが、ようやく実物を拝むことができた。

いや、もう、ここは日本。

リンガーハットやペッパーランチも入っているし、乗継ぎ含めて10数時間のフライトは夢だったのかと錯覚するくらい。なぜなら、出発前日は浦和美園のイオンモールで買い物をしていたから。

ただ、オレンジの法衣を纏ったお坊さんたちが、イオンのカフェでコーヒー飲みながらスマホをいじっている姿には驚いた。カンボジアは上座部仏教の国で、寺院も多く、至る所でお坊さんを見かける。しかし、カフェやスマホとのコンビネーションは想定外で、思わず二度見した(その後、間を置いて5回くらい見た)。

イオンのあとは宿で借りたオンボロ自転車で走り回っただけだが、漢字(中国語)の看板が目に付く。政治・経済両面での中国の影響力が増しているとはぼんやり聞いていたけれど、街中でも顕著にそれを感じられる。

着いたばかりなのもあり、日が暮れたらすぐに夕食にする。昼食が遅かったので食事は軽くて良いと判断し、一足早くバーに赴く。ルーフトップで、街を見渡せる外向きのカウンター席もあり、なかなか気持ちが良い。プノンペンのルーフトップバーは、いわばプロビンチャの10番。泥臭さの中に華やかさがある。

カンボジアの歴史を学び直す

カンボジアは1970年頃から90年代前半にかけて、長い内戦を経験している。特に75〜79年のポル・ポト(クメール・ルージュ)政権下では、強制移住や強制労働、拷問や虐殺、病気や飢餓などで、当時の人口(700万人)の2〜3割、およそ150〜200万人が犠牲になった。

内戦の歴史を残している場所の中で最も有名なのが、プノンペンにあるトゥール・スレン(Tuol Sleng Genocide Museum)とキリング・フィールド(Choeung Ek Genocidal Center)。もちろん、2007年のスタツアの際に訪れている。

まず向かったのはトゥール・スレン。S21という暗号名で呼ばれた政治犯収容所で、プノンペンの街中にある。

元々は学校で、3階建ての建物が3棟ある。

張り巡らされた有刺鉄線越しに、プノンペンの空が見える。当時と街並みは異なるとはいえ、こんなにも街が近かったのか、と思わざるを得ない。

中庭には、建物の高さと同じか少し低いくらいの木が何本かあり、その中に白い花をつけているものがある。12年前、まぶしいほどの花の白さが、この場所が記憶する歴史の暗さと対照的だなと印象に残っていたものだ。その木は今も変わらずそこにあり、また花を咲かせていた。

次の目的地であるキリング・フィールドに向かう前に、カンボジア特別法廷(クメール・ルージュ裁判)の裁判関連文書センター(LDC)に立ち寄った。クメール・ルージュ裁判は、2009年に始まり、虐殺等の重大な犯罪について、当時の指導者や責任者を裁くことを目的としている。LDCは、日本の支援により2017年に開設され、裁判の文書や映像データが閲覧できる場所だ。

このLDCの訪問は、当初のプランにはなかった。存在は知っていたものの、観光地では全くない。しかし、知人と昼食を共にした際の何気ない会話から機会を得て、折角ならばと訪れた。歴史の記録の仕方として興味深く、裁判が進むにつれ、史料の充実が期待される。

なお、クメール・ルージュ裁判の影響は、トゥール・スレンでも感じた。新たに利用可能になった史料や証言等も踏まえ、展示の内容が更新・拡充されていた。

裁判関連文書センター(LDC)の外観

LDCの看板

日本とカンボジアの交流の証

この日最後に訪れたキリング・フィールドは、プノンペンの郊外にある。トゥール・スレンに収容された人々が虐殺された刑場の跡地だ。着くのが夕方になってしまったので、少し駆け足だったが、他の2箇所とはまた違った感情が生まれる場所だ。

紛争解決や平和構築を専門としている訳ではないが、カンボジアの他にも、アウシュビッツ収容所(ポーランド)、マウトハウゼン収容所(オーストリア)、キガリとムランビのジェノサイド・メモリアル(ルワンダ)など、人類の負の歴史を保存した場所には、しばしば訪れている。

しかし、こうした場所を訪れたときの感情を言語化するのはとても難しい。「悲しい過去に思いを致す」「静謐な雰囲気に言葉を失う」など、それらしい表現は思い浮かぶが、どうしても上滑りしているように感じる。

唯一、間違いなく言えることは「百聞は一見に如かず」。百聞した上で現地を訪れるのも、一見をきっかけに百聞するのも、どちらも良いと思う。しかし、やっぱり自分の目で見て、内に生じる感情と向き合うことは特別だと思う。

キリング・フィールドの入り口

慰霊塔

地面の穴は、虐殺された人たちの遺骨が発見された場所。

モダンなクメール料理に出会う

一人旅の唯一の弱点は食事だと思う。日中は別行動で構わないので、食事(特に夕食)のときは誰か相手がいると良いなと思うことは多い。

ただ、この日は幸運なことにプノンペンで仕事をしている知人と昼食を共にした。最近のカンボジア事情を色々聞き、とても興味深かった。政治・経済的には中国の存在感が増しているが、文化面なども含めて、まだまだ日本に憧れを抱く若者は多いようだ。

会食の場所に選んでもらったお店は有名店らしく、クオリティも相当高かった。何よりもクメール料理(カンボジア料理)をこんなにモダンにできるのかと感心した。ミシャの下で武藤雄樹が開花したときのような、発見と驚きがあった

夜はまた一人になり、トンレサップ川沿いへ。植民地時代の面影を残す、FCC(外国人特派員クラブ)。さらに歴史を遡り、1日を締めくくった。

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アディショナルタイム:旅の準備

カンボジアは、何度も訪れたことのある、数少ない国のひとつだ。そこで今回のアディショナルタイムは、カンボジアへの旅の準備について。

▼時期

まずは旅の時期。これまでに行ったことがあるのは3月、8月(2回)、9月だが、この中で選ぶならは9月が良い。理由はふたつ。

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