堀池真希

2024年1月、近隣からのもらい火で実家が全焼。 火災保険無しの状況の中、多くの方から…

堀池真希

2024年1月、近隣からのもらい火で実家が全焼。 火災保険無しの状況の中、多くの方からの支援を受け再起をめざしています。 体験したことが、火事の後始末の手引きになればと記事を公開しています。 最終的には消防署への設置や防災リュック備品の一部として無料で配布されることが目標です。

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  • 実家が火事で全焼しました

    2024年1月、近隣からのもらい火で実家が全焼。 火災保険無しの状況の中、多くの方からの支援を受け再起をめざしています。 体験したことが、火事の後始末の手引きになればと記事を公開しています。 目標は防災リュックに入ってるガイドブックになること。 ▼堀池実家火災支援のAmazonウィッシュリスト https://amzn.to/496QFNY

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想像を超えて支援が集まったことを話します(火事の後始末 Part5)

前回は、火事後の生活再建の様子をレポートしました。 今回は、多くの支援をいただいた内容とその裏側を綴りたいと思います。 私たちの場合は、主にFacebookを使って支援を募りました。 振り返ってみれば、当事者が支援を募るより、当事者の周りの人が動くことの方が効果が大きいと感じています。 当事者自ら「助けて欲しい」「見舞金振り込んで欲しい」と言いたくても言えない環境や性格など、さまざまな理由があるはずです。 大切な人がピンチの時、代わりに実行できるのはあなたかもしれま

    • 支援をする側・支援される側として(火事の後始末 Part6)

      前回の記事では、支援方法として活用した見舞金口座やAmazonほしいものリストの裏側について書きました。 多くの方々に読んでもらい、大変光栄です! 今回は「支援を募るときに心がけた」ことや、「近くで支援をする側として感じた」ことを紹介します。 支援をする側として私の主観でしかありませんが、被災した家族を一番近くで支援する立場として心掛けていたことをお話しします。 二次災害を出さない 帰省して家族の支援に向かった理由のひとつは、車が焼けてしまい移動手段のない家族の運転

      • 火事後の生活再建に向けて(火事の後始末 Part4)

        そろそろ折り返しが見えてきた実家全焼からの後始末シリーズ。 前回は、火災発生直後から避難所での生活の様子でした。 今回は、生活再建に向けて動いたことをまとめました。 住居の方針を決める まず、今後の住居の方針を決めることが最優先でした。 今回燃えた家は親族所有の家だったので、またそこに帰ることはありません。 検討に上がった選択肢としては、以下3つ。 1.市営住宅 罹災証明書があれば、1年間は家賃免除。ただし人数的に2箇所に分かれる 2.賃貸住宅 家賃は発生する

        • 火災発生直後〜避難所生活(火事の後始末 Part3)

          前回は、実家全焼から最初の1週間を時系列で振返りました。 今回は、火災発生直後からの避難所生活についてです。 公的支援の現実 火災発生直後、家を飛び出した家族は、裏庭や近くの空き地に避難していたと聞きました。 そこで市の生活福祉課の方から、緊急セット(赤いバッグ)と人数分の毛布を住民票と照合しながら渡されたそうです。 今思えば、生存者確認をしていたのでしょう。 緊急セットは、持ち出し用の救急箱のような内容でした。 幸いなことに、怪我人はいなかったので使うことはあ

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        • 実家が火事で全焼しました
          6本

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          実家全焼からの 1週間(時系列)

          前回の記事では、実家全焼の経緯を書きました。 火事発生から1週間の心の動きの変化、実際に行ったことをGoogleカレンダーに残していたので、それと共に振り返りたいと思います。 Day1:動揺私が家族からの着信に気づいたのが、火災発生から6時間後の午前10時。 電話を折り返すと、ご近所さん宅に避難させてもらっているとのことでした。 会話の途中でテレビ局のインタビューが入り、取材に応えていました。 電話の時点でわかったことは、全員無事であることと、パジャマのまま外に飛び

          実家全焼からの 1週間(時系列)

          実家が全焼して考えた〜火事の後始末

          2024年1月、愛媛県にある実家が近隣からの延焼(もらい火)により全焼しました。 車も2台が全焼、1台が一部溶けましたが、家族7名全員無事でした。 火元はお向かいさんの午前4時の天ぷらの不始末。 家族は家が燃える音で目が覚め、言葉通り着の身着のまま逃げたので助かったそうです。 私は火災当時東京にいて、連絡を受けてから準備し当日夜には現地入りしました。 現地に着いてわかったことは、 ・火災保険に入っていない ・出火者に重過失がない限り損害賠償請求はできない(失火責任

          実家が全焼して考えた〜火事の後始末