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漫画家

こどもの頃、漫画家っていうのは、40歳代で、だいたい男で、肥満ではないけど瘦せてもない、後になって知った言葉でいうと中肉中背で、トレーナーを着ている人、というイメージがあった。
いつ自分のなかで出来上がったのかはわからない。男っていうのは、自分が読んでいた漫画の作者のペンネームがだいたい男の名前だったからだろう。

私の世代から見かけなくなり始めたであろう、ステレオタイプの漫画家は、ベレー帽で、眼鏡で、チェックのシャツを着ていて、肥満か痩身かとにかくやや不健康な体型をしたちょっと清潔感がない人だったように思う。
いくつか重なるところがあるから、私のイメージは、このステレオタイプの派生形なのだろう。
ただ、明確に40代という設定があったし、なぜだかトレーナー、それもからし色ないしくすんだ水色という設定があった。ここが私なりの味付けだ。

思い込みとは怖いもので、漫画家と言ったら40代だろうと本気で決め込んでいたし、女性の漫画家がいることは知っていたにもかかわらず、漫画家というものの姿を想像するときは、かならず男性を思い描いた。

そのステレオタイプを自分勝手に育んでいくらか経った小学生の、あれは多分1-2年生のころ、そう、担任があの浅黒い肌の先生だったから、きっと2年生だ。
友人とある漫画の話になった。ペンネームが男性とも女性ともつかなくて、この作者はどんな人なのかという話題になる。

私は、その漫画家を、なぜだか女性かもしれないと思っていた。なのにだ。そう思っているのに、姿をイメージするとそこには40代の男性がいる。
ここで、自分の思考の中に矛盾があることに気づき、それは衝撃だった。

さらに衝撃が畳みかける。話していた友人は、この作家は男性で、20代と若く、しかも結婚しているのだというのだ。
情報の真偽はともかく、私は困ってしまった。それでは困るのだ。私のなかで漫画家は40代でなければならず、またいかにも異性受けをしない風体なのだから所帯を持っているなんてとんでもないことだ。

自分の中でも、そして内外でも多くの条件に矛盾が生じてしまった。これで私は、混乱の極み、なぜか泣き出したのであった。
場所は小学校の、屋内にあるレクリエーションができるホールだった(何か固有名詞があったがわすれた)。クラスメートや先生が集まって、たぶん友人に泣かされたと思われただろう。
申し訳ないことだ。自分で勝手に矛盾に混乱して泣き出した馬鹿のせいで、お叱りを受け友人に責められたであろう。ここに謝罪したい。

今となっては、偏見のオンパレードで、いくら7-8歳のころの思い出とはいえ、こんなことを文章に書きあげることすら憚られるようなものだ。
だが、7歳の私ほど短絡的ではないとしても、人は自分の中にも、そして人と人の間でも、イメージのコンフリクトを抱えているということは、大人であっても変わらないんじゃないか。

何の話か自分でもわからないが、そんなことを思う最近なのだ。


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