短編: 最期の言葉 最初の別れ
スーパーの軒先ではカーネーションが半額で売られ
母の日が過ぎたのを曜日以外で知る。
今年はカーネーションすら買わなかった。
うちの母は去年、ちょうど今の時期に他界した。
母の日を祝った数日後だった。
思ったより早く、思ったより静かに、思ったより呆気なく母は私の元から居なくなり、そして今日が来る。
母からの最期は
「凛は本当にかわいい」
瞼を閉じたまま、かろうじて聞こえる声は
『さようなら』でも『ありがとう』でもなかった。
母の痛みを私が代われたら、
私は今の辛さから逃げられたのに。
「代わってやりたい」
もう瞼を開ける気力すらない。呼吸はこんなに重くて身体から魂が離脱してゆくような、死ぬって死に際の人間しか分からないものね。
この世に名残がないかと言えば嘘になる。
凛のこれからをずっと見続けたかった。
27年間も母親にしてもらって、その内9年間は別々に暮らして見続けるもないが、
凛を片時も忘れたことはない。
凛が3歳の折、凛が入院したのもこの病院。
幼稚園に入園して1ヶ月した時期、
深夜、凛からする息遣いが荒く目が覚めた。
凛の頰へ手を当てると一瞬で高熱があるのが判り、
体温を測ると39度だった。
アイスノンを頭に敷いてやるが凛は小さな口を丸く開け、肩で息をしている。
翌朝は主人に近所のクリニックへ診察券を箱に入れてもらい、医院が開院する30分前には凛を診察へ連れて行った。
「お母さん、これは風邪ですよ」
白濁したオレンジのシロップを処方して貰い帰る。
ところが夕方には体温が40度に上がった。
体温は2時間おきに計測するが下がる気配がない。
高熱から3日目。
40度を維持したまま、凛は少量のりんごジュース以外、何も口にしない。
別の小児科へ連れていくが
「凛ちゃんは風邪ですね。様子を見ましょう」
体温や食欲、排泄を記録したメモを持ち、
別の病院へ行っても診断は同じ。
「初めてのお子さんですか?
神経質になるのも無理はないですね
点滴をしておきましょうか」
10日目が来た。
最初にかかったクリニックで凛を診てもらう。
医師は私の書いたメモをさっと見て、突き返す。
「長いからね、点滴しましょう」
凛の様子は一向に快方へ使わない。汗で細くて柔らかい髪の毛は束になり、口呼吸と咳が荒い。
「凛、しんどいね」
湿らせたハンドタオルで凛の額を拭いてやる。
凛が点滴の間、ベッドの脇にある丸椅子から凛の片手を握る。
クリニックのベテラン看護師が声をかけてくれた。
「凛ちゃんママはこの間も来てたでしょう?
今日で熱は何日目?」
私はバッグからメモを取り出し看護師に見せる。
「10日です」
看護師はメモを見ながら
「あ、あ、あ、先生を呼んで来ます」
それからは医師が凛のベッドまで来て、簡易検査し
「マイコプラズマ肺炎の疑いがある」
会計で紹介状をもらい、街中の大きな病院へ移動。
何度この子と代わってやりたいと願ったか。
病棟のどこかから
♪ 雨が上がったよ おひさまが出てきたよ
青い空の向こうには 虹がかかったよ
凛の熱が37度まで下がった時の歌が聴こえる。
「母たん、喉乾いた」
よだれが白くこびりついた口元から言葉が出た。
もう、私は安心して良いのだと分かる。
「凛は本当にかわいい」
なにも思い残すことはない。
*・゜゚・*:.。..。.:*・花咲ありすさん・*:.。. .。.:*・゜゚・*
お世話になります
記事をお借りし、インスパイアいたします
御母堂様におかれましては
心よりお悔やみ申し上げます
私の他界した父の誕生日が8日でして
不覚にも作品を拝読し、泣いてしまいました
誠にありがとうございます