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互いに多様性って棒で殴り合ってろ

わたし、間違っていたな…で
今週の口癖は「多様性でいいじゃん」

わたしの間違いは
「多様性とは、相互理解をした前提で
他者を受け入れる」だったが
この考えなら
話し合いをすれば戦争は起きないし
個人レベルでの諍いは絶える、筈が現実は…

寛容のパラドックス

フルイにかけたら、回り回って不寛容しか残らない
「私を理解して」「いや、僕の方も」
理解不可能なものは、理解できない

じゃ、理解できないものを置いていくのかというと、そうじゃなく
「互いにそんなもんだよ」干渉しないのが
多様性なんじゃないかって

バラバラでいい

例えば理想的な社会って
人の数ほどあって、話し合って、理解して
これって多様性じゃなく、均一化じゃん

それで自分の基準(価値観)と
一致したものだけが多様性
そうじゃなければ排他主義を取るとか
矛盾してないか?

仮に寸分も違わない同等の理想があったとして
その理想が皆に共有できて且つ話し合いで済むなら内ゲバは起こらない

動物愛護の視点から見たら、そうじゃない?
イルカを食べる日本の食文化を
動物愛護の方々が争っていた
2009年だったかな

自分は自分、他人は他人

モノを書いてりゃ定点が必要で
多様性と言っていられないけど
生活するだけなら、差別や迷惑行為じゃない限り
「世界は広いよ〜色んな人がいるんだよ〜
互いが存在していることを知ろうや〜」

自分とは異なる価値観へ首を突っ込み
摩擦を起こすより、マシ
心の中では「棲み分け、棲み分け」

それでも
誰かを排除や駆逐したいなど言ってる連中は
『排除・駆逐村』を作って
互いに多様性って棒で殴り合ってろ

そう思っちゃう