小説: ペトリコールの共鳴 ③
第三話 ネズミへのわずかな恩を
沈痛と悲愴を抱き合わせた冬から、
若葉が目に優しい5月になった。時は疾走する。
「子どもの日か…」意識したのは何十年振りか。
今年は祝ってやりたいがケーキを食わすのも戸惑い、子どもの日と言えば兜や鯉のぼりだが高額な物を買ってやるだけの金はない。
俺は大きな損失を出す寸前に助けられた。
体長がわずか20センチ足らずのキンクマハムスターは、たった1匹で俺を悪から逃してくれた。
思い出したくもない体験は日常の些細なきっかけで脳内再生されるが、今日はコイツのために祝ってやりたい。キンクマハムスターのキンクマだけを見ていたい。
うちのキンクマはケージの滑車に目もくれず、相変わらずyoutubeで音楽を流しては踊り続ける。
「タツジュン、見て見て!
♪ Bling-Bang-Bang Bling-Bang-Bang-Born」
キンクマは両腕を胸元に寄せ、リズムに合わせて小刻みに左右へ腰を振る。
そうだな……。
「あっ」
俺は机の引き出しから4色メモパッドを取り出し、キッチンから割り箸と爪楊枝を用意した。
「なにすんの?」
キンクマはきょとん顔で俺に訊ねる。
「お前はいいから、動画を観てなさい」
やり慣れないことは難しく、何度か角をミスったが爪楊枝で整えると形になった。3色ボールペンで書き込むと、それなりになる。最後は割り箸にこれらをテープで留めて。
曲にノっているキンクマの肩を人差し指で突く。
キンクマは笑った顔のまま、振り返る。
「これ、キンクマへプレゼントだ。
今日は子どもの日で端午の節句ってな、
子どもの成長を祝う日なんだよ」
キンクマは丸い目を更に丸くさせ、爪楊枝で作った刀を握る。
「すげ〜!鞘がついてる!サムライじゃん」
平な形を指で成形し、立体にしたものをキンクマの頭に被せる。
「この帽子は?」
「兜っていうんだよ」「カブト?」
キンクマは黒い画面のスマホの前に立つと
「ダース・ベイダーみたい!」
自分の姿を写してご満悦。
「魚の干し物は?」「鯉のぼり」
「コイノボリ?どういう意味?」
「子どもの健やかな成長を願うんじゃないかな」
キンクマは俺の顔を覗き込み
「それって、僕はタツジュンの子どもってこと?」
1番下の引き出しから、遥香が使っていた手鏡を取りキンクマの前に立ててやる。
「そうだ、俺の子だ。今日のお前も男前だよ」
兜を被って刀を持ったキンクマは、いつもより一段と逞しく輝いている。
もう終わった。全て終わった。
キンクマ、お前がいてくれたお陰で俺は困難を乗り越えられた。
お前が居なかったら今頃どうなっていたか、お前が大勢の人間を救ったんだ。
話せば夢やファンタジー小説として誰も信じない時間をキンクマとともに過ごした。