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noteでの平和、花を咲かせましょう

「noteって変わったな」
わたしが来た三年前と比較して

自由を担保するには「全ての自由を認める」
これはあってはならないワケで
最低限「他人の自由を制限する自由」に関して
認めちゃいけないもの

ところが
根拠のないデマや差別、脅迫が記事になり
これまで知的で冷静な方だと信頼していた人が
デマや差別、脅迫を容認し
コミュニティにおける馴れ合いの果て
悪辣を「あの人はいい人だから」で許容している

本来なら、根拠や証拠のないデマや差別、脅迫は
批判に晒されるのが現行で
noteには、言論の自由市場などない

他人に寛容であるnoteは
不寛容に対してだけ、寛容を認めちゃいかん

しかし、今は寛容のパラドックスに陥り
不寛容な書き手がnoteでは持て囃され
優秀な書き手がnoteから去った


◆◆◆
「noteって平和」の文言を見るにつけ
平和なんて本当は希少なんだよ
決着をつけない大人の対応によって
維持されているだけで、紛争は常にあるものと思う

人を傷つけない優しい世界は
『理論的』に存在しているだけで
実際に、長期的には実現できない世界

それは『平和を望む』が故に、争うこともあるから

平和を実現するためには
自分と違うものを許容する力がないと
自分の経験を超えたり、不本意があると
人はストレスを覚え、反発する

平和が壊れてしまうとき

自分と似た人ばかりと群れになるのは
客観性を見失い、自分絶対主義になりやすい
自分や仲間とは違う意見を
間違ったものと切り捨てるだけなら、まだいい

違う意見だから、ヘイトを匂わすスローガンで
攻撃が始まり、争いが生じてくる
相手を孤立や退会させようとする匂いが
デリケートな心の持ち主には、棘になる

平和って、国家間の利害を考えがちで
でも
一般の個人間にも相互理解は平和へ繋がるのだから
こうした小さな視点での
平和に着目していけたらいいね

ヘソで沸かした茶をすすりながら
「他人へ無関心になるのが救い」だと、ひと息つく

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