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「帰って来た 橋本治展」〜GWに神奈川近代文学館へ

GWである。遠出することもなく、おとなしくしている。2日に1回はジムに行き、ウォーキングする。かつてはエアロビクスのレッスンに参加していたのだが、都合の良い時間のものがなくなり、単に歩いているだけである。

4月29日、祝日スケジュールで臨時レッスンが午前中にあり、本当に久方ぶりに参加してみた。ついていけるか不安だったが、結構体が覚えていて、なんとかこなした。一風呂浴び、自由が丘から東横線で元町・中華街駅に向かった。目的地は神奈川近代文学館である。

駅を降りエスカレーターで5階まで上がって出口を出ると、アメリカ山公園があり、その先の港の見える丘公園に入る。一応、港を見てみるが、あまり美しいものではない。公園内の奥にあるのが文学館、そこで特別展「帰って来た 橋本治展」が催されている。橋本さんは2019年に他界された。没後、文学館は直筆原稿を含む資料の数々を、家族などから寄贈を受け、<橋本治文庫>として保存しているのだ。

私が勝手に師と仰いでいるのは、小林信彦と橋本治。両者とも、さまざまな形でこれまでの記事に登場している。

橋本さんは、1948年生まれ、私とは13歳離れているが、私の父親世代の小林さんとは違い、その活躍はリアルタイムで見てきた。小説「桃尻娘」(講談社文庫)の単行本が出たのが1978年、私が17歳の年で、なんだか面白そうな本が出たと購入した。

そして、当時の私は少女マンガにハマっており、1979年に出た評論集「花咲く乙女たちのキンピラゴボウ」は、マンガ作品を深く理解するための指南書だった。冗談抜きで、これによって「国語」という教科の意味するところがようやく分かり、試験の成績もかなり向上したと思う。

おかげで橋本さんの後輩になることもでき、家まで遊びに行ったこともある。

私がボヤッと生きている間に、橋本ワールドはどんどん広がっていった。小説・マンガ評論、編み物、そもそもの得意分野であった歌舞伎やアート。さらには、社会に対する鋭い洞察、そして古典文学。

この特別展は、こうした橋本ワールドを改めて提示してくれている。

展示品を見ていると、胸がしめつけられるようだった。すっかり忘れていた橋本作品、特に1980年代にせっせと買い求めた本を目の当たりにすると、橋本治という人が、私の中に多くのものを埋め込んで行ったことを思い出す。

そして、橋本さんが、もうこの世にいない現実が目の前にある。

それでも、著書を中心とした橋本治ワールドはこの世に残っている。私が消化していないものも、まだまだ沢山ある。

橋本治は、たしかに帰って来た


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