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弘法大師さまを怒らせたせいで干上がってしまった川の伝説【お寺でわたしも考えた】vol.6

【お寺でわたしも考えた】は、私が日々何となく思ったことをつらつら書いていくエッセイコーナーです。

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10年くらい前でしょうか、父と車に乗っていたときに聞いた話です。たしか、お盆の棚経のお手伝いで、私が運転手をしていたんだと記憶しています。

車を走らせていると、大きな川と思しきところに橋がかかっていて、その上を車で通ったのですが、橋の下を見ると砂利ばかりで水がまったく流れていませんでした。幅30mはあろうかという広い河原が、どこまでも続いています。

「この川、枯れちゃったのかなあ」と私がつぶやくと、父は「いや、ここの川は昔っから枯れてんだ」と言いました。昔から、普段は枯れていて、大雨が降った時だけ水が流れる、という感じなのだそうです。

父は続けて、この「水なし川」にまつわる話を教えてくれました。

昔むかし、このあたりの村に、薄汚れたみすぼらしい姿の坊さんがやってきて、水を一杯めぐんでくれないかとたずねまわったが、誰も相手にしなかった。

するとその坊さんが怒って、持っていた杖でドン!と地面を突いた。近くを流れていた川が、たちまち干上がってしまった。

あのみすぼらしい坊さんは弘法大師こうぼうだいしさまで、きっとばちがあたったんだ、と村人は後悔した。

「人から聞いた話だから、本当にそういう伝説があるのかどうか知らないがな」と父は言っていました。調べてみると、「引沼(蟇沼)ひきぬま伝説」としてだいたい同じような話を紹介しているサイトがありました。

このサイトによれば、同じ「引沼(蟇沼)」という土地の伝説で、「弘法大師さまに水をご供養しなかったばちがあたって川が干上がった話」と、「弘法大師さまに水をご供養した功徳で湧き水が出た話」の2種類があるではないですか。川が干上がってしまった一方で、同じ地域に、水が湧いてきていたんですね。正直、「川が干上がったあと、村人はどうなってしまったんだろう」と思っていたので、ホッとしました。

ところで、私はこの話を父から聞いたとき、「かわいそうに、相手が弘法大師さまだとわかっていたら、村人だって喜んでお水をご供養しただろうになあ」と思ったのですが、今になって考えてみると、「いや、そうとも限らないかもしれないな…」と思います。

弘法大師さまと言えば誰もが知る名僧です。そのような徳の高い方がこんなにみすぼらしい姿でいるわけがない、きっとこの坊さんが水欲しさにホラを吹いているんだろう、と思われてしまうような気がします。

そもそも、「川が干上がってしまった」という結果がもたらされたからこそ、「あれは弘法大師さまだったんだ」と思えるわけです。怒ったお坊さんがドン!と杖をついたとしても、その後、不利益なことが起こらなければ、何とも思われず忘れ去られていたでしょう。

よく、肩書きだけで人を判断するな、と言いますが、見た目と肩書きが釣り合っていなければその肩書きすら人に認めてもらえないし、肩書きがなければ話も聞いてもらえない、というのが現実なのかもしれません。

立派に見える人に対しても、そうでもないように見える人に対しても、分けへだてなく親切に接することのできる心を持っていたいなあと思います。

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今回の記事は以上になります。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

それでは、また。



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