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翻訳者じゃない人にAI翻訳の修正がいかに苦痛か説明するよっ!

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こんにちは。翻訳ジャーニーです。猫も杓子も口を開けば「エーアイ、エーアイ」と言うようになった感のある昨今ですが、翻訳業界でもそのトレンドは変わりません。

ここでは、AI翻訳(ニューラル機械翻訳)の結果を人間が修正するポスト・エディティング(PE)についてお話しします。とりわけ、多くの翻訳者がPE作業を苦痛に感じる理由を書いてみたいと思います。この記事を書くに当たって前提としたことを以下にまとめておきます。

この記事は、AI翻訳(以下「MT」と書きます)が成功していると言われているメディカル系の一部の分野と特許系の一部の分野には該当しません。MTとPEが商用レベルに達していない(前述の一部ジャンルを除く)産業翻訳・実務翻訳の全般と、文芸、映像、エンタメなどの翻訳を想定しています。この記事では人間翻訳の品質を「HT品質」と呼んでいますが、当然人によって出来は様々です。ここでは「毎日HTの仕事がもらえている、良質な翻訳者」くらいのイメージで書いています。英日翻訳の場合を書いています。

この記事で前提としていること

あと、参考程度に私に関する情報も置いておきます。

私の翻訳分野はマーケティング、人事、サイバーセキュリティ、物理セキュリティ、ファッション、ジョークなどです。ゼロから翻訳することは少なく、ほとんどが他人の翻訳をチェックする仕事をしています。ポジションとしては、翻訳チームを編成してとりまとめるチームリードという仕事をしています。翻訳歴20年。現在フリーランス。外資系多言語翻訳会社での勤務歴あり。

翻訳ジャーニーについて

では、AI翻訳の修正がなぜ多くの翻訳者にとって苦痛なのかを、一般の方に向けて書いていきます。

報酬が安い

ゼロから翻訳するHT(Human translation)の価格が100だとすると、MTの手直し(PE)は60~80くらいです。80ならPEとして高価格だと思います。なかには50やそれ以下もあると聞きます。ここでは70という数字を仮に当てて考えていきます。報酬が安いのは、AIの下訳があるのだから、そのぶん早く仕事がこなせるから、というのが理由らしいです。

MTPEでも求められる品質はHTと同じ

PEだからって、報酬が低いからって、仕事が適当でよいということにはなっていません。PEの基準を定めるISO規格があり、そこではMTPEの最終品質はHTと同じ、ということになっています。(ぶっちゃけこれは建前になっている気がしますけど。)

MTPEでHTと同じ額を稼ぐには1.25~1.66倍の速度が必要

仮にPEの報酬がHTの3割引きだとすると、HTと同額を稼ぐには1.43倍の速度で処理していく必要があります。HT翻訳者が1時間に300英単語を訳している間に、PE作業者は429英単語を処理する必要があります。ざっと1時間にA4で1ページを訳す計算です。かなりテンポ良く進める必要があり、時間をかけた調査はあまりできません。

MTの出力が間違っている、または話の流れがぎこちない

MTの出力には間違いが混入しています。もちろん、それを直すのがPEの仕事です。PE作業者はここで2つの相反する優先事項のバランスを取る必要に迫られます。

  • HTと同じレベルの品質に仕上げる必要があるが、それでは時間がかかり、報酬が減ってしまう。

  • テンポ良く進めようとすると、十分な調査ができなかったり、細かい部分の修正まで手が回らない。

この2つのバランスを取った最適解はこうなります。

ギリギリOKなところは修正せずにスルーし、明らかにだめなところだけを修正する

こうしなければ、HT比で1.43倍の速度(3割引きの場合)になんてなりません。仮に、PEにかかる時間がHTと同じだったとしたら、報酬が30%も減ってしまいます。50万円の売り上げを出していたのが35万円になってしまうと考えると、この差は大きいですよね。しかし、問題は報酬だけではありません。

少し回り道になりますが、従来よくあった「ベテラン翻訳者が翻訳をして、新人翻訳者がそれをチェックする」というパターンが新人の育成に効果的だったという話を先にしたいと思います。翻訳のチェックというのは、一次翻訳者の頭の中をパカッと開けて、その翻訳回路とも言うべき論理の流れを追いかけて、追体験・再チェックする仕事です。新人翻訳者は、ベテランの翻訳回路を辿りながら学習し、自分がゼロから翻訳するときにも同様の動きができるようになるのです。

一方、MT/AI翻訳が出力した一次翻訳をチェックするとどうなるでしょうか?MTは人間の思考回路とは違う出力をします。過去の大量のデータを集めて、確率論的な根拠を基につぎはぎしてきます。MTはいわゆる人間的な脳内の回路とは違うしくみで訳文を吐き出しています。新人が人間的な思考から逸脱した理屈を脳内で追体験していると、ゼロから良い翻訳を作る回路は育ちません

MTPEを続けると脳内の翻訳回路が壊れていく理由

さらに悪いことが起きます。ギリギリOKなところは積極的にスルーしていくと、その合格ラインがずるずると下がっていきます。「人間なら普通そうは書かないよね?」と突っ込みたくなる部分でも、ずっとPEをやっていると「でも、絶対にだめな表現じゃないからいいじゃないか」となってくるのです。

すでに翻訳回路が鍛えられているベテランなら、自分の翻訳筋肉が破壊されていくこの工程がとっても苦痛です。まだ翻訳回路が鍛えられていない新人なら、おかしな翻訳回路が作られ、おかしな審美眼(審美脳?)ができあがってしまうと思います

調査に時間が使えないのも致命的です。翻訳の仕事はタイピングしている時間よりも調べ物をしている時間の方が長いはずです。毎日とっても長い間、言語的な調べ物や技術的な調査をずーっと続けて腕を上げていくのです。MTPEではそうした時間的な余裕がありません

優秀な翻訳者ならHTの仕事だけでスケジュールは埋まるので、積極的にPEはやりません。PEをメインで仕事をするのは(くどいですが一部の分野を除いて)仕事が安定していない新人や翻訳志望者となるのです。

そもそも、HTがちゃんとできる人じゃないとPEができない件

ここでちょっとちゃぶ台を返しちゃうんだけど、HTがきちんとできるレベルにならないと、PEの仕事はできません。「てにをは」を直すだけじゃなくて、間違いを見つけて、検証して、裏撮りをして、調べて、過去のプロジェクトとの整合性やスタイルを合わせて、修正して、最終的にHTと同じ品質にするなんて、プロのHT翻訳者じゃないとできませんよ。嘘だと思うなら記事の最後にあるMTPEを体験してください。15分で売り物クオリティになれば合格です。

でもプロのHT翻訳者はHTの仕事で手一杯なのでPEをやらないんですよ。なんというか、「大卒じゃないと入社できない会社の給料で子どもを大学に行かせられない」みたいな、とんちんかんなことが起きているんだと思います。

  • そもそも、PEをやるには十分な翻訳能力が必要

  • でも、十分な翻訳能力がある人はPEをやらない

  • だから、新人や志望者がPEをやる

  • なのに、PEをやり続けても翻訳力は伸びない(というか落ちる)

悲劇ですよ、喜劇ですよ、悲喜劇ですよね。

この記事に反響が多ければ、次の記事では「本当にAI翻訳ってそんなに質が悪いの?」みたいな話をしたいと思います。

おまけ:MTPEにチャレンジ!

参考までに、Wikipediaのビットコインのページから1パラグラフだけGoogle翻訳にかけた結果を載せておきます。よかったら、これをベースにPEをしてはいかがでしょうか。時間を計って取り組んでみてください。制限時間15分で納品クオリティにできるでしょうか。

【お願い】皆さんがPEした結果は、この記事のコメント欄には書き入れず、ご自身のブログやツイッターなどに載せてください。その際に、可能であればこちらに記事にリンクをお願いします。

Based on a free market ideology, bitcoin was invented in 2008 by Satoshi Nakamoto, an unknown person.[6] Use of bitcoin as a currency began in 2009,[7] with the release of its open-source implementation.[8]: ch. 1  In 2021, El Salvador adopted it as legal tender.[4] Bitcoin is currently used more as a store of value and less as a medium of exchange or unit of account. It is mostly seen as an investment and has been described by many scholars as an economic bubble.[9] As bitcoin is pseudonymous, its use by criminals has attracted the attention of regulators, leading to its ban by several countries as of 2021.[10]

https://en.wikipedia.org/wiki/Bitcoin

自由市場のイデオロギーに基づいて、ビットコインは 2008 年に無名のサトシ ナカモトによって発明されました [6]。通貨としてのビットコインの使用は 2009 年に始まり[7]、そのオープンソース実装がリリースされました。[8]: ch. 1 2021 年、エルサルバドルは法定通貨としてこれを採用しました。[4]ビットコインは現在、交換媒体や会計単位としてではなく、価値の保存として使用されています。これは主に投資とみなされており、多くの学者によって経済バブルと表現されています[9]。ビットコインは偽名であるため、犯罪者によるビットコインの使用は規制当局の注目を集め、2021 年現在、いくつかの国で禁止されています。[10]

https://en.wikipedia.org/wiki/Bitcoin を Google 翻訳で出力



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