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ヒトはパティシエに向いているものと向いていないものに分かれる

お菓子をつくるのが好きだ。自分の好きなバターや小麦粉を使って自分好みのケーキやクッキーをつくるのが好きだ。わたしはエコババ(※)なので、国産の小麦粉や平飼卵を使い、ベーキングパウダーを使わず、卵白の力のみでケーキをふくらませたい。ベーキングパウダーはお菓子の味をじゃまする気がするし、化学物質のちからでケーキをふくらませるなんて邪道だ。なんてことを10数年前までやっていた。その結果、何ができたか。

卵白をどんなに泡立ててもぺしゃんこになるスポンジケーキやレンガのようなバターケーキ、ボリボリとした食感のクッキーができた。ケーキは必ずふくらまないし、どうかするとクッキーすらもふくらまない。味も歯ごたえも抜群だけど(ケーキに歯ごたえを期待してどうするのか、という問題は別として)、見栄えの悪いケーキしかできないので、最近文明の利器(ベーキングパウダー)を使ってみることにした。その結果、何ができたか。

ベーキングパウダーを入れてもスポンジはぺしゃんこになり、バターケーキはあいかわらずレンガのように硬い。どころか、サクサク生地のはずのクッキーはさわるとはしから崩れる粉々クッキーに、ふんわり仕上がるはずの蒸しパンはただのでかい団子に、混ぜるだけカンタンレシピ・サーターアンダギーは石ころになった。これはどうも、ベーキングパウダーだけの問題ではないらしい。そこであることを思い出した。

以前の仕事でフレンチのシェフにレシピを提供してもらっていたことがあった。彼は快く自分のレシピ提供をしてくれたのだが、そのときにこんなことを言った。

「レシピはレシピでしかありません。レシピ通りつくったとしても、私と同じ味には絶対にならない。料理には材料はもちろんですが、経験やカンも必要です。だからレシピをオープンにすることになんの問題もないんです」

「オリジナルレシピで著作権が」などと言う料理家もたくさんいるのに、すごいな、と思っていたら、続けてこう言った。
「お菓子だけは別ですよ。お菓子はレシピが命です。だから私はパティシエにはなれない。アレンジやカンでお菓子は作れないんです」

料理をするときわたしは分量を気にしない。どうかするとレシピを一瞥しただけでテキトーにつくることもある。それでもそれなりの味になるし、自分にはおいしく感じる。家庭料理だから、レストランで提供される「いつ行っても同じ味、同じおいしさのもの」でなくていいと思っているので再現性にもこだわらない。いつ食べてもちょっと違うけどおいしいからOK! なんだったら自分は料理がうまいのではないか、などと妄想したりする。レシピの「小さじいっぱい」を量らず目分量で料理をつくる人は、たぶんわたしの仲間だ、家庭料理の王者だ。

しかし「小さじいっぱい」を必ず量る人たちがいる。彼らはレシピに分量を要求する。「適宜」と書いてあると怒ったりする。いつ食べても同じ味を家庭料理でも目指し、自分の失敗を許せない。どうかすると自分は料理が下手だと思いこんでいることもある。しかしこの人たちがお菓子を作れば、必ずふわっとふくらんだスポンジケーキやふんわりしっとりバターケーキ、サクサククッキー、ふわふわ蒸しパンができる。彼らはうまれついてのパティシエなのだ。

世の中には、パティシエに向いている人とそうでない人がいる。シフォンケーキを息をするようにつくることができる人になりたいと思うが、まずは小さじを買うところからスタートである。さて、みなさんはどちらです?

※エコババ オーガニック界隈に生息するエコな生活を実践しているオバサマたちのこと。軽めから超ド級までさまざまなのでいつかエコババについて書きたいと思います。

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