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【競馬の新常識】「競馬老害」?~「競馬学」創ってみない?~#0

割引あり

こんにちは。
新たな試みです。

競馬界は体系化された知がない、というのは前から述べてきた通り。
いわゆる「競馬学」たるものがありません。でも、それを作る余地はある。

その前に。
あなたの持っているその価値観、それを疑うところから始めましょう。

「老害」という言葉ご存じでしょうか。先日「ソフト老害」という言葉を聞き、「老害」という言葉について、今日お風呂に入りながらそもそもなんで「老害」になるんだろうか、と考えてみました。
いつか私も「老害」と呼ばれる人が来るのだろうと、いやもしかしたらすでに「ソフト老害」なんじゃないだろうかとも思います。
キャッチ―に言うと、「自分こそが正しい!」みたいな感じで、自分の常識や当たり前、知識などなどを押し付けるみたいな人が「老害」とカテゴライズされるかなと思います。

ただ、「老害」の特筆すべき事項として、本人にその自覚がないということが上げられるかなと思います。「良かれと思って」という感じ。実際に「老」でなくても、学校の教師、親などにも良くあてはまるかなとも思います。なぜこうなってしまうのか。

まず考えられるのは、「自分(X)はその人(A)の人生に何かプラスのことをできるはずだ」という思考かなと思います。実際は、Aにとってのプラスや幸せというのはAにしか決められないし存在しないものなのですが、Aにとっての幸せをXが決めつけてしまっているわけですよね。「このことを知っておくことはプラスだ」「こういう思考を持っていると幸せになれる」「これこそが正しい」といった感じで。

次に、自分の価値観を疑うことができない、ということもあげられると思います。そういう人が恐らく99%くらいだとは思いますし、なかなか自分が思っていることを疑う、というのは難しいです。ただ、この考えが無いと、特に最近のアルゴリズムが支配する世界では、エコーチェンバーだったり、フィルターバブルだったり、どんどんその傾向が加速してしまう傾向にあります。

最後に、自分の反対意見を遠ざけることもあるかなと思います。どうしても自分とは違う意見、(批判を攻撃と解釈する人が多いように)を拒絶してしまうことがあるかなと思います。センメルベイス反射なんかはその典型かなと思います。そうすると、まるで今のSNSのアルゴリズムがそうかのように、自分と同じ意見しか周りに存在しなくなり、より自分こそが正しいという思考が強化されてしまうのではないかなと考えました。

これが考えた、「老害」あるいは「ソフト老害」になる理由です。

ではどうすればいいのか、ということについてはたくさんあると思います。
例えば…

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