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「アルジャーノンに花束を」を読んで

とにかくすごい本だった。

精神遅滞(この言い方は差別的なのはわかっているが、本文がこう言っているのでこの最初のときだけはそれに準じようと思う)の青年が賢くなり、そして見えてくる世界の汚さを丁寧に書いている。

ダウン症のひとたちは、見ている世界があまりにも幼すぎて、なにも知らないからこそ、愚かで不幸だ。そんな見方をしている差別的なひとたちがきっといるだろう。バカみたいに単純な世界で生きていて、その世界はあまりにも幼く未熟だと。ただ、調査が示しているように、彼らは幸福なのだ。ダウン症だから、あるいはある意味において愚かだからではない。世界の汚さを見ずにすむからだろう。

障害者は不幸だ、と言ってしまうことについて、いくつか思うことがある。障害者の声というのは、いとも簡単に歪曲される。それは良い方にも悪い方向にも進む。障害者の生の声をきくのは難しい。なぜなら、障害者自身にもスティグマがあり、模範解答と実際の思考回路には差があることが様々で、かつ言論の自由があまりないからだ。

「障害があっても私は幸せです」と言えるひとというのは、あくまで多数の屍の上で生き残り、国旗を掲げ、国に忠誠を誓い、私達は決して怖がることなく、国のために頑張りましたと言ってしまうことのようなものだと思っている。その旗の輝きだけを見て、障害者「でも」案外幸せそうじゃん、と思うのはあまりにも早合点がすぎる。それはあくまで、障害を受容できたひとの意見に過ぎない。その道には多数の骨と死体と飢えゆく者たちの叫びがある。私は障害者だが、障害を受容したことなどない。運命を呪ってもなにも変わらないのはわかるからそんなことはあまりしないが、障害があっても楽しいです、私は幸せです、などとはとても言えないものだ。

障害者が健常者になり、また障害者になるといったことは、実は案外起こり得る。例えば、足が悪く車椅子を使っている少女が、リハビリを頑張った結果立てるようになり、ただ病気が進行して今度は寝たきりになる、などといったもの、あるいは、精神障害だとその波はより顕著になる。健常者と障害者のスペクトラムは、意外と近いものだと思う。

この本は、なにが良かったかというと、障害者のリアルな声のうちのひとつだと思うからだ。設定はかなり非科学的で、かつ小説チックなものだが、もしそんなことが起きたなら私もそうするだろう、あるいはそうはしないだろうといったことが真面目に誠実に書かれているからだ。

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