頑張ったひとの食卓に、美味しいものがありますように。
私の知り合いが、ガンから寛解した。
私の友達が、試験に合格した。
私の家族が、仕事で良い賞をもらった。
そんなことがあったら、私はせめて彼らの食卓の上に、美味しいごはんがあってほしいと思う。
高いものでなくていい。
1回5万円の贅沢なんてしなくていい。
美味しいものというのは、値段に比例するところもあるけれど、たとえば300円の抹茶のロールケーキだって十分に美味しい。
美味しいものを食べると、ひとは幸せになる。
それはその通りだが、美味しいものを食べて美味しいと感じられるのは、美味しいと言えるのは、心身の安全と安心があってからのこそだ。
精神的にひどく追い詰められていない。
空からミサイルが降ってくる心配もない。
あした1日中空腹で過ごすという心配もない。
仕事で精神を病んではいない。
そういったことが無限に絡まった、複雑に絡まった、そんなちいさな糸の絡まったところに、私達の日常はある。
それなら、せめて美味しいものがそこにあったっていいじゃないか。
あした死んでしまうかもしれない私達のことだ。
あした国が壊れてしまうかもしれない。
あした新型ウイルスが世界を震撼させるかもしれない。
あしたテロに、災害に、戦争に、貧困に、事故に、事件に、巻き込まれる可能性だってある。
実際に、世界のどこかでは今日もひとがひとを殺しあっているのだから。
それなら、せめてそのちいさな糸の結び目の上で、祝宴を開こう。
今日も頑張って生きたということに乾杯する、ちいさな宴を。
そして、私達は今日も生きた。頑張って生きた。
目の前の仕事や勉強や家事や、そういったものを頑張ってしてきた。
誰がなんと言おうと、私達は頑張った。
だから、美味しいごはんが私達を待っていたっていいじゃないか。
あしたがもっといい日になるように。
そういった祈りを込めながら、今日も私達は食卓をつくる。
そこにひとりしかいないとしても、そこにいない誰かのことを思いながら、そして世界の誰かのことを思いながら、私達は食べる。飲む。生きる。語り合う。美味しいねと言い合う。
食卓は、とってもいとおしい場所だ。
そこはただただ生命を維持するための場所じゃない。
今日いちにちの疲れを取り、癒し、明日につなげる場所だ。
頑張って生きた皆さんに、美味しい食事がありますように。
美味しいと思えるだけのこころの余裕がありますように。
美味しさを分け合えるひとがいますように。
留学資金などに使います。ご支援よろしくお願いします。 また、私が欲しい本を集めたほしいものリストも公開しています。 https://www.amazon.co.jp/hz/wishlist/ls/9WBR0K7KWYX8?ref_=wl_share/