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英語がうまくなりたければ、イタリア語をやったほうがいいという提案

英語がうまくなりたければ、イタリア語をやったほうがいい。

これが私の持論だ。

英語力を上げるために、英語だけやっていると、意外とすぐ限界が来て厳しくなる。

英語という眼鏡だけで世界を見ていると、そこから得られる刺激は限られてくる。そして、英語力を上げるには、とくにリーディングで知らない言葉を推測しながら読む力をつけるには、語源の知識が必要になる。

これは、受験勉強などの短い時間かつある程度型が決まっている勉強では向かないだろう。ただ、海外留学などの場合に、中長期的かつ学術的な英語が必要になる場合、語源の知識がより役立ってくる。

英語の語源としては、ラテン語系統の言葉と古典ギリシア語系統の言葉がある。どちらも死語となっている現在、それらを学んでも実利はあまりないかもしれない。語学オタクにとってはなかなか面白い言語なのだが、少なくともラテン語だけが話せるようになっても、誰かとコミュニケーションをとれるようになるわけではないことは確かだ。ただ、ラテン語が話せるようにならなくても、ラテン語のような、語源を理解するのに助けになる言語は、ほかにもある。しかもその言語は現在使われていて、5800万人の国語となっている。それがイタリア語だ。イタリア語はラテン語を簡略にして、しかもそれが扱いやすくなっていて、しかもそれが現在使われている言語だ。

さらに、英語はノルマンコンクエストの影響で、北欧の言葉の影響もうけたし、フランス語の影響もうけた。それだけを考えると、フランス語を学んでも英語をより理解するのに役立つだろう。ただ、私の肌感覚では、フランス語はイタリア語よりも難しい。それは、発音が結構難関で、覚えにくいからだ。

イタリア語を学ぶと、イタリア人がとっても喜んでくれる。「あなたイタリア語できるの?」とわかると、イタリア人は嬉しそうにしてくれる。そして、たとえちょっとでも話すと、声の色や会話のトーンを一気に変えて、惜しみなくイタリア語をほめてくれる。英語ができても、アメリカ人やイギリス人はここまで喜んでくれないのに…。そうすると余計に自己肯定感が上がって、言語の勉強は楽しいことばかりではないのに、頑張ろうと思えてくる。

実際、イタリア語ができると英語がわかるようになる。

私は英語(というより英語帝国主義といって、他言語よりも英語に重きを置き、英語がすべてだと思い込む社会の風潮)が嫌いなので、英語をすごくやりたいわけではないが、それでも面白いと思える。

たとえば、「記念日」といった意味がある anniversary について考える。

イタリア語で「年」は un anno / gli anni となる。前者は a year で後者は years に相当する。

イタリア語で versare といえば、「注ぐ」といった意味だ。これはラテン語の versare 「回転する」に由来する。

anni を versare すること、つまり、中華料理店にあるようなテーブルが1年だとして、それを回すということ。そして、それが1周するということは、つまり同じ日に戻ってくるということだから、「記念日」という意味になる、と説明できる。

これは半分正しくて半分適当な説明だが、こういったことがイタリア語を学んでいるとよく起きる。

英語で自動販売機は vending machine と言う。

あまり vending という単語を聞かないし、このときしか使わないと思えるが、これもイタリア語で解決できる。

イタリア語で「売る」は vendere である。ものを売る機械ということだ。

こう考えると、あくまでも基礎的なイタリア語を学ぶことで、英語の知識も増えるし、イタリア語という新しい言語を身に着けることにもつながる。

英語に行き詰まったら、イタリア語をやってみることを心からお勧めする。新しい旅のはじまりだ。

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