【適応障害になった大学生】 私が歌う理由、生きる理由
このふたつの詩は、わたしが好きな合唱曲集『二つの「理由」』(三宅裕太さん作曲)の歌詞の一部。
私にとって音楽は、青春であり、人生の豊かさそのもの。
言葉に音階やリズムが付くことで、詩の世界がどこまでも広がって、自分の知らない感情と出会うことができる気がするのである。
私が唯一、感情を解き放てる瞬間が、歌を歌っているときだと思う。
だから、「私が歌う理由」は、きっと自由になるため。
私の中にある、言葉にならない感情を解き放つため。
そう、それでも歌いつくせないのである。この感情は。
もどかしい。でも、それほどの感情と出会えることはとても豊かだ。
音楽を通して、いろんな詩と出会った。
歌っているときは、目の前にその詩の情景が一面に広がる。
音や匂いを感じる。
まるで、詩に体を乗っ取られたように。
そして、一番「生」を感じる瞬間でもある。
感じているのはまさに私なのだけど、そこにいるのは私ではないようなそんな気持ち。
うまく表現できない。
足りない。
歌っても歌っても、私の感情はそんなものじゃ足りないくらい、どんどん溢れてくる。
歌はそんなに得意じゃないし、あんまり自信はない。
だけど、私の人生そのものだと思う。
今はあまり歌えない。歌うには体力が必要なんだな。
歌いたいという欲求は、健康だからこそ生まれてくるものだったのかもしれない。
それほどまでに、感情を解き放つというのは、エネルギーのいることなのだろう。
それでも、私はまたいつか今までのように歌いたいと思っている。
いっぱい休んで、充電が完了したら、きっとまた今までのように感情いっぱいに歌うことができると信じている。
また、体から音楽が溢れてくると。
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