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沁みる

 気分転換も兼ねて、家の大掃除をしていたら、昔使っていたショルダーバッグが発掘された。
 元は黒一色だったが、所々が擦り切れて灰色になり、濃淡が生まれている。バッグの中身を確認すると、藍色の袋が入っていた。
 袋に包まれていたのは、一冊の本。『池井昌樹詩集』(角川春樹事務所)。一度再読したくて、本棚周辺を捜索したが見つからず、泣く泣く「行方不明」認定した本だった。

 発掘されたバッグは、短期労働の現場に向かうときに、よく使用していた。つまり、その中に入れる本というのは、労働の行き帰りに読む用、ということになる。

「ぼくの先祖のとおいだれかは
 実直な
 心根のごくやさしいおとこで
 それなのに いや
 それだからこそ
 過去のどこかで
 なんだかおおくのまちがいを
 たびかさねたのではあるまいか
 良い齢をして
 泣きながら
 たちぐいうどんをほおばりながら
 とうとつに ぼくはそうおもう
 なにが悲しゅうてこんな時間に
 ひとめしのんでひとりっきりで
 さいごのつゆまでのみほすのか
 なんでこんなになさけないのか
 そうおもいながら
 あたりをみやると
 飯台の木目も霞むはるかかなたで
 泣きながら
 とおいだれかも
 うどんに七味をふりかけるのだ」
『池井昌樹詩集』角川春樹事務所、P61〜62)

 レシートが挟まっていたページを開いて見ると、ちょうど私の好きな詩が載っていた。一部引用してみる。
 当時、沁みたんだよなぁ、と初めて読んだときのことを思い出す。短期労働終わりの疲れた身体を引きずって、近場の麺類の店に入り、よく腹を満たしていたから、この文章を我が事のように受け取ったのを覚えている。

「いまはもうあとかたもないあなたの
 人生
 ほんとうは
 いたかどうかもわからない
 あなたをぼくはしっています
 ささえられるだけささえてきた
 うまいはなしはひとつもなかった
 泣きながら
 さいごのつゆまでのみほしてきた
 なさけなかった
 ぼくはあなたをしっています
 こんなにも
 ああしっています」
『池井昌樹詩集』角川春樹事務所、P63)

 今読み返せば、数年前の私は「先祖のとおいだれか」に思いを馳せてはおらず、泣きながら「さいごのつゆまでのみほして」はいない。それなのに当時は、この詩を強い共感をもって読んだ。
 短期労働に対しては、心身共に擦り切れて、ぼろぼろになった思い出しかないが、そういう状況にいるからこそ、より深く味わえる本があったことだけは、忘れずに憶えておきたい。



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