広告観察
現代社会で生きていく限り、逃れられないものがある。「広告」だ。
自宅にいようが、外にいようが、広告は私たちの周囲を取り囲み、ある商品やサービスにお金を支払うことを、あらゆる表現方法を駆使して求めてくる。
いくら「広告に釣られて、商品を買うことはない」と胸を張っていたとしても、広告の持つ影響力と無関係ではいられない。広告は人々の購買欲を高めるために、ある商品やサービスが必要条件となるような社会像や人間像を提示してくる。そのメッセージによって社会全体が変容するなら、そこに生きる個々人も影響を被らずにはいられない。
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気付かぬ間に、広告が提示する社会像や人間像に適応してしまっていた、という事態を避けようと思えば、自身の周囲にどのような広告が展開されているのか、意識的に観察する態度が求められる。
ここで一つ、ある本から文章を引いてみたい。
引用元の『ジェンダー目線の広告観察』は、写真研究者による広告観察の実践とその分析が纏められた一冊。
著者の小林美香も指摘するように、普段私たちは、生活空間に展開される広告をまじまじと見ることはなく、そのほとんどをノイズとして処理している。まさに「視覚のノイズキャンセリング機能」だ。この機能をオフにすることから、意識的な広告観察は始まる。
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『ジェンダー目線の広告観察』では、著者が実際に行った広告観察の一例として、「脱毛広告」観察が紹介されている。その中に「男性脱毛広告」の特徴について詳述した一節があるのだが、これが大変面白い。
男性の脱毛広告で提示されるのは、「デキる男」という一つの理想像である。
個人的な感覚を言えば、私は男性の脱毛広告に対して、ぼんやりとした違和感のようなものを感じてきた。その違和感がなぜ生じるのか、今まで深掘りすることはなかったわけだが、本書の指摘によって、その内実が摑めた気がする。
違和感の原因は、男性が脱毛することの是非にあるのではなく、広告で提示される男性像の"偏り"にあったわけだ。「脱毛しない男性は二流」と言わんばかりの、広告のメッセージに。
違和感に晒され続ければ、いずれ感覚が鈍くなり、広告の提示する像を「普通のこと」として受け止めるようになる。こう考えると、大変おそろしい。
定期的に広告を観察することは、この事態を避ける上での、一つの処方箋になると言えそうだ。
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