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広告観察

 現代社会で生きていく限り、逃れられないものがある。「広告」だ。
 自宅にいようが、外にいようが、広告は私たちの周囲を取り囲み、ある商品やサービスにお金を支払うことを、あらゆる表現方法を駆使して求めてくる。
 いくら「広告に釣られて、商品を買うことはない」と胸を張っていたとしても、広告の持つ影響力と無関係ではいられない。広告は人々の購買欲を高めるために、ある商品やサービスが必要条件となるような社会像や人間像を提示してくる。そのメッセージによって社会全体が変容するなら、そこに生きる個々人も影響を被らずにはいられない。

 気付かぬ間に、広告が提示する社会像や人間像に適応してしまっていた、という事態を避けようと思えば、自身の周囲にどのような広告が展開されているのか、意識的に観察する態度が求められる。
 ここで一つ、ある本から文章を引いてみたい。

「「広告観察」は「身近にたくさんありすぎるがゆえに、普段はノイズとして意識の外に置いているような広告をあえて注視してみる」ということでもあり、視覚のノイズキャンセリング機能を外してみるような行為でもあります。」
小林美香『ジェンダー目線の広告観察』現代書館、P6)

 引用元の『ジェンダー目線の広告観察』は、写真研究者による広告観察の実践とその分析が纏められた一冊。
 著者の小林美香も指摘するように、普段私たちは、生活空間に展開される広告をまじまじと見ることはなく、そのほとんどをノイズとして処理している。まさに「視覚のノイズキャンセリング機能」だ。この機能をオフにすることから、意識的な広告観察は始まる。

 『ジェンダー目線の広告観察』では、著者が実際に行った広告観察の一例として、「脱毛広告」観察が紹介されている。その中に「男性脱毛広告」の特徴について詳述した一節があるのだが、これが大変面白い。

「(表現⇨対応する意味)
 ①スーツ姿で腕組み  職業・社会的地位・階層性
 ②白人男性のシックスパック  身体的強靭さ(健常性・人種意識と優位性)
 ③仲間(バディ)表現  誘い・同調圧力
 ④動物や有名キャラの登場  ふざけ・冗談の要素」
小林美香『ジェンダー目線の広告観察』現代書館、P84)

 男性の脱毛広告で提示されるのは、「デキる男」という一つの理想像である。
 個人的な感覚を言えば、私は男性の脱毛広告に対して、ぼんやりとした違和感のようなものを感じてきた。その違和感がなぜ生じるのか、今まで深掘りすることはなかったわけだが、本書の指摘によって、その内実が摑めた気がする。
 違和感の原因は、男性が脱毛することの是非にあるのではなく、広告で提示される男性像の"偏り"にあったわけだ。「脱毛しない男性は二流」と言わんばかりの、広告のメッセージに。

 違和感に晒され続ければ、いずれ感覚が鈍くなり、広告の提示する像を「普通のこと」として受け止めるようになる。こう考えると、大変おそろしい。
 定期的に広告を観察することは、この事態を避ける上での、一つの処方箋になると言えそうだ。



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