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河津桜とメジロ|文=北阪昌人

音をテーマに、歴史的、運命的な一瞬を切り取る短編小説。第9回は、短大の卒業旅行で訪ねた伊豆の地で、当時の同級生と40年ぶりに再会する「河津桜とメジロ」です。(ひととき2022年3月号「あの日の音」より)

 緑の香りを、胸いっぱいに吸い込む。冬の姿は影を潜め、春の匂いが満ちていく。

 私は川沿いを歩きながら、桜を愛でる。文豪、川端康成も愛したここ河津温泉郷の河津かわづ桜。深い桜色が風に揺れている。

 今、私の胸がドキドキしているのは、40年ぶりの再会が待っているからだ。短大時代の同級生、池澤美奈子と会う。この地は、一緒に卒業旅行で訪れたところ。40年……美奈子はどんなふうに変わっているだろうか。そして、私の姿は彼女の目にどんなふうに映るだろうか。思いをめぐらせて天を仰ぐと、真っ青な空が広がっていた。

 私は短大を出ると、商社に就職した。そこで今の夫に出会い、25歳で結婚。夫の赴任地、サウジアラビアで長男を出産した。世界中を転々として、日本に戻って来たのは40歳を過ぎてから。長男は就職し家を離れ、気がつくと定年を迎えた夫と2人きりの暮らしが始まっていた。

 美奈子は食品会社に就職したが、5年ほどで辞めてしまった。日本各地の生産者と販売店をつなぐネットワークビジネスを起業。最初は3人だった社員も今は200人を超える会社に成長した。お互い、忙しさにかまけて、会うことはなかった。年賀状だけのやりとりが続いていたが、彼女の忙しさは想像できた。去年、体を壊し入院。幸い手術もうまくいって現場に復帰した。今回の旅行は彼女の快気祝いも兼ねていた。

 背後に足音がした。振り返ると、そこに、美奈子が立っていた。

「ひさしぶり」

 笑う時にできる目じりの皺がなつかしい。

「ひさしぶり」

 私も笑顔で言った。

 40年前も、こんなふうに川沿いを歩いた。桜の濃いピンク色と菜の花の黄色が目を楽しませてくれる。

「40年ぶりって、なんかすごいね」

 美奈子が言った。

「そうだね、お互い、いろいろあったけど、よくもまあ、無事に生きてこられたね」

 私がそう言うと、彼女はおかしそうに笑った。

 思ったより、話すことはなかった。学生時代の思い出も、これまでの道のりも話す必要がないような気がした。こうして並んで歩くだけで十分だった。

「あ」と美奈子が歩みを止める。

「え?」

 彼女の視線の先をたどってみると、桜の木に1羽の鳥が見えた。緑色の可愛い小鳥。

 ピーチュルチー。奇麗な声で鳴く。メジロだ。

「あの声、40年前も聴いたね」

 そうだ、確かに聴いた。

 ピーチュルチー。今はなぜか、メジロのさえずりが胸に沁みる。ふるさとに戻ってきたような、ホッとしたような気持ちが体中にあふれた。

「変わらないね、あのさえずり」

 美奈子が優しい声で言った。

 メジロの声を聴きながら目を閉じる私たち。砂時計の舞い落ちる砂のように、桜の花びらが、ゆっくりと、私たちに降りてきた。

北阪昌人(きたさか まさと)
1963年、大阪府生まれ。脚本家・作家。「NISSAN あ、安部礼司」(TOKYO FMほか38局ネット)などラジオドラマの脚本多数。著書に『世界にひとつだけの本』(PHP研究所)など。

※この話はフィクションです。次回は2022年5月頃に掲載の予定です

出典:ひととき2022年3月号

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