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「新世界」に響く駒の音|文=北阪昌人

音をテーマに、史実をベースとして歴史的、運命的な一瞬をひもといていく短編小説。第3回は、棋士・阪田三𠮷ゆかりの地である大阪を舞台に、入院中の父と息子の“将棋”を介した心の触れ合いを描く「『新世界』に響く駒の音」です。(ひととき2021年3月号「あの日の音」より)

 大阪、通天閣まで延びるおよそ180メートルの南陽通商店街を、ひとり歩く。

 通称「ジャンジャン横丁」。道行くひとを呼びこむために、三味線や太鼓をジャンジャン、ドンドン鳴らしたことからついたと言われる。 

 通りの両側には、二度付け禁止の串カツ屋や、どて焼き店が軒を連ねる。そして、今も健在なのが、将棋クラブ。ここは棋士・阪田三𠮷ゆかりの場所だ。

 父を見舞うため、久しぶりにやってきた大阪。通天閣のお膝元「新世界」に足を踏み入れるのは、20年ぶりくらいになる。

 僕が幼い頃、父は阪田三𠮷に憧れ、将棋を指すのが大好きだった。当時流行った縁台将棋。下手の横好きとはこういうことを言うのだろう。負けた悔しさが次の局にいざなう。僕は、しょっちゅう父につきあわされた。

 パチッ、パチッ、パチッ。路上に響き渡る、駒を指す音。僕は早く家に帰り、アニメ「スーパージェッター」を見たくてしょうがないのに、父は腰をあげる気配がない。相手がいなくなると、僕を相手に本気になった。

 夕闇迫る帰り道。父は何度も繰り返し話した。

「阪田三𠮷はなあ、満足に文字が読めなかったって言われてるんだ。生涯に直筆で残した漢字は、2つだけ。『馬』と『三』だ。ファンに色紙を渡されると、『馬』と書いて、名前を『三』と書いた。な、いいだろ、なあ……」

 父は集団就職で東北の寒村から大阪にやってきた。満足に学校に行っておらず、おそらく学歴にコンプレックスを持っていたと思われ、僕にはとにかく大学に行けと言った。

 口数の少ない職人。旋盤工としての腕は確かだったと母が言っていた。

 父が入院したことは、姉から知らされた。

「元気は元気なんだけどね、亮平に来て欲しいって思ってるんじゃないかと思ってね。ほら、知っての通り、そういうことは、何も言わないんだけど。まあ、ほら、それなりの歳だしさ。亮平、仕事が忙しいのはわかるけど、1回、来てよ、大阪」

 病院は、通天閣の近くにあった。8人部屋の窓際。ビルの向こうにかろうじて、通天閣の頭だけが見えた。父は、ベッドの上にあぐらをかいて、テレビで競馬中継を見ていた。

「なんだ、顔色いいね、元気そうだね」

 僕が言っても、一瞥(いちべつ)もしない。

 ベッドサイドの丸椅子に腰かけ、僕も一緒に競馬中継を見る。

 しばらくして、いきなり父がテレビの電源を切った。サイドテーブルの引き出しを開ける。取り出したのは二つ折りの木の将棋盤だった。無言で駒を並べる。駒はプラスチックではなく、これもちゃんと木製だった。

 白いベッドの上で準備が整う。

 先手は父。歩を丁寧につかみ、指す。パチッ。思いの外、いい音がした。僕が指すとまた父が、パチッ。急に、懐かしさが込み上げてくる。そうか、幼い頃、僕は好きだったんだ。父と将棋を指す時間。

 不器用な父との思い出の音が、病室内に響いた。

文・絵=北阪昌人

北阪昌人(きたさか まさと)
1963年、大阪府生まれ。脚本家・作家。「NISSAN あ、安部礼司」(TOKYO FMほか38局ネット)などラジオドラマの脚本多数。著書に『世界にひとつだけの本』(PHP研究所)など。

※史実をもとにしたフィクションです。

出典:ひととき2021年3月号


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