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過去は懐かしむもんだ。ただ、心の中にとどめとけ。(名古屋市東区 バンテリンドーム ナゴヤ)|旅と野球(2)

全国津々浦々にあるもの、それは美しい空と自然、そして野球場。誰もを魅了するスターだって、彼らに憧れるスター候補だって、諦めちゃった趣味人だって、グラウンドに立てば皆同じプレーヤーである。彼らが、日本のどこかで野球の試合を繰り広げている様をスタンドに座って観戦して、人生の縮図みたいな展開に熱中し、選手たちに声援を送ることで、私たちは「自分のこと」も、いつしかそっとなぞるようになる……。
ふらふらして頼りないけど、ちょっとだけ心の中が穏やかになるかもしれない。そんな風変わりな野球観戦記。

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「@*&%$#!!!!!!!!!!!」

 中日ドラゴンズの打者、宇佐見真吾が放ったサヨナラヒットで、球場内は言葉にならない大歓声ではち切れんばかりになっていた。

 僕も周りと一緒になって歓声を上げながら、一瞬、すべての動きが止まる静寂があったような錯覚に陥っていた。

 そんなわけない。

 9回の裏。1対1の同点。相手は宿敵の読売ジャイアンツ。ドラゴンズの打線が相手投手を攻め立てて一死満塁。お盆の最中で満員の観客。

 あらゆる要素が、静寂を拒否していた。今宵最大のチャンスを前に、ライトスタンドからの鳴物入りの応援がドーム中に鳴り響いていたし、僕たちの周りのキッズたちも大騒ぎしていた。

 でも、宇佐見がバットにボールが当たる乾いた音の後、打球が一塁線ギリギリに転がり、飛びついた一塁手のグラブの横を抜けるまで。その1秒に満たぬほどのひととき、確かに球場全体が固唾を呑んで打球の行方を見守ったように思えた。

 改めて、そんなわけない。

 だが僕たちは、それくらい勝利に飢えていたのである。

 * * *

「今年、見に来た試合で、はじめてドラゴンズが勝った!!」

 隣でメガホンを無闇に振り回している息子に思わずそう話しかけたが、まだ3回しか来ていない。しかし、考えてみれば、我がドラゴンズの勝利に立ち会えたのも、数十年ぶりの体験である。1勝に立ち会うことがこれほどまでに嬉しいものか、と、贔屓への不義理を反省しつつも、心を鷲掴みにされるような心持ちをしばらくぶりに堪能した。

 やがて球場の照明が落ちると、ヤンキーそこのけのピッカピカにライトを点滅させたカートに乗って、ドラゴンズのマスコットキャラクターが、観客に愛想を振りまき出した。初めて見る珍妙な光景だが、勝てば違和感など星の彼方に飛んでいって、気の利いた演出に感じられるのである。

「よかったね。今シーズンは、キツい試合が多かったもんねえ」

 父親である僕より3回くらい多めに輪廻転生を繰り返している。

 そう確信させるに十分なほど錬成された慰めの言葉を僕に投げかける息子は、夏休みの真っただ中だ。関東にある高校の寮から岡山に帰省する前に、名古屋にある僕の実家に寄って、大ファンとなったドラゴンズの試合を、親子で観戦に来ている。

「ビリから、ひとつでも順位を上げられないかな。ここからが立浪監督の頑張りどころだね」

 そう語る彼は、野球に本格的に興味を持ち出してまだ数年。だが、ここ1年あまりの間に、ものすごい勢いで知識を吸収し、放出を始めている。

 僕の数少ない友人のひとりと、ラインで野球談義を交わすのは、近年のささやかな楽しみのひとつだった。仲間は少なくても満ち足りるが、多くても楽しい。息子の熱心さに興味が湧いてきた僕は一計を案じた。今シーズンの開幕時から『野球大好き』と題した、3人だけのライングループを新たにこしらえてみたのである。

 知識量や熱量の差もあるし全員人見知りだ。そもそも友人も40代なので、息子とのジェネレーションギャップも大きいだろう。自分で提案しておいてなんだが、盛り上がらないかも、という不安をよそに、息子はそのグループで、僕たちのやりとりを、「坊や哲」よろしくしばらく様子見してから、やおら毎晩繰り広げられる試合を分析し、共に下位で苦しむドラゴンズと、友人の推しである埼玉西武ライオンズ再浮上のための策を提言するようになった。

 ともすれば過去に例を求め「マジで初期の〇〇みたい」と、見当外れも甚だしい自己愛満載の「評価」を下しがちな我々20世紀少年に比べ、徹底的に現実に即した視点は、新鮮かつ面白い。ライングループは大いに盛り上がり、友人と息子はすっかり野球仲間として心を通い合わせ、僕たちは万障繰り合わせて池袋の居酒屋で落ち合い、酒と烏龍茶で軽口を言い合う仲になった。

 * * *

 そんな息子との試合観戦は、想像以上に楽しかった。

「龍空、守備堅いねえ」

「ショートに強い打球が飛んでも安心できるよね」

「石垣のセカンドも悪くない」

「うん、周平がサードだったら、内野の守備に関しては盤石かも」

 ドラゴンズはシーズン開幕前に突然、昨季までの内野のレギュラーを二人放出した。若手の台頭を見込んでのことと発表されたが、予想はあくまで予想である。首脳陣の思惑通りにことは運ばず、ほぼ毎試合、異なる内野手の組み合わせが試されてきた。

 レギュラーメンバーが固定されない野球チームが脆弱なのは、聖徳太子がマルチリンガルの能力を発揮して尊敬を集めていた頃から変わることのない常識である。一時が万事。やることなすこと裏目に出た結果、今シーズンの我がドラゴンズは、かつてないほどの大苦戦を強いられている。

 そんな前提条件を端折って、目の前で繰り広げられる試合を見ながら、布陣について心ゆくまで話し合える。ひとりで球場に足を運んできたこれまでの観戦では、ついぞ味わえなかった至福のひとときである。

 少年の頃、趣味を同じくする友人と、時間が過ぎるのを忘れ、飽くことなく蘊蓄を傾けあっていたことを思い出した。忙しさや気遣いという名の忖度で、周りの人たちと、思うまま趣味について語り合わなくなって、もう、どれくらい経ったのだろうか。

 柄にもなく内省的になりかかった自身を立て直すべく、周りを見渡すと、少年野球のチームメイトと思しきキッズの集団、おじいちゃんおばあちゃんから孫たちまで揃った一族郎党の姿が目についた。

 ひとりの少年はドラゴンズブルー一色の中、ジャイアンツカラーのオレンジのメガホンを握りしめ、果敢に大声援を送る。周囲にきた仲間たちもやめろよーなどと言いつつも、ジャイアンツの4番打者、岡本和真が打席に立つと一緒になって歓声を上げている。売店で買った焼きそばを抱えた年配の女性が、急な階段を上がろうとすると、さっきまで居眠りしていた息子と思しき金髪の中年男性が駆け降りて、手を貸す。ふたりとも推しの選手の背番号が入った青いユニフォームを羽織っているところが微笑ましい。

 なるほど。色々な組み合わせの観戦の仕方があるんだな。どれも楽しそうじゃないか。

 隣の席には僕と同じ年恰好の夫妻が座っている。夫が戦況に分析を加え、妻がふむふむとうなずいている。夫の話が微妙に間違った情報をベースにしているのが、もどかしい。

 いつもなら心の中で、ちげーよとツッコミを入れて意地悪く訂正していくところだが、今宵は、まあ、楽しければいいじゃん、オレだって本当のことはわかんねーし、と鷹揚に構えて、メロンソーダなどを飲む余裕も見せたりするのである。

 息子と野球話ができる満足感はかようなまでに深いのである。

 他でもない。自分が、楽しんでいるんだ。そう実感すると、何日かぶりに肩の力が抜けていった。

 * * *

「ねえねえ、ドームが見えるよ。ここに決めたら、歩いてドラゴンズ見に行けるね」

 窓を開けた妻が、そう言ってこちらを見ると、不動産屋の若い男性が、それいいですねえ、と被り気味に言って笑った。

 今回、名古屋に来ていたのは、秋から両親の住むこの地に拠点を移すべく、仕事場兼寝起きする場所探しのためだった。

 息子が来る前日、不動産屋にあたりをつけた住まいの内見をお願いすると、他も候補を出しますと、ぱたぱたとパソコンを検索して、手早く物件をいくつか出してきた。

「ここなんかいいんじゃないですか」

 勧められた場所のひとつが、バンテリンドームのすぐそばだった。高校卒業までのほとんどの期間、名古屋に住んでいたのだが、実は来たことのないエリアである。

 確かにサンダルで観戦に行けるのは魅力だったし、少年時代を過ごした街に通じる雑多な雰囲気も気楽そうだった。でも、やっぱりアラフィフにはもう少し静かなところがいいだろう、と思い直し、結局、最初に訪れた、大きな公園のそばの住宅街にある一室に決めた。

 僕にとって名古屋は生まれ育った街であると同時に、二度と戻ってこないと心の中で啖呵を切って出ていった街でもある。ざっかけないだの閑静だのとご託を並べる前に、どの面さげて帰ってきたんだという話だが、名古屋の街は、冴えないいち中年のことなんて、はなから気にするはずもないという話でもある。

 何度か通っているうちに、出て行った頃に比べて、名古屋は圧倒的に過ごしやすく、見どころの多い街になっていることに気づいた。両親の希望に沿う形で連れて行った街外れの里山に広がる公園では、ため池と木立が広がる景色に濃尾平野の穏やかさを感じさせられたし、市街地にある老舗のうどん屋では、他では味わったことのない優しい風味に味噌煮込みうどんの認識を改められた。

 初めての地を訪れるばかりが旅ではない。慣れ親しんでいたつもりの地の良さを再発見する旅だってある。

 それは知っていたつもりだが、約30年ぶりに再び住むことになった地の小旅行は、懐かしさと目新しさがないまぜになった玉虫色とも称すべき「微妙さ」が新鮮だった。話し合い、納得こそしたつもりになっているものの、4人家族がばらばらに住むことに対する、どこかふわふわした不安は拭えない。そんな日常に、小旅行は柔らかい色調の彩りを加えてくれるような気がした。

 * * *

「ねえ、お腹すかない?」

 試合後も、外野席まで足を運んで歓声を上げ続ける応援団を最後まで見ていた息子がようやく納得して球場を出ると、22時近くになっていた。確かに小腹はすいていた。ラーメンくらいいっときたい気分である。だが、土地勘がないので、遅くまでやっている飲食店が周辺にあるかどうか、すぐにはわからなかった。

「ああ、いいよ。ばあちゃんが用意してくれたカレーライスがあるっていうから」

 スマートフォンで店を検索する僕を見ながら、息子が老成した気遣いを見せた。

「そうするか。じゃあ、帰ろう」

 妻は今朝すでに我々家族の拠点である岡山に戻っている。息子も明日には追って帰省し、娘は通っている大学のある街で過ごしている。そして僕は名古屋に残る。

 こんな感じが日常になる。そう思うと、シンプルに、寂しいな、と思った。

「宇佐見のヒット、あれ、ボテボテのゴロだったじゃん」

 すでに慣れ親しんだ地下鉄駅への遊歩道を一緒に歩きながら、息子がそう語りかけてきた。

「うん、ファーストに捕られるんじゃないかって、息詰めたよ」

「確かにあの瞬間は、呼吸止めたかも」

 息子は笑って話を続けた。

「でもさ、宇佐見、真剣に走っていたね。あれ、格好良かったな」

 僕が、ドラゴンズを好きになったのは、小学生に上がったばかりの時、田尾安志という若手の選手がヒットを打って全力で一塁に走っている姿を見た時からである。

 その年のドラゴンズも今と同じようにビリッケツで、その日の試合もボロ負けのまま最終回を迎えていた。子どもですら諦めるような敗色濃厚な戦況だった。でも田尾は、プレイボール直後とまるで変わらない緊張感を漂わせながら一塁を蹴り、二塁をも窺う様子を見せて、内野にボールが戻ってくるのを確かめてから一塁ベースに戻って、ようやく力を抜いた。

 彼は全然、諦めていなかった。

 オーケー。確かに負けている。でも、試合が続いている限り、勝つチャンスは残っている。だったら、目の前のプレーに全力を出そうじゃないか。

 彼は全身でメッセージを、僕に向けて発していた。テレビの画面越しでもはっきりと伝わるくらい、強く。

 彼も、彼がいたチームも、それからずっと、頑張っている。

 だから、僕はドラゴンズが好きなのである。

 そして、気づいた。あの時、彼がバットを振った瞬間、僕は、確かに今日と同じように、息を止めて、打球の行方を追っていたことを。

 懐かしさで心が鷲掴みにされた。思わず声を出した。

「あのさ」

「何?」

 スマートフォンで試合結果を見直していた息子が顔を上げた。その表情で我に返った。

 昔話を持ち出すのは止めよう、とさっき反省したばかりじゃないか。

 オーケー。そいつは、君の心にとどめておくべき話だ。彼は今を生きているんだから。

 僕の中にいる田尾が、そう語りかけてきた。

「格好良かった。いい選手だね」

 少し間をおいて、今の感情を正直に伝えると、息子はうん、ドラゴンズはいい選手が揃っているよ、とうなずいた。

 息詰まる瞬間を共有したり、時を超えて同じような感動を味わっていけば、いつか、そのひとときを振り返ることができる時がくる。共通の体験を重ねていくことで、僕たちは、人との関わりを確かめ、積み重ねてきた歴史をなぞるのだろう。それが息子や大事な人たちとできるんだったら、この街に住むことだって、全然、悪くないじゃないか。

 勝利の快感とはまた異なるゆるやかさで、体の内側からぬくもりが滲み出てくるように感じた。

「またこようよ」

「うん」

「次までには、遅くまでやってるラーメン屋でも探しておくからさ」

「いいねえ」

 地下鉄に乗り込んで、スマートフォンを改めて見ると『野球大好き』に友人が、メッセージを書き込んでいた。

「サヨナラ勝ち、おめでとうございます」

 少し離れた席にいる息子も、それを見たらしく、画面を見てニヤつきながら何やら打ち込んでいる。

「宇佐見様様ですよ!!」

 彼の返答を目にしつつ、僕もメッセージを書き込んだ。

「今度、3人で行こう。ドラゴンズだって、まだまだ爪痕残せるはずだから」

 友人、妻。僕には、一緒に観戦したい人たちが、まだいるのである。

文・写真=服部夏生
イラスト=五嶋奈津美

服部夏生(はっとり・なつお)
1973年生まれ。名古屋生まれの名古屋育ち。幼少時、テレビ中継で田尾安志の勇姿を見て、中日ドラゴンズのファンとなる。小学生の頃は、当たり前のようにプロ野球選手になることを妄想し、ドラフトで永遠のライバル、読売ジャイアンツに指名されたらどうしよう、と本気で悩んだが、満を持して入った野球部でほどなくフィールドプレーヤーとしての才能の限界を痛感、監督に勧められてスコアラーとなり、データを分析してチームを下支えすることに喜びを感じるように。大人になっていつしか野球を見ることもなくなり、社会の下支え係も大して全うしないまま馬齢を重ねてきたが、『ほんのひととき』での連載「終着駅に行ってきました」の取材で偶然目にした草野球に感銘を受け、観戦を再開することに。著作に『終着駅の日は暮れて』(発行:天夢人、発売:山と渓谷社)、『日本刀 神が宿る武器』(共著、日経BP)など。

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