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「ひととき」の特集紹介

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旅の月刊誌「ひととき」の特集の一部をお読みいただけます。
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#アート

[有田焼・香蘭社]ジャポニスムブームがアメリカに広がった時代|幕末・開化期、佐賀の万博挑戦

 ウィーンへの派遣団の中に、納富介次郎という男がいた。もともと絵が巧みな佐賀藩士で、幕末には上海に渡った経験を持つ。  納富は万博閉会後に、フランスのセーブルなどヨーロッパ各地の焼物の地におもむいた。そこで石膏型を用いて、粘土液を流し込むなど、同じ形の器を量産する方法を習得。ろくろほど手間がかからず合理的で、帰国後は有田に技術を伝えた。  美術史家の森谷美保さんによると、納富は次のフィラデルフィア万博用の図案集を、新政府に提案したという。  それが実現して「温知図録」が

「奇想の絵師」の才能が開花した地へ|南紀と長沢芦雪(和歌山県串本町)

串本町 本州最南端へ 江戸時代後期の天明の世、ひとりの絵師が本拠地である京都をあとにして紀伊半島の南部へと旅に出た。その名を長沢芦雪。写生を重視した円山派の祖、円山応挙の門弟である。  旅の目的は届け物だった。本州最南端の地、串本町の無量寺は地震による大津波で流失する悲運に遭ったが、およそ80年後に当時の住職だった愚海和尚が再建した。愚海は応挙と長年の親交があった。ずっと再建に奮闘する愚海に応挙はつねづね言っていた。 「あなたの寺院が完成したときは、前途を祝い必ずわたしの

教えて!木造モダニズム建築の傑作・日土小学校をつくった松村正恒の魅力|八幡浜(愛媛県)

日土小学校との衝撃の出会い 1994(平成6)年、ある建築雑誌の取材で初めて日土小学校を訪れた花田佳明さんは、夢中で写真を撮り続けたという。同行した編集者には「泣きながら写真を撮っていた」と笑われたそうだ。 「日土小学校を訪れる直前まで、松村正恒という建築家の名前さえ知りませんでした。でも日土小学校をひと目見た瞬間に、ガツンとやられてしまった。非常に理知的な構成なのに、あらゆる空間が子どもの居場所として設計されている。ほんとうに驚きましたね。神戸の自宅に戻ってからも、あの日

世界的にも珍しい「妖精の森ガラス美術館」 緑色の光を放つウランガラスの神秘(岡山県鏡野町)

 緑色の光を放ち、暗闇に浮かび上がる神秘的なガラスがあるのをご存じだろうか? その名を「ウランガラス」という。ガラスは着色剤として金属や鉱物を加えると、コバルトなら青、金なら赤というように、化学反応によってさまざまに発色する。同様にウランを用いると、美しい黄色や緑色のガラスが生まれるのだ。  このウランガラスの最大の特徴は、紫外線を当てると緑色の蛍光がくっきりと現れること。19世紀のヨーロッパで製造が始まったものの、紫外線ライトが一般的になる1900年代中ごろまでは、はっき

倉敷ガラス──民藝との出会いの物語

 ガラスとはもっと親しくなれる。 日本人とガラスは、もう2000年くらいにもなろうかという長い付き合いだ。それほどはるか昔に、人間がおこす火のなかでいくつかの物質が溶けて混じり合い、生まれたのがガラスである。  光を受けてさまざまな色に輝く美しさから、古代では宝石と同じくらい貴重で高価だったガラス。いまは私たちのまわりに当たり前にあり過ぎて、生活を支えてくれていることさえ忘れがちだ。だが辺りを見回してみれば、スマートフォンのディスプレイ、薬品を封じ込めるアンプル、グラスフ