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「ひととき」の特集紹介

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旅の月刊誌「ひととき」の特集の一部をお読みいただけます。
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#この街がすき

【鶴来】石川県最大の河川、手取川扇状地で“水の信仰”白山神社の総本宮へ

 山地での手取川は、勾配がきつく川幅も狭い。いきおい流れは速く、鋭い峡谷を創り出す。だが、山間を抜けて平地に出ると砂礫を運ぶ力を失い、ふいに手放してしまう。大荷物を背から下ろし、人が変わったように穏やかな表情になる。  下ろされた大量の砂礫が積もり、長い歳月を経て放射状に広がった地形が扇状地、すなわち扇をめでたく全開にした形の平野だ。その扇の要につくられた市街地が白山麓の玄関口、鶴来地区である。  なにはともあれこの地を訪れた報告として、白山を神体山とする加賀国一ノ宮、白

港町が育てた神戸のパン文化【フロインドリーブ】

歴史ある京都の地で花開いているパン文化。しかし歴史を紐解けば、西のパン文化は神戸からはじまったようです。  神戸はいわずと知れた港町。今も残る北野の異人館街を訪ねれば、港町として発展してきた歴史に触れることができます。幕末・明治の激動の時代。しかし神戸の人々は、未知の世界からやって来た異文化を、恐れるのではなく好奇心と寛容さをもって受け入れ、楽しみ面白がり、取捨選択しながら取り入れていきました。そして独自の神戸文化を、しなやかに洒脱に築いていったのです。 パンが刻む神戸市

小泉八雲とセツが描いた日本の民話(島根・松江)

第1章 小泉セツの生き方に触れる武家屋敷が軒を連ねる松江の塩見縄手には、セツと八雲が暮らした家、2人の貴重な展示品が並ぶ館があります。セツとはどんな人だったのでしょうか。  鬱蒼とした森の中、薄紙で作った舟に硬貨を一枚載せ、鏡のように澄み切った池の水面に、静かに浮かべる。若き小泉セツと2人の女友達は、その舟の様子をじっと見守っていた。池に浮かべた舟が早く沈めば早く縁に恵まれる。近くで沈めば近くにいる人と結ばれる──これは、松江の南部に位置する八重垣神社に古くから伝わる縁占い

モダニズムの建築家・松村正恒流「学校らしくない学校」へ(愛媛県・八幡浜)

旧川之内小学校 通っていた小学校の校舎を、覚えていますか?  私たちがこれまで過ごしてきた多くの建物のなかで、とりわけ懐かしく感じたり、その細部まで鮮明に思い出したりすることができるのは、小学校ではないでしょうか。あの頃の記憶の蓋をひとたび開けば、好きだった子の笑顔やしでかした悪戯、先生のしかめっ面などが次々と飛び出してくるようです。いい思い出も、ほろ苦い思い出も――。 東京からUターンした「年中無休建築士」思い出に残る学校を創りたい、半端者の戯れごとです、人の心にしみる

教えて!京都のタイルと建築の話(中村裕太さん×倉方俊輔さん)

[Q1]京都が近代建築の宝庫なのはどうして?倉方 平安京が築かれた794(延暦13)年から、東京に遷都される1869(明治2)年まで、京都は日本の政治・文化の中心地でした。ところが天皇が東京に居を移すと、京都の人口は激減。経済も低迷期を迎えます。しかし、1880年代からの窯業や繊維業をはじめとした近代産業の振興によって、京都は近代都市として再生への道をたどっていくのです。  1890(明治23)年には琵琶湖疏水*が完成し、その5年後には日本初の路面電車が街を走るようになりま

倉敷ガラス──民藝との出会いの物語

 ガラスとはもっと親しくなれる。 日本人とガラスは、もう2000年くらいにもなろうかという長い付き合いだ。それほどはるか昔に、人間がおこす火のなかでいくつかの物質が溶けて混じり合い、生まれたのがガラスである。  光を受けてさまざまな色に輝く美しさから、古代では宝石と同じくらい貴重で高価だったガラス。いまは私たちのまわりに当たり前にあり過ぎて、生活を支えてくれていることさえ忘れがちだ。だが辺りを見回してみれば、スマートフォンのディスプレイ、薬品を封じ込めるアンプル、グラスフ