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22 止めるな? 止まれない?

映画の止まれなさ

 2018年8月23日だからかなり前だけど、『カメラを止めるな!』という映画があって、評判がよく久しぶりに劇場で見た(この時点で17年ぶり)。「どうして止めたらいけないんだっけ」と思い出す。そうだ、生放送されていたからだ、と。映画専門チャンネルで生放送ってムリがあるよね、とか思いつつ、おもしろいコンテンツにありがちなちょっとムリな部分は、おそらく愛すべきフィクションなのだろう。
 映画『フェイブルマンズ』で、ユダヤ人だからといじめられている主人公が、ハイスクールの卒業前に「おさぼり日」を映画として撮影するエピソードがある。スピルバーグ監督の自伝的な映画というので、恐らく本当にあった話なのかもしれないが、なんとなくムリのあるエピソードに思えてしまう。この部分の脚本はとても見事で、差別、宗教、恋愛と映画と友情みたいなものまでも含めて浮き彫りにしている。とてもよく出来た部分だから余計にムリを感じるのかもしれない。
 そしてこのエピソードで主人公は彼女に借りた16ミリのカメラに夢中になって、とにかく撮影が止まらないのである。
 そもそも、映画ははじまってしまうと、エンディングまで止まれない。それをいまの私は、録画してちょこちょこ見ている。いっきに見ていない。これは作る側にとってはよくない鑑賞方法だと思うけれど、日常のいろいろなことがある中で、止まれないものを止めながら生きて行くことに、慣れてしまっている。
 なにもかも、中断する。セーブしておく。保存しておく。冷蔵庫に入れる。冷凍庫に入れる。
 新鮮なものを新鮮なうちに消費する、ということも大事だけど、いったん止めてしまうことも、悪ではない。

心が離れる瞬間

 ドラマ「三体」の7話。考えてみれば、こうしたドラマは連続ものが多く、細切れである。それをこちらはいまや通しで見たりもできる。Netflixの作品のように、いっきに全エピソードを見てしまう、ということも可能だし、細切れで間を何日もあけて見ることもできる。どっちの体験がいいのかは、正直わからない。で、この7話で、どうやら「三体」とは、VR空間のゲームのような世界らしく、主人公たちはVR機器を用意してその仮想空間に入ってみる。
 これは、まさに私だけの感じに過ぎないが、この瞬間に、心が離れた。つまり「これ以上、見なくてもいいかな」とふと思ったのだ。
 それでもたぶん8話も見るだろう。WOWOWでは10話までいっきに放送して、それを録画しているので、見ようと思えば10話まではいっきに見ることができる。もしもいっきに見ていたら、心が離れることはなかったのだろうか? それはわからない。
 鑑賞(あるいは観察)の仕方によって結果に影響を与えることは、科学的に知られていることだろう。

老いる姿を受け止める

 自分自身、成長期を終えて老化していく中で長くいろいろな変化に直面している。目、肩、腰、などと言うが、それだけではなく、頭髪、歯、さらにいまは聴力、そして運動能力も年齢相応に老いている。
 自分のことはいいとして、父母の老いを観察するのは、なかなかシンドイものがある。2021年11月29日に、父母の住むマンションの一室に事務所を移転した。以来、半日をそこで過ごすことが増えた。今日のように朝から大雨だと日和ってしまうけれど。
 実家へ通うようになって間もなく、母が起き上がれない。ただの風邪かもしれないが、そうではないかもしれない。目の当たりにすると、なにかしなければと考えてしまう。地域包括センターのAさんに連絡すると、訪問診療できるという。医師に来てもらうと、血圧がとても高いことが判明した。風邪どうこうよりそっちが問題だと、比較的規模の大きな総合病院を紹介されタクシーで連れて行く。
 いまから思えば、たまたま身近に母の状況を見たために、「なにかしなければ」となっただけで、もしいままでのように父母との距離があれば、きっと母はしばらく寝ただけで、こちらには何も知らせずに済ませていただろう。
 カメラを手にしたときと同じく、目の前で起きてしまうと、気持ちの面からも止める勇気はない。なにかをしようとするし、してしまうだろう。もちろん、それがいい結果に結びつくこともある。一方で、余計なことだったかもしれない。
 いまは訪問診療の医師がいるので、母や父になにかいつもと違うことが起きても、あの時ほどは焦らない。老いていく以上、なんらかのアクシデントは起こる。父が朝起きたら、裸になっていた、といった話を聞かされても「なに、寝惚けてるんだ」と笑える。いや、高齢なので痴呆もあるだろう。しかし、話もできるし、買い物にも行っている。「ボケちゃったよ」と父に言われて一緒に笑える。
 それは心が離れたわけではなく、受け止めることを学んだのだ。
 すごく不安で心配だとしても、受け止める側としては、素直に受け止めておく。いまはその練習をしているのだ。世の中には止められることも多いが、老化は止められないのだから。
 


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