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230 過剰な期待

なんだ自分が一番年寄りか

 少子高齢化社会では、高齢者が多くなる。そのせいか道を歩いているとどこを見ても自分によく似た高齢者と出会う。ファッションが似ているのだ。歩き方も似ている。お互いに嫌な顔をする。自分を見ているようで嫌なのである。とはいえ、高齢者の一群から見れば、私はまだ片足ぐらい高齢者に突っ込んだばかりなので、「はなたれ小僧」と呼ばれてもしょうがない。
 そもそも自覚が伴わない。「あー、年を取った」と思うことは正直ある。夜中にふと目が覚めて、スマホで時刻を確認し、何時間眠ったのだろうと考える。たいがい6時間だ。とにかくこの数年、私は6時間睡眠。そして疲れているとそのままさらに2時間ぐらい眠れる。そうはいかないときは、スマホで電子書籍を読む。『源氏物語 A・ウェイリー版』(紫式部著、アーサー・ウェイリー訳、毬矢まりえ訳、森山恵訳)である。延々と続くので安心して読める。
 あるいはMLBが日本時間で早朝のときは、どんな様子かXでフォローしているドジャースのニュースを見たりもする。そしてまた眠ることもあるし、そのまま起きていることもある。
 そして今朝なんて、ついに手の「こわばり」を自覚する。加齢によって指関節に炎症が起きたりしてこわばるらしい。朝晩に起こるのは関節リウマチかもしれない。
 こんな風に高齢化を自覚しつつも、外に出てお店などを尋ねると、意外にも自分が一番年寄りなときがある。
 今日も手続きがあって銀行の支店へ行った。いまは予約制となっていて、事前に予約して行ったのでスムーズだった。舞台の中堅女優さんみたいな行員とやりとりをし、手続きをする。最終的には支店長がやってくる。その支店長の若さに驚く。まあ、そりゃそうだな、と思うけど。
 すでにそういう仕事を辞めているけれど、取材をしていた頃。いつの間にか、自分が一番高齢になっていた。
「しっかりしてくださいよー」と編集者に言われたこともある。自分ではしっかりしているつもりだったんだよ。だけど、違ったね。もうしっかりすることは一生ないんだ。まあ、よく考えると若い頃からしっかりしていたことなんてなかったかもしれないけど。

ベテランへの過剰な期待を裏切る

 最後にやっていたいくつかの仕事では、自覚のないままに私が最高齢だったために、過剰な期待をもたれてしまい、とても困ったし、残念だった。マーベルコミックのヒーローのように、そこは期待通りにバッサバッサとベテランらしい活躍をすべきだったのだろう。元々、そんなことしたこともない人間なのに、どうして年齢を重ねるだけで、期待だけ過剰になっていくのか。理不尽な世の中の仕組みだと思う。
「なんだ、ベテランだからと期待したんだけどな」とか「ぜんぜん、アイデアも出て来ないし、使えないなあ」と思われていたに違いない。私に限って、若い頃もそうだったんで、いまさらどうにもならない。
 最近、政治関係、国政、自治体などで、失言やハラスメントで失態を晒す人たちが目に付く。その多くは私と大して変わらない年齢で、中には年下もいるぐらいだけど、それだけいま世の中の期待値は、当人を遥かに越えていきやすいのかもしれない。選挙で当選したんだから、政党内で選ばれたんだから、総理大臣に任命されたんだから、といったステップひとつによって期待は過剰にぐーんと跳ね上がる。
 ところが、当人たちは、いまの私と同様に「私は急に変われない」。年を取ったからとベテランになれないのと同じく、役職についたからと聖人君子にいきなりハンドルを切れるような人はいないのである。
 このところ、失態をニュースで厳しくチクチクやられている連中を見て、同情はしないが、どう見たって、最初からそういう人だったとしか思えない。大谷選手がいつからみんなの期待する大谷選手だったのか、私はよく知らない。藤井聡太がいつからみんなの期待する藤井聡太だったのか、私はよく知らない。だけど、たぶん、かなり若い頃からそうだったに違いない。そういう人だったのだ。だから、無理なくやれているのだろう。
 方や、失態して面目丸つぶれな人たちは、無自覚な状態のまま、期待を集めるステージに乗ってしまっていたのだろう。
 私もそのあたりのことは、よくわきまえて生きて行きたいものだ。
 などと殊勝なことを書いているが、どうも全体を読み通すと開き直っているようにしか見えないけれどね。

またここからスタート。


 
 

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