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223 なぜ同じものを撮るのか?

映えスポットに行きたい?

 朝のニュースで、天井の高い中華料理屋が金網を吊ってそこに蛍光灯を配置し、金網はそのまま客の荷物置き場にしたところ、そこにスマホを置いて真上からテーブルを撮影する人たちが続出し、店内はそれを撮りたい女性でいっぱいになっているなんて話をしていた。
 そもそも街中華は、この数年、じわじわと浸透しているジャンルだとは思うが、多くの街中華の店は、あくまで私のイメージだが油ですべりやすい床、赤いテーブル、ちゃちなスチールのイス、ビール会社のマークの入ったコップで水が出される、たまに例のGが走る姿を目撃する、壁には品書きがずらずらと並んでいる、中華なのに親子丼や焼き魚定食があったりもする、紹興酒を瓶ごと温めて出してくれる、みたいなイメージである。そこに、玉袋筋太郎による瓶ビールが追加されてくる。
 つまり、どこといって女性ウケするような要素はなく、街中華の店が女子でいっぱい、ということがなかなか信じがたい。
 しかもその理由のひとつとして、いわゆる映えるスポットだから、と言われてもますます信じがたい。
 ただ、それが現実だ。
 春夏秋冬のおりおりに必ず話題になる「迷惑な撮り鉄」のニュースもある。これもまた、有名な写真家と同じ写真が撮りたい、といった欲望が広く知られている。同じ場所、同じアングルで撮りたい人たちがいる。
 桜、藤などの花の名所でも「そこで撮りたい」が発生して、朝早く並んで、開演と同時に走ってスポットへ行き、まだ誰もいない間に撮影しようとする。
 こうして出来上がった写真は美しいけれど、どこかで見たことのある写真である。
 私もInstagramを眺めるときがあるけれど、確かに食べ物の写真や風景の写真では、似たものが多く、承認欲求だけでこんな現象が起こるのだろうか、と不思議になる。もっとなにかいいことがあるのではないだろうか?

人の行く裏に道あり花の山

 以前に、中学高校時代に高木彬光の小説を読み、易経と株式投資の本を近所の古書店で買って、わかりもしないのに読んでいたことを書いた。そのときに知った言葉で「人の行く裏に道あり花の山」がある。
 投資先を選別するときに、確かに誰もが欲しがる銘柄もいいけれど、実はあまり人気のない銘柄の中に投資妙味の詰まったいい投資先があるかもね、という話である。
 誰もが行くところへ行き、誰もが撮るのと同じ写真を撮って満足するのもひとつの生き方だから、私はそれはそれで否定しない。私が否定したって、なんにもならないし。
 ただ自分は、「人の行く裏に道あり花の山」を信じた。あまり人の行かないところにこそ、自分だけの景色があるのではないか。それを見つけることが人生の醍醐味じゃないか。
 高校大学と登山をしていた。尾瀬には大学の友人と行ったが、ほかは単独だった。自分勝手に登りたい。いや登らなくてもいい、歩くだけでもいい。河原でのんびりするだけでもいい。わがまま放題でいたい。オススメの登山コースを一通り試したあと、少し変わったコースを使うようになった。たとえば登山とは言えないような林道を利用するコース。林道は作業の車両が通るので歩くのはオススメできないけれど、たまに素晴らしい景色に出会うこともあった。なにより、自由きままを満喫できた。
「そんなの登山とは言えない」と言われるだろうが、私にはそれでもよかった。
 だからということもないが、みんなが行くところへ行きたいとか、みんなと同じ写真を撮りたいと思ったことはなかった。問題は、そうしなかったからといって、特別なユニークな写真が撮れているわけではないことだ。それはまた別の話だろう。
 先日、80年代から90年代に撮影した写真を整理したが、撮影意図の不明な写真がいっぱい出てきた。「なぜ、これを?」と自分でも思う。当時は自分なりに意味があったに違いない。
 きっと、いま描いている絵も、数年後には「なぜ、これを?」と自分でツッコミを入れたくなるだろう。

少しずつ


 

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