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58 小説「ライフタイム」 4 黄金

土曜出勤

 四月の新年度から隔週の週休二日を実施することになったと、会社は言うのだが、実際には土曜日も仕事をしている。ましてゴールデンウィーク初日になる四月の終わりの土曜日は、いつもの土曜より忙しかった。四月三十日から五月二日までは平日だ。1日はメーデーで実質仕事はない。これはぼくのいる会社では組合がないので関係ないものの、業界紙を購読している企業ではそうなっているので、「そんなときに新聞が届いても誰も読まない」と言われてしまう。
 このため金曜日到着用に増刊された新聞をすでに作って発送までこぎ着けている。新聞は週二回発行で、一般紙と同じ大判で印刷していた。大手企業の購読者向けにはまとめて届き、あとは社内便で支社支店に配布してもらう仕組みだったが、それ以外に郵送で個別に購読している人たちもいて、ちゃんと届くかどうかは、毎回不安であった。
 印刷はカレンダー通りに対応してくれるので、五月七日火曜日に発送する号を、この土曜日と、連休の谷間に作り上げることになる。ぼくも、新聞づくりに専念させられる。
 土曜日の午後のスポーツ紙の印刷所は、競馬新聞が回されて、原稿に赤を入れながら予想も立てる者が多く、銀座にある場外馬券売り場に誰かを走らせてまとめて買う。その誰かは、たいがい若手の仕事で、つまりぼくだ。
 ゲラの校正をしながら、いらなくなった紙の裏にレース番号と誰がどの馬券を何枚買うかの一覧が回ってきて、最後にぼくのところに来る。副編に降格されたもののこの賭け事の元締めはいまだに梅宮がやっており、ぼくにおカネを渡して買いに行かせる。
「そうだ、あの話、どうなった」と滅多に口をきくことのない梅宮から、行方不明のフジワラについて聞かれて、「さあ」としか答えられなかった。あれから二ヵ月近く経っていた。
 喫茶店でフジワラの奥さんから、ぼくの原稿も掲載されている「蓄財時報」という小冊子を見せられた頃はまだ寒かったが、すでに四月になって雨も多い日が続いたものの、最高気温は二十度まで上がっている。
 この頃、円は一ドル二百五十円。公定歩合五%。世の中では地上げ屋が横行し、少しおカネを持っている人たちはよりいい運用をしようとさまざまな手を使っているようだが、ぼくにはどうでもいいことだった。

麻布十番

 「蓄財時報」は、週刊誌と同じB5版。百ページほどながら、カバーはカラー写真を使っている。この号はまだ雪の残る富士山と東海道新幹線。いかにも借りものらしい写真だ。表紙周りに小さな字で第三種郵便を昭和四十年に取得していることがわかった。少なくとも二十年も続いているらしいが、ぼくは知らなかった。そこにぼくの書いた日銀の記者発表の記事や大蔵省の発表記事のまとめが掲載されていた。この程度の記事でかなりの原稿料を貰っていて、考えてみれば少し怪しかった。
「蓄財時報か。正直、知らないが、それって、投資勧誘のためのヤツじゃないのか?」と梅宮。「フジワラ、そんなのに関わっているのか」
 まさに「そんなの」であろう。
「詐欺の可能性もある」と彼は言う。「姿を消したのはそのせいじゃないのか?」
 翌日の日曜日。ぼくは「蓄財時報」に記されている住所へ行ってみた。麻布十番。パティオ通りから路地に入ったところ。ビルの一室。日曜日だから誰もいない。郵便受けには「蓄財時報」のシールが貼ってある。それだけでしかなく、拍子抜けした。
「彼が関わっているのはその冊子づくりだけなの」と喫茶店で、フジワラ夫人は言っていた。彼女も怪しいと考えていた。
「これ、見て」と、巻頭のヒゲヅラの男のインタビュー構成の記事広告を見せられた。「WWI社」の会長という。三十六歳。若い。それでいて、まるでお札の図案にでもなりそうなほど、偉人めいた風貌。パーティー形式で投資について語り合う会や講演会を主催し、「安全で高利回りな投資を実践する」と言うのだ。
「なんといっても、ゴールドです。金の価値は永遠だ」などと、ダミーのような金塊を前にしている写真もあった。
 一九七八年に金の輸出自由化となり、たびたび金投資は話題になっていた。だが一九八〇年をピークに、金価格は低迷していた。ピークの一グラム六千円台からすれば半値程度となっている。
 パティオ通りへ出たところにタクシーが止まっていて、そこから降り立ったのがフジワラだったのに驚いた。彼はぼくに気づかない。フォーティーナイナーズのスタジアムジャンパーを着てキャップを被っていたからだろう。
 見ていると、ぼくがいま出てきた路地へ入っていった。
 スーツ姿で、どこといって変化もなく、顎髭も相変わらずふてぶてしかったものの、むしろこざっぱりしている。なんだ、心配する必要はなかったんだなと安心した。少なくとも生きていた。
 それでもなんとなく不安を感じたので、公衆電話を探し、フジワラ夫人から貰った電話番号にかけてみた。
「はい」と物憂げな声がした。見たことを伝えると、とたんに「ホントですか!」と強い語調になった。
「申し訳ないけど、見張っていてください。すぐ行くので」
 ここは、巻き込まれてはいけないと思いつつ、見張るだけならと、ビルが見える位置でしばらく立っていた。彼女の自宅は中野と聞いていた。都営地下鉄大江戸線も東京メトロ南北線もまだ影も形もない時代だ。ぼくは暇なので六本木駅から歩いてやってきた。中野からだとどうやってくるのか、わからなかった。どれぐらいの時間、見張っていればいいのだろう。
 ぼんやり立っていたのではかえって目立つので、うろうろせざるを得ない。本を読むわけにもいかない。いくつか店はあるのだが、この時間はやっていない。
 網代公園に行ってしまうと、ビルそのものは見えなくなってしまうが、ぐるぐるとそのあたりを歩いて時間を潰していた。そろそろ昼になろうとしていた。
(つづく)

──この記事はフィクションです──


 


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