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203 不吉なグッドタイミング

試供品を評価する

 すでに10年にはなるはずだ。いくつかのネットショップで試供品を評価してきた。評価してきた数は千点を軽く超えているだろう。数えたことはない。いわゆる「お試し」で、日用品、ファッション、ペット用品、家電、さらに食品、酒までも、来る物は拒まないぐらいの勢いで、月に2点から4点ぐらいを試してきた。
 たまたま先週、フォーマルな女性用のバッグがあり、こういうものは困るものではないのでさっそく申し込んでおいた。それが届くと、ハンドバッグには数珠を入れる袋と、香典を包む袱紗もセットされていて、なかなかよかった。妻はそれを気に入ってくれたので、評価もそれなりにいいものになる。「箱に入れてしまっておけばいいよね」と妻。そりゃそうだ。こういうものは、あまり準備しているように思われてはよくない気がした。
 ところが昨日の夕方になって、妻の妹からメッセージが届く。今年94歳になる義母の容体が悪化したのだ。これまで施設で点滴を受けていたのだが、いよいよ衰弱したので病院へ移したと言う。
「今月いっぱい保つかどうか」
 妻はそうなるとゴールデンウィークに重なるので、帰郷することが難しくなる、と心配しつつ「いいタイミングでバッグが来た」とも言う。
 平穏な家庭(でもないけれど)に、ささやかな緊張感が走り、テレビのお笑い番組を見ても、腹の底から笑うことは難しい。

いずれやってくること

 タイミングはともかく、我が家ではいずれやってくることが、かなり明確になりつつあった。

 以前書いた(193参照)が、なんだかんだ言いながら新しいことを引き受けたくない自分がいて、そこには書かず、また先方にも言わなかった理由がある。それは3人の90代を抱えていることだ。
 義母、そして私の父母。
 母は今年、90歳になる。父は95歳になる。
 この年齢は、統計的に「いつ亡くなってもおかしくない」。かといって、いまのところ、すぐに亡くなる様子ではない。訪問診療が2週間置きに来て、毎週、看護師とマッサージが来る。やれることはやっていて、いまでも日常生活は2人でなんとか維持している。
 義母はすでに歩けなくなり、さらに食事も満足にできなくなって久しく、病院と施設を行ったり来たりしてきた。それが、いよいよ厳しい状況になってしまったらしい。意識の低下も見られるのかもしれない。
 私は個人的に、タイミングを計ることはしない。それは諦めているわけではない。この世界のタイミングは人の思いを超えたところで決まってしまうので、自分で左右できないことを深く考えないようにしているだけである。
 高齢な家族の未来は、私にはどうにもならない。だったらせめて、自分のできることについては、慎重に対応しておきたい。
 かといって、高齢者が亡くなるのを息を潜めて見守っているような生活にもしたくはない。私も妻も、どちらかといえば明るい方で脳天気でもある。いい意味で楽天的だ。
 きっと乗り切れるだろう、と信じている。というのも、いま生きている人たちのほとんどが、肉親を失っているからだ。いつ、どのように経験するかは別として、とにかくそういうことになっている。だったら、私だって。

描きかけ



 
 

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