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218 ゴールデンウィークの思い出

正直、悪いことしか浮かばない

「5月はなんかねえ」と妻が言う。
 妻の周囲では、5月に亡くなった人が突出して多い。また、私たちが最初に引き受けた保護犬の急逝もGWのことだった。主治医は休んでいたので、救急対応の動物病院へタクシーで運んで深夜まで対応してもらったものの、残念な結果となってしまった。なにがいけなかったのか。もっと、なにかできたのではないか。そんな思いは、その後ずっとつきまとっている。
 ゴールデンウィークならではの、いい思い出はないのだろうか。
 思い出してみようとしても、なにもない。
 ついこの間まで、ゴールデンウィーク進行と呼ばれるスケジュールのおかげもあって、ちゃんと休んだことがなかった。
 社員だったときは強制的に休みになる。だからGWが近づくと、その1週間から10日間の間になにをどこまでやるか、ピリピリしながら仕事をし、関係各所と調整していた。いわゆる谷間(4月30日、5月1日、2日)をどう使うかも大きなテーマだ。1日はかつてはメーデーで、組合の行事でほぼほぼ仕事は止まった。それでも、鉢巻きをして行進している人たちの間を縫って、仕事をしていた。
 またGW期間中はどこも混雑する。チケットが取れない。だから諦めて、「早めの夏休み」を7月に取って消化した方がいい。そんな計算も働いた。
 フリーランスになると、GWはより貴重な時間となった。少なくともその間は、社員である人たちからは連絡はない。つまり、急な要望や急なミーティングはない(いまならリモートで発生しそうだけど)。自分の仕事に集中できるので、「GWの間にやればいいよね」と、さまざまな案件をそこで対応するようにしてしまう。
 GWのおかげで間に合うこともあれば、フルに使っても間に合わないこともある。
「GW明けでいいですよ」の言葉にすがって、あまりにも過度な期待をすると間に合わなくなることを若い頃に学んでいた。これは「年明けでいいですよ」と同じく、気をつけなければ足元をすくわれるのである。

いざ、どうするか?

 今年、ほぼほぼ、自分で創り出した仕事以外の仕事はない。いま気付いたが、これほど時間に余裕のあるGWは社会人になってからは、ほとんどなかった。
 いま、私は比較的便利な場所に住んでいて、歩いて15分圏内に、国際的にも知られた観光地(浅草、上野、秋葉原)がある。ということで、昨日、さっそく上野、御徒町へ行ってみた。用事もあったのでそのついでである。
 ところが、普段はそれほど人の多くない通りにも、朝から人が溢れている。かつてインバウンドで中国からの団体客が来ていた頃(春節時期)とは違う。みんなバラバラだ。数人単位。国籍も多彩。だけど、パッと見た混雑状況は同じぐらい。
 とてもではないが、アメ横に突っ込んで行く勇気はない。
 用事を済ませたら、とっとと仕事場に戻ったのだった。
 やっぱり、GWは仕事をするのが一番だ、と思ったりもする。あるいは、なにもしない。
 そしてふと思い出す。高校生、大学生の頃、GWには丹沢、あるいは尾瀬へ行っていた。やはり混雑はしていたけれど、いまのような混雑ではない。途中のバスが座れない、細い道で登山者が渋滞する、といったことはあったものの、いまから思えば空間を一人占めできるタイミングもあった。少しルートをズラすだけで、気持ちよく旅ができた。
 いまは、恐らくムリだろう。

試行錯誤中。


 
 
 

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