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夢を持つということ

幼稚園の時『将来に何になりたいかを絵に描こう会』の様なものがありまして、私はそんな事を微塵も思ってもいないくせに「ヘリコプターのパイロット」を描いた記憶があります。夢を持っていなかった私は、時間切れのためにやけっぱちでそんな事を描いたのだと思います。

やけっぱちヘリコプターの画を描いてから3~4年後、私は「サッカー選手になりたい」という夢を持つ事になりました。まだJリーグができるなどとはそれこそ夢にも思わなかった時代、小学校のグラウンドは野球部が占領しておりまして、サッカーゴールの網も張られておらず、試合をしても点が入ったかどうかさえよく分からない状況でした。当然の事ながら部員も足りず、ただひとつサッカー部に入るメリットがあるとすれば、それは『入ればレギュラーになれる』という事でした。

野球もバスケットも信じられないほど下手くそな私でしたが、何故かサッカーだけは人並み以上に上達しチームの主力となりました。チームのメンバーとの相性も抜群で「サッカーならイケる」と確信しました。

私の時代のヒーローはペレやジーコではなくマラドーナでした。小柄な私が夢を目標に切り替えられたのは、同じように小柄なマラドーナでも世界一になれる事を証明してくれたからです。

サッカー情報誌の付録のアルゼンチン代表の大きなポスターは今も実家に貼ってあると思います。雨でも雪でも関係なく、一人でもグラウンドに出てサッカーをやっていました。学校の行きも帰りもネットに入れたボールを蹴りながら歩き、途中の公園でも当然の様にサッカーをしていました。ちょっと変な子に映っていたかもかも知れません。

その後、高校2年の時に膝の手術をしましたが上手くいきませんでして、サッカーを諦める事にしました。踏ん張りが効かない足になってしまいましたので本気では出来なくなりましたが、社会人のチームにも加入して30代半ばまでは楽しく続けていました。今は足どころか、腰を痛めてしまいますので非常に残念ですが完全に辞めてしまいました。

今でも押入れの中には当時のサッカーボールが仕舞ってありまして、先日も衣替えの途中で取り出しましたが、う~ん何と言うのでしょう? 擦り切れたボールを手にすると、無念さとか、寂しさとか、懐かしさとか、そういった静かな感情ではなく、私の場合はその真逆の激しい感情が沸き起こってくる様です。
血が煮え滾る様な、当時試合中に感じていた何百倍にも濃縮されたアドレナリンと闘志が、体の隅々のすべての臓器から一気に際限なく放出される様な、決闘を控えた戦士の様な、「普段の自分」という殻に控えている生来の人格を感じてしまいました。

そうだ、こういう人間だったんだ。元々は。

年を重ねる中で「守るべきもの」を得ると同時に「守りに入る」生き方を選んでばかりきたのでしょう。(それで良いのだよ)という肯定と(それで満足しているのかね?)という疑問と、その両方の思いの狭間でジレンマとともに日々過ごしているのだなと思います。
今の私には全身全霊をかけて絶対に手に入れるべき夢がありません。なんとなく描いている理想の姿はありますが、何が何でも勝ち獲ってやるという夢ではありません。サッカーに没頭していた頃のような、死に物狂いで勝ちに突き進んでいた頃の自分が好きなのです。
具体的な夢を持ち、しっかりと残りの人生を突き進みたいと思います。

本日J1リーグ、ヴィッセル神戸の優勝が決まりました!
町田ゼルビア(J2優勝)、愛媛FC(J3優勝)のみなさまも努力が報われましたね。感動しました! 優勝おめでとうございます!
 

 

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