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「人類を裏切った男~THE REAL ANTHONY FAUCI(下巻) 」① ポイント抜き出し 1/6~第9章 白人の責務ー黒人を薬物の実験台にしてきた黒歴史(前半)

 2021年11月9日に米国で発売された本書は、書店に置かれず、様々な妨害を受けながらもミリオンセラーとなり、この日本語版も販売妨害を避けるためか、当初はAmazonでは流通させず、経営科学出版からの直売のみになっているようだが、現在はAmazonで買うことができるようになっている。

 日本語版は1000ページを超えるために3巻に分けられた。

 本書はその下巻「ビル・ゲイツの正体と医療植民地プロジェクト」だ。

 極めて重要な情報が満載で、要旨を紹介して終わりでは余りにも勿体ないので、お伝えしたい内容を列記する。

今回は第9章「白人の責務ー黒人を薬物の実験台にしてきた黒歴史」。
 本文で、90ページに渡る長い章なので、前半と後半の2つに分けて投稿する。

第9章の要点は以下の通り。

・ファウチと仲間たちは効かないエイズワクチンを作り出した。
・ビル・ゲイツはファウチと強固なパートナーシップを結んだ。
・ゲイツは「貧しいアフリカを救ってやるのだ」との名目の下、ファウチと共に主にアフリカでHIVワクチンの試験を繰り返し、多くの犠牲を出す。
・ビル・ゲイツがアフリカへの支援をワクチンだけに集中したため、食料や基本的な医療設備、医薬品などの支援が行われなくなり、アフリカの健康状況は悪化した。
・ビル・ゲイツは自身への批判をかわすために、金と圧力でマスコミを支配した。


以下、抜き出し。

 1984年、ロバート・ギャロのあの非道な記者会見に続き、ファウチ博士はエイズワクチンが間もなく完成すると世界に宣言した。

 マーガレット・ヘックラーは取材陣に対し、「2年ほどで試験用のワクチンを用意できるでしょう」と語った。
 だが、ヘックラーの予測は3分の1世紀以上ずれている。その遅れた数十年の間に、連邦政府は5000億ドルを優に超える額をエイズにつぎ込んだ。ファウチはその金のほとんどを、HIVに対する免疫化という漠としたワクチンの探求に費やしたのだ。ファウチは我々の税金を100種類近くのワクチン候補の開発に投入したが、ゴールに近づいたものは皆無だ。

 オクラホマ選出の上院議員で医学博士でもあるトム・コバーンは、ファウチの形式だけの議会詣でに何年も参加してようやく、未完成のHIVワクチンはアメリカ国立衛生研究所(NIH)にとってのATMであり、成功しようがしまいが関係ないのだという憤懣やるかたない確信に至ったのだった。NIAID側からすると、不成功に終わったファウチ博士の試験は、実はどれも失敗ではなかった。その一つひとつが、ファウチ博士のパートナーの製薬会社に莫大な公的資金を投入し、NIAIDや治験責任医師たちへの財政支援の継続という役割をきちんと果たした。

 2019年、コロナウイルスのパンデミック発生のわずか数ヵ月前、ファウチは電撃発表を行う。ついに有効なHIVワクチンを開発したという。
 しかし、ファウチ博士はがっかりするような補足説明をした。 新しいワクチンはエイズ感染を予防しないものの、実際に接種を受ければ、エイズ発症時には症状が大幅に軽減したように感じられるはずだ――この機知に富む技術官僚は、颯爽と予言した。

 ファウチ博士はメディアの卑屈なまでの従順さを熟知していたので、この熱を帯びた戯言にも質間はほとんど出ないだろうと予想していた。このどう考えてもおかしい提言に対しても、批判的なメディア報道は皆無であった。 ロバに口紅を塗り(訳注・うわべだけを飾っても本質は変わらないという意味の「ブタに口紅」という慣用表現より)、サラブレッドとして世界に売り込むのに成功したことで、博士の策略はますます大胆になり、1年後、同じく感染症そのものも伝染も防止できないコロナワクチンに同様の化粧を施せばいいと思わせたのかもしれない。

恐怖の連鎖

 産官の科学者は恥ずべき所業を隠してきた。 患者を襲った悲劇や彼らが流した涙で千篇もの物語ができるだろう。それを秘密にしたり、ごまかしたり、言い逃れをして覆い隠してきた。 Googleや PubMed などの検索エンジン、各種ニュースサイト、公表済みの臨床試験データを調べれば、それほど苦労せずに失敗事例が見つかり、新たな残虐行為に衝撃を受けるだろう。

 胸が張り裂けるような悲劇、お堅い官僚組織の傲慢さや人種差別、破棄された約束、浪費された莫大な金、そして、アンソニー・ファウチ、ロバート・ギャロ、ビル・ゲイツが繰り返す欺瞞残酷で終わりのない恐怖の連鎖だ。

 読者のみなさんが読むのを止めてしまわないよう、悲痛な物語からランダムに選んだほんの一部だけをご紹介しよう。

帰ってきたロバート・ギャロ

 1991年、数年来の論争に決着をつける形で、ロバート・ギャロはついにモンタニエからHIVウイルス発見の功績を盗んだことを認める。
だが彼は、 罰らしい罰は受けなかった。

 4月14日、「シカゴ・トリビューン』紙のジョン・クルードソンによる記事で、その前年にパリで3人のエイズ患者がギャロのHIVワクチン試験で亡くなっていたことが発覚する。

 エイズワクチン研究のご多分に漏れず、NIHの研究員はその残虐行為を隠蔽した。ギャロもザグリーもこの死亡を報告しなかった。それどころか、ギャロは1990年7月21日発行の『ランセット』誌でこの試験は大成功だと自画自賛し、そのワクチンを投与された被験者の中には「死亡例はなく」、「合併症および不快症状もなかった」と大胆にも主張した。

 NIHの幹部も、ギャロが死亡事案を公表しなかったことに抗議した。ある職員は、ギャロの報告漏れを「非常にまずい」と表現した。 NIHの記録によると、ギャロも彼の共犯者も被験者保護局 (OPRR)に死者数を報告していなかった。連邦法では、ヒトを対象とした試験はOPRRが許可し、研究者は有害事象(もちろん最も深刻な有害事象を含め)を報告する義務がある。 OPRRは2月に、ギャロと彼のチームが本国ならびにヨーロッパで複数の連邦規則違反を犯したとし急遽試験の中止を命じた。

 例によって、ギャロはこの直近の失敗に、ひるむことも、当惑することも、へこたれることもなかった。 買弁的なウイルス学コミュニティは沈黙を貫いた。HIVについて正統とされる説を精査されてはかなわない。NIHを巻き込んだスキャンダルに発展しかねないからだ。

 5年後、ギャロは国立がん研究所 (NCI)を去り、長年の取り巻き2人、ウィリアム・ブラットナーとロバート・レッドフィールドと共にヒトウイルス研究所(IHV)を設立した。

ロバート・レッドフィールド博士 

 アメリカ人の多くは、レッドフィールドを、2020年のコロナパンデミック時にドナルド・トランプ政権時代に疾病対策センター (CDC)のセンター長だった人物として記憶にとどめているだろう。レッドフィールドと彼の忠実な相棒デボラ・バークス博士は、ファウチ博士と共に、トランプのコロナウイルス・タスクフォースのメンバーだった。

 レッドフィールドとバークスはもともと軍医であり、1980年代から1990年代にかけて軍のエイズ研究を主導した。

 レッドフィールドと彼の助手だったバークスは、共にワシントンのウォルター・リード米軍医療センターに勤務していた。 米軍資料によると、1992年、2人は『NEJM (ニューイングランド・オブ・メディシン)』誌に不正確なデータを公表し、彼らが開発に関与しウォルター・リードの患者を対象に試験したHIVワクチンは有効だと主張した。2人とも、そのワクチンが無価値であることを知っていたはずだ。

 1992年、空軍軍医部は、レッドフィールドがGP160エイズワクチンの有用性を喧伝しようとしていることを追及した。データ操作、不適切な統計分析、誤解を招くデータ提示が系統立てて行われていることが疑われたのだ。
 科学的な不正や違法行為を審議するために特別召集された空軍裁判所は、レッドフィールドの「誤解を招く、あるいは詐欺的とも言える情報は、彼の研究者としての信用を著しく損ね、軍組織全体のエイズ研究助成金給付に悪影響を及ぼしかねない。彼の非倫理的行為は誤った期待を持たせ、ワクチンの早計な利用につながる恐れがある」と結論づけた。

 裁判所は「完全に独立した外部の調査機関」による調査を推奨した。軍法会議にかけられ、医師免許を剥奪され、収監される可能性もあると脅されたレッドフィールドは、憤慨する国防総省尋問官と裁判所に、自らの分析は欠陥があり虚偽的であったと認めた。そして、不正確な内容を修正すること、および1992年7月のエイズ会議で予定されている講演でそのワクチンが無価値だと公言することに同意した。

 ところが、おそらく会場の大きさに、そしてマイクと聴衆を前に決心が揺らいでしまったのだろ嘘を撤回するどころか、この会議とその後の2つの国際エイズ会議で、不正な主張を厚かましく繰り返した。驚いた軍検察官が見守る中、彼は虚偽だと暴かれた主張を恥ずかしげもなく議会証言でもそのまま繰り返し、自分のワクチンはHIVを治したと断言したのだ。

 レッドフィールドの大胆な戦略は功を奏した。 レッドフィールドの鉄面皮の言説に煙に巻かれ、議会は即座にレッドフィールドとバークスの研究プロジェクトの費用として軍に2000万ドルの助成を承認した。激怒した軍検察官は、レッドフィールドを軍法会議にかけるよう要求する。だが、議会がプロジェクト予算を増額したことで、軍は調査を取りやめ、検察官の口を封じ、レッドフィールドの悪事を「ごまかす」ことにした。

 キャリアに終止符を打つほどの大失敗から生還し、勝利を手にしたことで、レッドフィールドは完全犯罪を成し遂げた。その大胆なごまかしによって、バークスとレッドフィールドは一躍、国の衛生当局高官という輝かしいキャリアを手にする。

 ギャロから私への2021年5月11日付けのメールには、IHVの年間予算は1億ドルを上回っており、「その大半は、大統領エイズ救済緊急計画(PEPFAR) からのもの」だと記されている。

 ジョージ・W・ブッシュ大統領はファウチに促され、連邦政府や民間や軍が各自で展開していたエイズ支援をまとめるため、2003年にPEPFARを立ち上げた。2014年以降、PEPFARのトップを務めるデボラ・バークスは、 同時にビル・
ゲイツが支援するグローバルファンドの理事でもある。

 2017年のIHVの年次報告書では、この2人のインチキ医師が6億ドル以上の助成金を獲得したと豪語している(その大半はNIHとビル・ゲイツからのものだ)。彼らが有利な提携をさらに強固にしたからだ。その戦利品の大部分を、効果のないHIV薬や黒人でのワクチンの試験に使ったようだ。対象になったのは、ワシントンとボルチモアの2万人と、アフリカとカリブ海地域の130万人だ。

 さらに1998年、HIV事業への新たな資金提供者が現れた。その人は、有り余る財産を有し、ワクチンに執着していた。

 その年、ウィリアム・H・ゲイツ財団は、ゲイツの国際エイズワクチン推進構想 (IAVI。GAVIアライアンス[訳注・ワクチンと予防接種の拡大を目指す世界同盟」の前身)を通じ、エイズワクチン開発に9年間で5億ドルを支援する計画を発表する。

 レッドフィールドのそれまでのペテン師かつインチキ医師としての振る舞いは周知の事実であったにもかかわらず、CDCがコロナワクチン推進を最重要ミッションとしているときに、ドナルド・トランプ大統領はレッドフィールドをセンター長に任命した。 長年レッドフィールドとアンソニー・ファウチの庇護を受け、ビル・ゲイツの親友でもあるバークスも登用された。

 この3人のワクチン詐欺師――レッドフィールド、バークス、ファウチ がホワイトハウスの新型コロナウイルス対策本部を率い、パンデミックの最初の年のアメリカ政府の対応を舵取りした。

 アメリカ中の人々を自宅に軟禁し、世界経済を停止させ、国民がヒドロキシクロロキンやイベルメクチンなどの救命可能な治療薬や初期治療を受けることを認めず、陽性者数や死者数をあえて大々的にテレビ報道し大衆の恐怖心をあおり続け、「日常生活に戻る唯一の方法は奇跡のワクチンだ」と世界に向けて連呼した。わずかな科学的裏付けだけで極めて厳格な感染者の隔離、マスク、ソーシャ ディスタンスを課し、意図的なのか偶然なのか、 「ストックホルム症候群」と呼ばれる一種の集団精神病を引き起こした。この症候群に罹った人質は、生き残るには絶対服従しかないと思い込み、加害者に対し感謝の念を抱くようになる。

ゲイツとファウチの蜜月

 ビル・ゲイツはIAVIを公表した2年後、ファウチ博士をシアトルに呼び出し、パートナーシップ締結を申し出た。この関係は20年後の人類に大きな影響を及ぼすことになる。

 その後20年間でこのパートナーシップに、製薬会社、軍部、諜報機関、国際的な保健機関までもが名を連ねるようになった。関係者全員が協力し、パンデミックもワクチンも兵器並みに強力だと喧伝し、バイオセキュリティというイデオロギーに根差した新しい企業帝国主義を世界に浸透させるようになる。このプロジェクトは、ゲイツとファウチ博士に空前の富と権力を、そして民主主義と人類に破滅的な結果をもたらした。

マイクロソフトによる市場独占

 影響力にこだわるビル・ゲイツは当初から権力を手に入れようとした。ゲイツは裕福な家庭に生まれた。曽祖父は銀行経営で財を成し、現在の価値にして数百万ドルの信託ファンドをビルに遺す。

 ビル・ゲイツは1975年にハーバード大学を中退した後、ソフトウェア工学に情熱を傾け、マイクロソフトを立ち上げた。

 1980年、IBMがパソコンのOSの開発担当企業の募集を計画すると、メアリー・ゲイツは、自分の息子に賭けてみてほしいとオペルを説得する。 この口利きのおかげで、創業間もない会社はその後20年間で一流企業の仲間入りをし、ゲイツは億万長者となったのだ。

 ビル・ゲイツの幼少期からの親友でマイクロソフト共同創設者のポール・アレンは、2011年の著書「ぼくとビル・ゲイツとマイクロソフト』で、ゲイツを皮肉っぽく傲慢な人物と評し、1982年にアレンをマイクロソフトから追放し会社の株式を奪おうと画策していたと明かしている。

 1998年5月、司法省と20の州の検事総長は、 Windows 搭載コンピュータに顧客が競合ソフトウェアをインストールするのを違法に妨害したとして、マイクロソフトを独占禁止法違反の疑いで提訴した。 司法省はシアトル連邦地裁に対し、罰金としては過去最高の1日100万ドルをゲイツに科すよう求めた。トマス・ペンフィールド・ジャクソン連邦裁判所判事は、シャーマン法に違反したとの判決を下した。

 ジャクソン判事はマイクロソフトを2社に分割し、それぞれの会社がOSかアプリケーションソフトのいずれかしか扱えないようにする措置を命じた。ところが、この決定は控訴審で覆され、司法省は同社の分割を断念し、マイクロソフトは痛くも痒くもない30万ドルの罰金の支払いと競合他社とのインターフェースに合意した。

 この訴訟は、金銭面は別として、ビル・ゲイツの評判には傷がついた。 ジャクソン判事は、ゲイツの証言は「のらりくらりとして要領を得ない」と苦言を呈し、 自身や自社を皇帝ナポレオンのように捉えており、つらい経験や挫折をまったく味わったことのない権力や成功からくる傲慢さがある」と評した。

 国民は裁判の模様、すなわちゲイツがどういう人間かを示す証言を嫌と言うほど見せられ、ジャクソン判事と同じ嫌悪感を味わった。2000年の集団訴訟で、マイクロソフトがアフリカ系アメリカ人従業員に甚だしい差別を行っていたことや、人種的偏見に基づくメッセージをソフトウェアに組み込んだことが争点となり、ゲイツに対する世間のイメージをさらに悪化させた。

 雪だるま式に膨らむ大衆 からの嫌悪感に対し、ビル・ゲイツは議会に働きかけて司法省の予算を大幅に削減したり、多くの広告会社を雇って 「冷酷で二枚舌で、キングベイビー症候群(訳注・自己愛が強く、他人に威張り散らす 「王様」と、他人が自分の欲求をすぐに満たしてくれることを期待する 「赤ん坊」が共存する心理状態)の悪徳資本家」という自身のイメージを和らげる作戦に出たりした。

 妻と共に「ビル・アンド・メリンダ・ゲイツ 子どものためのワクチンプログラム」という慈善基金を設立し、1億ドルという破格の拠出をしたのも、彼の公的人格を一新する集中キャンペーンの一環であった。

ロックフェラーとビル・ゲイツのつながり

 一世紀さかのぼれば、アメリカ初の億万長者ジョン・D・ロックフェラーが、大衆からの嫌悪、マスコミの悪評、独占禁止法違反の訴追を、医療慈善活動を立ち上げることで見事にかわした例がある。

 ビル・ゲイツがこの世に生を受けたときにはすでに、ロックフェラー財団の資金提供術という前例があったのだ。ビル・ゲイツは2018年、「我々の財団は、行く先々で、ロックフェラー財団が先鞭をつけていたことを知りました」と、自分のしていることをはっきり自覚している所見を述べている。

 20世紀初め、ロックフェラーは、非情なやり口、例えば、贈収賄、価格協定、産業スパイ活動、ダミー会社設立などによって違法行為を行いやすくし、スタンダード・オイル社を設立した。

 ロバート・ラファイエット上院議員は、ロックフェラーを「世紀の犯罪者」と厳しく非難した。この石油王の父、ウィリアム・デビル・ビル・ロックフェラーは詐欺師まがいの行商人で、医師になりすまし、ヘビの油やアヘンでできた不老不死の薬、特許医薬品、特別な効能を謳った薬など、雑多な魔法の薬を売り歩いて家族を養った。 

 1900年代初頭、石油精製で生じる副産物が医薬品原料に使えることを科学者が発見すると、ジョン・D・ロックフェラーは、医療家系の強みを十分に活かす時機が来たと考えた。当時、アメリカの医師や医科大学の半数近くがホリスティック医療(訳注・患部だけでなく精神状態や生活環境などを含め患者全体を治療すること)や薬草による治療を行っていた。ロックフェラーとその友人の悪徳資本家 「鉄鋼王」 アンドリュー・カーネギーは、教育家のエイブラハム・フレクスナーを派遣して全米を調査させ、アメリカの155の医科大学と病院の実態に関する目録を作らせた。

 ロックフェラー財団が出した1910年のフレクスナー・レポートは、アメリカの医療教育を一元化し、瘴気論(訳注・病気は悪い空気により発生するという考え方)を脱却して「細菌論」に基づき再構築するよう提唱したものだった。細菌論は、病気の唯一の原因は細菌だとする考え方で、同レポートは、健康的な生活習慣、清潔な水、良好な栄養状態によって免疫系の強化を図るよりむしろ、特定の薬で特定の細菌を攻撃する薬学のパラダイムをベースにすべきだと説いた。

 ロックフェラーはこの主張を掲げて大金をつぎ込んでキャンペーン活動を展開した。 医学は細菌論が主流となり、急成長していた製薬業界は細菌論を取り込み、競合する理論を奉じる者たちは閉め出された。

 ロックフェラーの改革運動によってアメリカの医科大学の半数以上が閉鎖された。国民やメディアは、ホメオパシー、整骨、カイロプラクティック、栄養療法、ホリスティック医療、機能性医学、統合医療、天然薬を侮蔑するようになり、多くの開業医が収監される事態となった。

瘴氣論 vs 細菌論

「瘴気論」は、栄養によって免疫系を強化し、環境有害物質やストレスへの曝露を抑えて病気を予防することに重点を置く。瘴気論では、免疫系が弱ると体も弱り、病原体の侵入を許してしまうために病気が起きるとする。

人間の免疫系は、リンゴの皮に例えられる。皮が無傷なら、リンゴは室温で1週間、冷蔵すると1ヵ月間もつ。だが、皮に小さくても傷がつけば、それに乗じて数十億個の微生物 (微生物はすべての有機体の表面に付着しているものだ)が傷のついた部位に定着するため、数時間のうちに全体が腐り始める。

対照的に、細菌論の信奉者は、病気の原因は微小な病原体だとする。 悪い病原体を特定し、それを殺す毒を作ることで、健康にアプローチする。瘴気論者は、こうした特異的な毒そのものがさらに免疫系を弱らせたり、ダメージを受けた部位に別の強い病原体を招き入れたり、慢性疾患を引き起こしたりすると考える。 世界は微生物であふれており、その多くは有益なもので、良好な栄養を与えられた健康な免疫系には無害だと指摘する。

良くも悪くも、細菌論者の第一人者ルイ・パスツールとロベルト・コッホが、対抗する瘴気論者であるアントワーヌ・ベシャンとの数十年に及ぶ壮絶な戦いに勝利を収める。

細菌論が現代の公衆衛生政策の礎となっていることは、あらゆるものを抗菌仕様にし、ワクチン接種が普及している点だけを見てもわかる。

微生物論についても同じことが言える。 アメリカの社会学教授スティーブン・エプスタインは「現代の生物医学の基礎となったのは、微生物を唯一の原因とみなし、その特効薬を探求するというアプローチだ。ひとつの病気に原因と治療法がひとつずつあるとする考え方である」と述べている。

 死を目前にした勝者パスツールは、「ベシャンは正しかった。微生物は問題ではない。地盤がすべてだ」と自説を撤回したと言われている。瘴気論は、統合医療や機能性医学を実践する者たちによって、細々とではあるが、今もしっかりと受け継がれている。そして、ヒトの健康や免疫に微生物が果たす非常に重要な役割を立証する科学が急激に進歩し、微生物は有益だとするベシャンの持論が正しいことが証明されつつある。

細菌論の根幹を成すのは、20世紀の北米やヨーロッパでワクチンによって感染症死亡者が激減したという見方だ。例えば、アンソニー・ファウチは決まって、20世紀初頭に感染症による死者が激減したのはワクチンが登場したおかげで、何百万人もの命が救われたと主張する。

CDCとジョンズ・ホプキンス大学がこの根本的なテーマを包括的に研究し、2000年に権威ある『Pediatrics』誌に発表した。一世紀に及ぶ医療データを精査し、「ワクチン接種は、20世紀における伝染病死亡率の著しい低減の主要因ではない」との結論に至った。

広く準拠されるマッキンリー夫妻による研究は、1970年代のアメリカのほぼすべての医科大学で必読書だった。そこでは、ワクチン、手術、抗生物質といったあらゆる医学的介入は、劇的な死亡率低下に約1%かせいぜい3.5%しか寄与していないことがわかったとしている。夫妻は、暴利をむさぼる医療関係者たちが予防接種政策を正当化するため、死亡率低下はワクチンの功績だと主張するだろうと先んじて警告している。

その7年前、米国感染症学会の創設メンバーとして初代会長を務め、『Journal of InfectiousDiseases (米国感染症学会誌)」の創刊編集者でもあった世界最高峰のウイルス学者にしてハーバード大学医学部教授のエドワード・H・キャスは、同じウイルス学者である彼らが死亡率の劇的減少の手柄を横取りしようとしていることを非難し、半端な真実を広めた彼らを叱責した。

 公衆衛生の真のヒーローは医療従事者というよりむしろ、下水処理場の建設、食糧を輸送するための鉄道や高速道路などの交通網の整備、冷蔵庫や塩素消毒済水道水の実用化といったことを成し遂げた技師たちだと、キャスは認識していたのだ。

 図11は、細菌論の基本概念を真っ向から否定し、瘴気論の治療方法を全面的に支持するものだ。
これらのグラフは、感染性、非感染性を問わず、ほぼすべての致死性疾患の死亡率が、 栄養と衛生状態の改善に伴って減少したことを示している。最も大きく減少したのは、ワクチン接種の導入よりも前なのだ。

ワクチンの使用に関係なく、感染性疾患の死亡率も非感染性疾患の死亡率も共に減少していることに注目していただきたい。

エンゲルブレヒトとケーンラインはこう述べている。

 豊かな社会では疫病はめったに起こらない。なぜなら、このような社会では、多くの人が免疫系を非常に健康に保ち得る環境(十分な栄養、清潔な飲用水など)が提供されているため、病原菌が異常増殖する余地がないのだ。

細菌論を外交政策に利用したファウチとビル・ゲイツ

 ビル・ゲイツとファウチ博士の医療に対する軍国主義的な手法のせいで、アフリカやアジアで2つの価値観が対立した。栄養と衛生はワクチンに対抗した。財源や正当性をめぐって生死を賭けた壮絶な戦いだった。

 これらの対立する主張の衝突の経緯を見ると、ビル・ゲイツとアンソニー・ファウチの公衆衛生の手段の枠組みがよく理解できる。彼らの大規模ワクチン接種事業の効果を評価するには、接種済み集団がたどった転帰と、状況の似た非接種集団のそれとを比較できるきちんとした数字が必要だ。

 だが2人とも、このような数字を積極的には公表してこなかった。つまり、信頼できる基準や科学に基づく分析が存在しない可能性があり、それに乗じてビル・ゲイツとファウチが有効性や安全性について怪しげな主張を押し通しているのではないだろうか。

 アフリカでの予防接種が果たす役割を正確に検証するには、大規模ワクチン接種事業に大きな課題があることを理解しなければならない。その課題とは、権力や富や支配が優先されることにより、旧来の公衆衛生を犠牲にする可能性だ。そして、細菌論を外交の道具とした草分けもやはりロックフェラー財団だった。

ロックフェラー財団の戦略

 1911年、スタンダード・オイルの「市場独占は不当」であるとして、最高裁判所は解体を命じ、この巨大企業は、エクソン、モービル、シェブロン、アモコ、マラソンなど、34社に分割された。
 皮肉なことに、この分割によって、ロックフェラー個人の財産は減少するどころか増加した。
 ロックフェラーは、この思いがけない臨時収入からさらに1億ドルを自らの慈善団体である一般教育委員会に寄付し、医科大学と病院の合理化と均質化をさらに推し進めた。 薬学のパラダイムに則り、薬用植物に含まれる化学成分を同定できるよう、科学者にも大幅な助成を行った。伝統医療を根絶やしにするべく、そこで使われていた薬用植物を取り上げたのだ。

 ロックフェラーお抱えの化学者たちは、これらの成分を石油から合成し、特許を取得した。

 1913年、ロックフェラーは、アメリカがん協会とロックフェラー財団を設立した。 財団の設立は、この時代には画期的だったが、国民からは「脱税」行為との批判もあった。

 議会はこの財団を「国家の政治、経済の将来的繁栄に対する脅威」となる利己的策略だとして、設立認可を何度も拒否する。ジョージ・ウィッカーシャム司法長官は、財団は「莫大な富を永続させるためのスキーム」であり、「公共の利益とまったく相容れないもの」だと糾弾した。

 ロックフェラー財団は、健全なる目的を示して国民や政治家、マスコミを安心させるため、鉤虫感染症、マラリア、 黄熱病の根絶という野望を宣言した。鉤虫感染症根絶を目標とするロックフェラー衛生委員会は、医師、調査員、実験担当者から成るチームを南部の11州に派遣し、駆虫薬投与を実施した。派遣団は、投薬の有効性を系統立てて誇張して通常の死亡を薬を飲まなかったせいだとした。さらに、ロックフェラーに雇われたジャーナリスト軍団のおかげで、国民から好意的関心が財団に寄せられるようになり、植民地への進出が正当化された。

 ロックフェラー財団は製薬企業と「官民パートナーシップ」を結び、インターナショナル・ヘルス・コミッションという機関を立ち上げた。この機関により、植民地となった熱帯地方の不運な人々への黄熱病の予防接種が性急に開始された。

 ワクチンは大勢の被接種者を死に至らしめた。黄熱病を予防することができなかったのだ。ロックフェラー財団はこの無益なワクチンをひっそりと取り下げた。 取り下げる前、財団の花形研究員で、黄熱病ワクチン開発者、野口英世がこの病で倒れた。

 ウイルス学分野では倫理観が未成熟だったこともあり、ご都合主義の野口は華々しい出世を遂げた。 野口が息を引き取ったとき、ニューヨーク市の孤児たちに法定後見人の同意なしに梅毒ワクチン試験を違法に行った容疑で、ニューヨーク地方検事が彼を捜査中だった。

 頓挫してしまったが、ロックフェラー財団の黄熱病プロジェクトは米軍の目に留まった。軍では、赤道付近での任務が増え、派遣隊員が熱帯病に罹ってしまうと軍が機能しなくなるため、熱帯病の治療法を探していた。1916年には早くも、帝国主義を進めるツールとしてバイオセキュリティがいかに有効かを指揮官が説いている。
「疑い深い未開人をなだめるには、機関銃よりも薬のほうが良い」

ロックフェラー財団が公衆衛生分野のパイオニアとしての地位を慎重に築いていったことで、アメリカ人がスタンダード・オイルという石油帝国から想起する様々な悪事への嫌悪感は薄れていった。 第一次世界大戦後には、国際連盟保健機関(LNHO)への支援によって、世界規模での影響力や、高官レベルの国際エリート集団との接点を持つようになった。

1913年から1951年にかけ、ロックフェラー財団の保健部門は30カ国以上で活動を行った。今や財団は世界規模の疾病に最適に対処できる事実上の世界最高峰の機関であり、その影響力は同分野で活動するすべての非営利団体や政府組織を凌ぐものだった。

1922年にLNHOが設立されると、予算の半分近くを援助し、同機関の要職を財団のベテラン職員やお気に入りの人物で埋めた。 財団の理念、組織構造、価値観、指針、イデオロギーをLNHOに吹き込み、そのすべてが1948年発足の後継団体であるWHOに受け継がれた。

1951年にジョン・D・ロックフェラーが財団の国際保健部を解散するまで、同保健部は100近くの国や植民地での熱帯病撲滅活動に現在の価値にして何十億ドルもつぎ込んだ。だが、2017年の報告書「U.S. Philanthrocapitalism and the Global Health Agenda(米国の慈善資本主義グローバルヘルスの課題)』によると、これらのプロジェクトは、財団の最大の関心事の悪辣を粉飾するためのものだった。前述の報告書では、現代の評論家たちがビル&メリンダ・ゲイツ財団に向けるのと同じ批判がロックフェラー財団に向けられている。

 だが、ロックフェラー財団は、最も重要な死因- ―特に、乳幼児下痢症と結核――にはほとんど対処しなかった。当時は専門的処置もなく、住環境の改善、清潔な水の供給、公衆衛生の制度化など、長長期にわたる社会的投資が必要だった。財団は、費用や時間のかかる複雑な撲滅活動には手を出さなかった(黄熱病には、[軍と]経済を危険にさらしていたため、例外的に取り組んだ)。取り組みの大半は、企業が四半期報告書に成功事例として載せられるような、達成可能な定量目標(殺虫剤散布や医薬品配布など)に絞られていた。財団の公衆衛生活動は、その過程において、経済的生産性を上げ、消費者市場を拡大し、多くの国や地域に海外投資を受け入れさせ、拡張を続ける世界資本主義システムに組み込んでいくための地ならしをしていたのだ。

まさにビル・ゲイツのために仕立てられたビジネスモデルではないか。

ビル・ゲイツが掲げた「慈善資本主義」

ビル・ゲイツは自らの財団の運営方針を「慈善資本主義」と呼ぶ。

慈善資本主義を簡単に説明しよう。ビルとメリンダのゲイツ夫妻は、1994年から2020年の間に360億ドルのマイクロソフト株をビル&メリンダ・ゲイツ財団に寄付した。ビル・ゲイツはかなり早い段階で別法人のビル・ゲイツ・インベストメンツを立ち上げており、ゲイツ個人と財団の資産を運用していた。

2015年にメリンダを加え、ビル&メリンダ・ゲイツ・インベストメンツと改称したこの企業は主に、食品、農業、医薬品、エネルギー、電気通信、テクノロジー分野の多国籍企業に投資する。  連邦税法の定めでは、ビル&メリンダ・ゲイツ財団 (BMGF)が税控除を受けるには、財団資産の7%を毎年寄付しなければならない。ビル・ゲイツは、BMGFの慈善寄付金を国際的な保健機関や農業機関、さらにメディアの掌握に戦略的に利用している。

これにより、BMGFはグローバルヘルス政策や食料政策への影響力を獲得し、ゲイツ個人と財団が多額の投資をしている巨大多国籍企業の収益を増やすことが可能になる。

ゲイツ財団は1994年以降548億ドルほどを寄付しているが、この戦略のおかげで彼の富は減るどころか増えているのだ。戦略的慈善活動によって、2019年のゲイツ財団の純資産は498億ドルに増加した。さらに、2000年には630億ドルだったビル・ゲイツ個人の純資産も、現在は1336億ドルに膨らんでいる。 彼とファウチが主導した2020年のロックダウン期間中だけでも、ゲイツの財産は230億ドル増加しているのだ。

ゲイツ財団は、設立直後から、多くの製薬会社株を保有している。「ネイション』誌の最近の調査によれば、ゲイツ財団は現在、メルク、グラクソ・スミスクライン、イーライリリー、ファイザー、ノベルティス、サノフィといった製薬会社の株式や債券を保有している。また、ゲイツ個人は、ギリアド、バイオジェン、アストラゼネカ、モデルナ、ノババックス、イノビオの各社で要職に就いている。財団のホームページでは、そのミッションを「主要ワクチン製造業者とより効率的な協業モデルを模索し、さらなる相互利益の機会を追求する」と無邪気に謳っているのだ。

ビル・ゲイツとファウチによる暗黒大陸の植民地化

 ビル・ゲイツとファウチ博士は固めの握手をした後、すぐさまワクチン事業での提携態勢を整えた。ゲイツは2015年までに、エイズ薬開発(主としてアフリカ人での試験実施)に年間4億ドルを費やしていた。もし、エイズ治療薬の効果をアフリカで証明できたなら、その薬を欧米諸国で販売できるので、彼らへのリターンは天文学的な数字になっただろう。

ビル・ゲイツにとって、ファウチ博士との新たな提携の効果はすぐに現れた。アメリカ政府最高位の公衆衛生官僚と手を組めば、ゲイツの公衆衛生実験は厳粛に執り行われる信頼性の高いものとの箔がつく。しかも、ファウチ博士は世界を股にかけた黒幕で、とてつもなく大きな資金を自由にでき、アフリカに対して絶大な政治的影響力も持っている。大統領が信頼を置く側近としての博士は、アフリカ大陸に流入するHIV関連の資金を呼び込むのに無視できない存在となっていた。

ファウチ博士は、人道主義者としての誠意を見せるよう歴代のアメリカ合衆国大統領を説き伏せ、対外援助費の振り分け先を、栄養や衛生、経済発展の分野から、ワクチンと薬を用いたアフリカのHIV危機解消へと変更させた。

その後10年間のエイズ減少実績は惨憺たるものとなるのだが、ファウチ博士はビル・クリントン大統領を説得し、1997年5月、アフリカでのエイズ撲滅をムーンショットとする国の新たな科学目標を設定させた。

2008年、『欧州分子生物学機関誌』は、査読済み論文 「The Grand Impact of the Gates Foundation. Sixty Billion Dollars and One Famous Person Can Affect the Spending and Research Focus of Public Agencies (ゲイツ財団のとてつもない影響力。600億ドルとひとりの著名人が公的機関の予算使途と研究テーマを左右する)」を発表する。これは、ビル・ゲイツとファウチの提携により、 NIHの助成がどのようにゲイツ個人の優先順位を反映させるべく歪められたのかを検証するものだ。そこには、ゲイツとファウチが手を組んで以降、NIHが「研究所全体の予算がほぼ横ばいのときに」 10億ドルをゲイツのグローバルワクチンプログラムに移管させた様子が描かれている。

この論文では、ビル・ゲイツとNIHの連携テクニックが詳述されている。ゲイツ財団とウェルカム・トラストがそれぞれの寄付金をNIH財団に集約させたうえで、NIH財団が資金を管理し、ゲイツがその使途を決定する。すると、ゲイツは自分の気に入ったプロジェクトをアメリカ政府のお墨付きにできる。彼はこうして当局を取り仕切る役職に就いているのだ。

これらの資金がアフリカ人の延命や生活向上に役立ったという客観的証拠はないに等しいものの、アフリカを支援して富をもたらす者としてのファウチ博士の評判は着実に高まっていった。 アフリカの公衆衛生政策の鍵は、ファウチの手中にあった。ビル・ゲイツが扉を開くには、ファウチが必要だったのだ。

 製薬業界はアフリカ進出を企んだ。

 HIVは、ビル・ゲイツとファウチ博士が医療植民地主義という新ブランドをアフリカで展開する足掛かりとなり、2人が強力なグローバルネットワークを構築し維持するための媒体となった。このネットワークには、各国の首脳、保健省の大臣、国際的な保健機関WHO、世界銀行、世界経済フォーラム、急成長中のバイオセキュリティ関連事業の旗振り役である金融業界の要人や軍当局も名を連ねるようになっていた。その歩兵隊の役割を果たすのが、現場のウイルス学者、ワクチン学者、臨床医、病院経営者で、彼らは気前よく支給された援助に頼って、地域に根差した活動で医療植民地化を進めていった。

慈善資本主義による世界支配

 1941年8月、フランクリン・ルーズベルト大統領は、第二次世界大戦でアメリカが連合国側を支援する条件として、ウィンストン・チャーチル首相に大西洋憲章への署名を迫った。アメリカの理想主義を高らかに掲げるこの憲章は、ヨーロッパ連合に終戦後の植民地放棄を要求するものだった。

 ヨーロッパは二世紀にわたり植民地世界の豊富な資源を無制限に利用することで富を得てきた。大西洋憲章および1950年代から1960年代の国家解放運動によって、伝統的なアフリカの植民地支配は終焉を迎えた。だが、すぐさまこの大陸で多国籍企業とその支援国による「ソフトな植民地化」が再び開始されることになる。

 アメリカの軍部と情報機関は、冷戦時代にヨーロッパに駐留させていた部隊の多くをアフリカに配置転換した。アメリカの多国籍企業を歓迎して「反共産主義者」であると見せかける統治者であれば誰でも支援を受けられた。

 ベルリンの壁が崩壊したとき、アメリカはすでに発展途上国に655カ所(現在は800カ所)の軍用基地を展開していた。米国企業は基地を受け入れた国で好き放題に農業資源、鉱物、石油、木材を採取し、医薬品に代表される製品の巨大市場としてアフリカを利用した。

 製薬業界は、アフリカの天然資源と病気で苦しむ従順な人々を喉から手が出るほど欲した。 このような状況下で、バイオセキュリティは企業帝国主義の急先鋒として発展していった。

 ビル・ゲイツとファウチ博士は、自分たちの新しい医療植民地プロジェクトの論理的根拠として、バイオセキュリティを持ち出した。 彼らは冷戦時代の軍の決まり文句を換言し、アフリカでHIVを食い止めなければニューヨークやロサンゼルスでこのウイルスと戦うことになると警告した。

 ゲイツとファウチ博士が組んだ権力は資本の乏しいアフリカ諸国政府に対外支援金を慈雨のように降らせ、彼らは現代のアフリカ植民地総督になった。WHOはその臣下になって製薬会社にアフリカ市場を開放し、不要になった製品を投げ売り、有望な新薬を試験できるようにした。

(後半に続く)

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