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「真の歴史教科書のネタシリーズ1」 〜「ユダヤ人」の正体

「ユダヤ人」と聞いて、何をイメージするだろうか?

 祖国を失って世界を放浪していた民族? あるいは、アメリカを牛耳り、世界を牛耳っている支配民族?

「ユダヤ人」という呼び名は、悲劇の主人公としても、悪の主人公としても強烈な印象を残している。

 2024年5月17日現在、イスラエル・パレスチナ戦争が続いており、イスラエルによる「この場所は神によって我々ユダヤ人に与えられた約束の地である」との思想が戦争の背景にあることに注目しなければいけない。

「祖国を失って可哀想なユダヤ人」との評価が、イスラエルの建国の際に世界中の同情を集めてパレスチナの人々を狭い地域に押しやる原動力になったので、「ユダヤ人」とは何なのかを理解しておくことは、現代の社会情勢を読み解く上で非常に重要な意味を持っている。

 この記事は元々、「アシュケナージ系ユダヤ人のルーツはハザール王国」であることをメインテーマとして書くつもりだったが、書き始めてから気付いた疑問がいくつもある。

A. アシュケナージ系ユダヤ人のルーツは本当にハザール王国なのか?

B. ユダヤ教の聖典は旧約聖書なのか、タルムードなのか?

C. 後に日本に渡ることになる、イスラエルの十支族はどのような信仰を持っていたのか?ユダ王国の2支族と信仰する内容は違ったのか?

 私が信頼を置くユースタス・マリンズの「真のユダヤ史」および「カナンの呪い」には、実はハザール王国が出てこない。そしていわゆるスファラディ系ユダヤ人がそもそも拝金主義の盗賊だったと主張しているのだ。
 これは、ハザール王国がアシュケナージ系ユダヤ人のルーツであると学術的に証明できていないと考えているためにその説を採用していないのか、あるいは全てのユダヤ人が拝金主義の盗賊だったのでハザール王国に登場してもらう必要もないと考えたからなのか、どちらなのだろう?

 ちなみに、もう1冊の参考図書「ユダヤ・ロスチャイルド世界冷酷支配年表」(アンドリュー・ヒッチコック著)では話がハザールから始まっている。タルムードを聖典とするユダヤ教を信仰するユダヤ人は、スファラディ系からすでに邪悪であるが、人口比でユダヤ人の90%を占めるアシュケナージ系が主人公だと見ているようだ。

A、Bについては後ほど扱うが、Cに関しては保留にして話を進めることにする。

 以下は、10世紀初頭の中央アジアの地図だ。
記憶に残っている人は少ないと思うが、ハザール王国という国があった。これが今回の主人公だ、

 民族的にはトルコ系らしい。
 ハザール王国があったのは7世紀から10世紀に掛けて。

 以下に、「ユダヤ・ロスチャイルド世界冷酷支配年表」の記述を抜粋する。

世界凶兆の震源「ハザール」

 紀元740年、黒海とカスピ海に囲まれた「ハザール」という名で知られる地、ほぼ全土が今日のグルジアに当たるが、ロシア、ポーランド、リトアニア、ハンガリー、ルーマニアの一部にまで及んでいたその地に、現代のユダヤ民族は誕生した。ちなみに、現代のユダヤ民族は、ユダヤ人ではない。
 なぜ、そのようなことになったのか? ハザール王国の人々は攻撃の脅威に曝されていた。イスラム教徒とキリスト教徒に両側からはさまれたハザールは、常にその双方からの攻撃に脅えていたのだ。ハザールの人々はイスラム教もキリスト教も信仰せず、偶像崇拝を行っていたため、それぞれの宗教に改宗させようとする人々が今にも侵攻してこようというところまできていた。
 ハザールのプラン国王は、自国を攻撃から守るには国民を二つの宗教のいずれかに改宗させるほかないとの決断を下した。だが、どちらに? イスラム教に改宗すれば、キリスト教徒から攻撃され、キリスト教に改宗すれば、イスラム教徒に攻撃される。
国王は、イスラム教ともキリスト教とも折り合いをつけられるもう一つの宗教があることに気づいた。それがユダヤ教である。国民をユダヤ教に改宗させれば、イスラム教徒とキリスト教徒のどちらの機嫌も損ねなくてすむ。どちらの人々もユダヤ人とは快く交易を行っていた。そこで王は、これを実行したのである。
 ブラン王は正しかった。王は、自国が侵攻を免かれ、国民がユダヤ教に改宗して、最も神聖なるユダヤの書「タルムード」の教えを取り入れるのを見届けるはずだった。だが、王がこの世を去った後、彼が夢にも思わなかった様々なことが起こったのである。
 ユダヤ教に改宗したハザール王国の人々は、やがて全世界のユダヤ人口 〔訳註: 約1800万人)の90パーセントを占めるに至った。そして、実際にはユダヤ人の血筋ではなくユダヤ教に改宗したアジア人種(訳註:白色トルコ系遊牧民族)であり、なおかつヘブライ語とは全く異なるハザール王国の言語「イディッシュ」 を使い続けているにもかかわらず、自らをアシュケナージ・ユダヤ人(ドイツのユダヤ人)と称した。
 また、このハザール王国の血筋からは、プラン王よりはるかに強大な力を持つ一人の男を祖先とする一族が生まれた。その男とは、これより1000年あまり後にドイツで生まれ、ロスチャイルド王朝の父祖となったバウアーという人物である。
 この一族が嘘と陰謀で世界中の富を奪い、そうして蓄えた莫大な資産をもとに資金提供を行うとともに、世界の貨幣供給量を陰で操り、さらにまた世界から富を吸い上げることになろうなど、ブラン王は知る由もなかった。
 ましてや、ハザールの民が当然の権利としてパレスチナに祖国を築くことを要求し、1948年の建国以来、アシュケナージ・ユダヤ人を歴代の首相に据えさせるとは思いも寄らなかっただろう。アシュケナージ・ユダヤ人の真の祖国は、そこから1300キロほど離れたハザールだというのに。

「ユダヤ・ロスチャイルド世界冷酷支配年表」p31-32

 一方で、古代イスラエル王国の時代にパレスチナの地にいたユダヤ人はスファラディ系ユダヤ人と呼ばれる。

 ジョンズ・ホプキンス大学のエラン・エルハイク博士がアシュケナージとスファラディの大規模な遺伝子調査を行い、「アシュケナージはハザールである。もちろん多様性があるので100%ではないが、アシュケナージの多くはハザール人ユダヤ教徒の末裔」と結論付けた。

https://www.facebook.com/100002286455866/videos/452046847356301/

 一方で、私が信用していないWikipediaによれば、ハザール王国(汗国)がアシュケナージ系ユダヤ人の源だとする説には根拠が乏しいとしている。
 しかし、Wikipediaはあちら側のツールなので、支配者の正体を暴くような説を採用しないのは当然のことであり、逆にハザール起源説を裏付けている印象も受ける。

ディアスポラ後も、ユダヤ人のほとんどは地中海世界(のちのイスラム世界)に住んでいた。それに対し、アルプス以北におけるユダヤ人の起源ははっきりしない。7世紀中央アジア西部のコーカサスからカスピ海北岸にいたハザール王国の住民とされ、ヨーロッパに西進し移住したわずかのコーカソイドの一派のユダヤ教徒の子孫だとする説、またはローマ時代イスラム世界から商人としてヨーロッパを訪れたとする説、イタリアからアルプスを越えてやって来たとする説などあるが、単一の起源ではないかもしれない(一部に、9世紀頃に民衆がユダヤ教に集団改宗した黒海北岸のハザール汗国の子孫だとする主張が見られる。しかしハザールの使用言語はテュルク諸語であった点など歴史的な状況を考えると色々無理があり学問的根拠に乏しく、まともな学説とは見做されていない)。

 私がジョンズ・ホプキンス大学のエラン・エルハイク博士とWikipediaのどちらを信用するかと言えば、ビル・ゲイツらと組んでパンデミックシミュレーションを行う、支配者側の大学であるジョンズ・ホプキンス大学のエラン・エルハイク博士の言葉を信用する。支配者側の大学の博士が、支配者側にとって隠しておきたいことを言ったのだから、支配者側の学者がつい本音を漏らしてしまったのか、あるいは支配者側から出た反逆者なのかどちらかなのではないかと思ってしまう。

 一方、「ハザール起源説」を最終的には否定していると思われるこちらの記事では、ユダヤ人学者が自らの起源を探ったところ、ハザール帝国にたどり着いたが、その結論はイスラエル再建の正当性を否定することになるために、イスラエルではこの説に触れることがタブーとされた、と書かれている。

 キーウ(キエフ)生まれの歴史家アブラハム・ポラックは1951年に『ハザリア――ヨーロッパにおけるユダヤ人王国の歴史』を著し、「このイスラエルの歴史学者は、東欧のユダヤ人の大半が、ハザール帝国が権力を行使していた空間の出身であることを(略)断固として確言していた」とされる。

 だがその後、ハザール起源説が「イスラエル国家の存在する権利という普遍的大義への問い直しにまで及びかねない」と気づくと、イスラエルではこの説に触れることがタブーとなり、「沈黙の時代」が訪れる。それと同時期にスターリン時代のソ連においても、「東洋の奇妙なユダヤ人」の存在が「母なる祖国ロシア」と矛盾しているとされ、ハザールの歴史を語った者が「ブルジョワ学者」のレッテルを貼られて弾圧される「否認の時代」が始まった。

 この「沈黙」と「否認」を打ち破ったのがアーサー・ケストラーによる1976年の『The Thirteenth Tribe; The Khazar Empire and Its Heritage(第十三支族 ハザール帝国とその遺産)』だ。ケストラーは、ユダヤの民は十二支族からなるとの伝承を踏まえ、ハザールのユダヤ人は13番目の支族だと述べて(翻訳出版が認められなかったイスラエルを除いて)大きな反響を巻き起こした。

 同様の事例は他にもあり、ナチスによるユダヤ人のホロコーストおよびガス室の存在を否定することは、ドイツを含むヨーロッパの数カ国で法律により禁じられている。

 議論自体を禁じることは異常であり、私はこのことだけでこれらの説が事実ではなく、政治的に作られた偽の説である証拠だろうと見ている。

 以上から考えると、アシュケナージ系ユダヤ人が現代のユダヤ人の大半であることは恐らく事実なのではないだろうか?

 新型コロナワクチンの効果や危険性について、政府見解に反する意見がユーチューブ、フェイスブック、ツイッター(現X)で削除されたり表示制限を受けたりしたのも同じ構図によるものと考えられる。
 徹底的な議論を避け、言論統制を行なった時点で彼らの負けなのだ。

 政治的な動きから、ハザール王国が現代のユダヤ人のルーツであろうと一旦は結論付けるが、学術的な検証は引き続き必要と考える。


 ユダヤ教の聖典を旧約聖書だとする説もあるが、タルムードももう一つの聖典とされている。

「真のユダヤ史」によれば、タルムードは秘密の聖典の扱いだったようだ。

『タルムード』を読んだ非ユダヤ人は殺害される

 ユダヤ人は、キリストの個々の人間に対する愛と救済の約束によって打ち立てられたキリスト教の基本教義のすべてを否定する。

 しかし、キリスト教の聖職者と呼ばれている者たちは、図々しくも教区の会衆に対して、「キリスト教はユダヤ人の宗教であり、ユダヤ人がわれわれにキリスト教を与えてくれた」と説教している。これはまったく馬鹿げた話で、「マフィアが国の法典を書いた」、あるいは「アル・カポネが合衆国憲法を起草した」と言うようなものだ。それなのに会衆たちは、一言の非難もせずに、この大胆不敵なユダヤ人のウソにありがたく耳を傾けるのである。

 ユダヤの聖典『タルムード』は、ユダヤ人の宗教のある面を明るみに出したが、その関心は主に、彼らの残虐な理想と石器時代的な生活様式に振り向けられたものであった。だから、ユダヤは非ユダヤ人に対して、その内容を秘密にしなければならず、『タルムード』を読むところを見つかった非ユダヤ人は誰でも必ず殺されなければならなかった。

「真のユダヤ史」より

 ユダヤ教の聖典タルムードには、以下のような言葉が書かれている。

🔹「ユダヤ人だけが人間であり、非ユダヤ人は人間ではなく動物である」

🔹「偶像崇拝者の命を救うことは禁じられています。」

🔹「ユダヤ人は自分の望むように妻を性的虐待することができる。」

🔹「ユダヤ人は、生後3歳と1日の非ユダヤ人の少女を汚すことはできる(ただし結婚はできない)。」

🔹「風がなければ世界は存在できないのと同じように、ユダヤ人なしでは世界は存在できません。」

🔹「誰もが(ユダヤ人は)自分自身にこう言わなければなりません:世界は私によって創造されました。」

🔹「ユダヤ人だけが人間であり、非ユダヤ人は人間ではなく動物である」

🔹「あなたがたイスラエル人は自らを人間と呼んでいるが、世界の諸国民は人間と呼ばれるには値せず、動物と呼ばれるに値しない。」

🔹「異邦人はユダヤ人に奴隷として仕えるために造られた」

🔹「異邦人は病気の豚以上に避けるべきだ」

🔹「非ユダヤ人との性交は動物との性行為に似ています。」

🔹「非ユダヤ人の出生率は大幅に減らさなければなりません。」

🔹「割礼は重要です。これがなければ世界は存在できません。」

🔹「ユダヤ人はどこに定住しても、そこでの主人にならなければならず、絶対的な権力を持たない限り、たとえすでに一部の国を支配していたとしても、亡命者や囚人のように感じなければなりません。彼らが全員を支配するまで、彼らは絶えず叫ばなければなりません:何という拷問だ、何という恥ずべきことだろう!

🔹「非ユダヤ人が律法を学ぶなら、その人は死に値する。」

🔹「ユダヤ人は常に非ユダヤ人を騙そうとしなければならない」

🔹「異邦人の財産は最初にそれを主張したユダヤ人に帰属する」

🔹「ユダヤ人なら誰でも、嘘や偽証を使って非ユダヤ人を破滅に導くことができる。」

🔹「異邦人の財産は所有者のいない砂漠のようなもので、それを手に入れる者はそれを手に入れたのです。」

🔹「ユダヤ人は非ユダヤ人の間違いに乗じて騙すことが許される。」

「🔹メシアが来られるとすぐに、すべての人はユダヤ人の奴隷になるでしょう。」

🔹「メシアはユダヤ人に全世界の支配権を与えるだろう。そしてすべての国々は彼に服従するだろう。」

🔹「奴隷や異邦人の胎内に生まれた子は、獣より優れた子はいない。」

 この内容から考えると、旧約聖書は「表の」聖典、タルムードが「裏の」聖典なのではないだろうか?

 旧約聖書が成文化されているのに対し、タルムードはラビの口伝により受け継がれてきたということは、タルムードにはユダヤ人以外には知られたくない内容が含まれていたと考えるのが妥当だろう。

 では、ユダヤ人は全て邪悪な思想を持っているのかと言えばそうではなく、一般の信者はタルムードの邪悪な部分を知らないか、または無視しているのではないだろうか?

 タルムードについての本を入手しようと、Amazonで検索すると、「ユダヤ人が商売上手なのはタルムードの教えに従っているから」のような、タルムードを肯定的に捉えた本ばかりが目立ち、違和感を覚える。
 まるでユダヤ人批判がタブーとされているかのようだ。

 ロスチャイルドなどのユダヤ人が金融を支配している理由として、以下のような経緯があると言われている。

 なぜユダヤ人が国際金融業者として世界を支配しているかというと、以下のような事情があったからだ。

 旧約聖書のレビ記、申命記には「異邦人に貸し付けるときは利子をつけても良いが、あなたの兄弟から利子を取ってはいけない:という旨の記述があります。
これは、親戚とユダヤ人以外からは利子をもらってもいいということ。

 キリスト教では利子は認められておらず、中世のヨーロッパっ社会では、キリスト教徒がお金を貸して利子で儲けるというのは良くないこととされていました。
 そこでユダヤ教徒が金融業を担ったという歴史から「お金に強いユダヤ人」が生まれたと言われています。

 アシュケナージ系ユダヤ人は10世紀に国が滅びて東ヨーロッパに散った。

 では、スファラディ系ユダヤ人は祖国滅亡後にどのような経緯を辿ったのだろうか?

 以降、以下のサイトを参考、あるいは引用して、正統派の歴史を記す。

 BC20世紀頃、ヘブライ人はメソポタミアのウルからカナン(現在のイスラエル・パレスチナ付近)へ移住し、遊牧生活をしていた。

 BC17世紀、ヘブライ人は、ヒュクソス族によるエジプト侵略に協力し、エジプトを滅亡させる。
 やがて、エジプト民衆の中から立ち上がった指導者がヒュクソス族を追放すると、エジプトのヘブライ人は奴隷の立場に落ちることとなる。

 BC13世紀、ヘブライ人モーゼが突如として現れ、エジプトで迫害されていたヘブライ人を率いてエジプトを脱出して、神に与えられたカナンの地へと向かう(出エジプト)。

 モーゼはカナンへ向かう途中、シナイ山で十戒を授かったとされる。

 BC12世紀には、たどり着いたカナンの地で、定住していたカナン人(フェニキア人)、ペリシテ人を駆逐または同化させてこの地に定着した。この頃から彼らはイスラエル人を名乗るようになる。

 BC11世紀にはカナンの地にイスラエル王国を建国する。

 BC10世紀には、部族間の抗争のより、イスラエル王国(北王国)とユダ王国(南王国)とに分裂する。

 BC8世紀、アッシリアのサルゴン2世によって首都サマリヤは陥落し、ヘブライ人は奴隷または追放され、メソポタミアからの異民族が移住し、北王国は滅亡する。

  • 紀元前609年 メギドの戦い  エジプト末期王朝時代第26王朝(ネコ2世)に敗戦し、ユダ王国はエジプトの支配下に入った。

  • 紀元前605年 カルケミシュの戦いでエジプト第26王朝のネコ2世が新バビロニアのネブカドネザル2世に敗れる。

  • 紀元前597年 新バビロニアのネブカドネザル2世によりイェルサレムは包囲され、ユダ王国は属国となり、ユダ王国ヨヤキン王を含め約1万人のヘブライ人は捕虜としてバビロンに連行される。(第1回バビロン捕囚)

  • 紀元前589年 エジプトの新バビロニア侵入にユダ王国も乗じて新バビロニアに反乱を起こす。

  • 紀元前587年 新バビロニアは再びイェルサレムを包囲し、翌年ユダ王国は陥落。イェルサレム神殿は破壊された。ユダ王国は属州として併合され、多くの捕虜は首都バビロンへ連行された(第二回バビロン捕囚)。

 BC6世紀、新バビロニアを滅ぼしたアケメネス朝ペルシアのキュロス2世により、バビロン捕囚となっていたヘブライ人は紀元前538年に解放され、一部のヘブライ人は再びイェルサレムに帰還する。

 BC6世紀、アケメネス朝ペルシアの支配下で、統一イスラエルの領域(ユダヤ)でヘブライ人はイェルサレムを再建する。ユダヤ教の教義も、この頃にほぼ確立される。紀元前515年 イェルサレム神殿を再建(第二神殿)する。

 紀元前333年 イッソスの戦い、紀元前331年、ガウガメラの戦いで、アレクサンドロス3世率いるマケドニア王国がアケメネス朝ペルシア王ダレイオス3世の軍を打ち破り、ペルシアを征服したため、ヘブライ人の宗主国はマケドニア王国(アレクサンドロス帝国)となる。

 紀元前312年 マケドニア王国のアレクサンドロス3世の死亡により、ディアドコイのセレウコス1世ニカトルがセレウコス朝シリアを築き、ヘブライ人の宗主国はセレウコス朝シリアとなる。

 紀元前64年 共和政ローマのグナエウス・ポンペイウスによりセレウコス朝シリアがローマの属州となり、ユダヤもユダヤ属州となる。ヘレニズム諸国の各地に商人などとして移住したユダヤ人移民(ディアスポラ)の活動もこの頃に始まる。

  • 66年-74年 ユダヤ戦争 帝政ローマ(ネロ帝)とユダヤ属州に住むユダヤ人との間で戦争となる。

  • 68年 ガリア・ルグドゥネンシス属州総督であったガイウス・ユリウス・ウィンデクスによる反乱が発端となって、ネロ帝が自殺。ゲルマニアでガイウス・ユリウス・キウィリスを首謀者とした反ローマの反乱が勃発する等、ローマは大混乱に陥る。

  • 70年 イェルサレム攻囲戦 ティトゥス率いるローマ軍は、ユダヤ人の叛乱軍が66年以来立て篭もっていたイェルサレムを陥落させる。イェルサレム市街のみならず、イェルサレム神殿(第二神殿)も破壊される。なおも抵抗するユダヤ人はマサダの要塞に立て篭もり、73年まで戦い続けた。

  • 神殿の破壊はユダヤ人の悲劇の日として語り継がれ、毎年ティシュアー・ベ=アーブの祭が行われている。この破壊を描いた絵画や文学も多い。一方、ローマはこの陥落を記念するティトゥスの凱旋門を建設し、これは今もローマ市内に残っている。

 ユダヤ人による自治は完全に廃止され、厳しい民族的弾圧を受けた。132年、バル・コクバの乱が起こったが鎮圧され、ユダヤ人の自称である「イスラエル」という名や、ユダヤ属州という地名も廃され、かつて古代イスラエル人の敵であったペリシテ人に由来するパレスチナという地名があえて復活された。以来ユダヤ人は2000年近く統一した民族集団を持たず、多くの人民がヨーロッパを中心に世界各国へ移住して離散し、ユダヤ教徒として宗教的結束を保ちつつ、各地への定着が進む。

 その後もパレスチナの地に残ったユダヤ人の子孫は、多くは民族としての独自性を失い、のちにはアラブ人の支配下でイスラーム教徒として同化し、いわゆる現在のパレスチナ人になったと考えられている。

(参考・引用は以上)

 以上のように、スファラディ系ユダヤ人も多くがヨーロッパなどに散って行った。

 イスラエル王国のいわゆる十支族は、東方へと進み、秦国を作った後に日本に渡り、秦氏として平安京を含む多くの建築物の建造に資金面と擬実面から深く関与し、日本の文化に強い影響を与えていると言われている。

 これについては別途検証するのでここではこれくらいにしておく。

 今回調べたらユダヤ人の正体は、その後のヨーロッパの歴史、ナチスドイツによるユダヤ人ホロコースト、イスラエルの建国、日本人のルーツにも関わってくる非常に重要なピースだ。

 一番書きたかったのは、現代においてユダヤ人と呼ばれる人のほとんど(90%)は、ヘブライ王国分裂後のイスラエル王国にいたユダヤ人の子孫ではないということだ。

 パレスチナに住むパレスチナ人の宗教は、イスラム教、キリスト教、ユダヤ教に別れているようだ。

 旧約聖書における「約束の地」であるパレスチナに住む権利がある人々がいるとしたら、アシュケナージ系ユダヤ人ではなく、パレスチナに住んでいるユダヤ人なのだ。








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