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「人類を裏切った男~THE REAL ANTHONY FAUCI(中巻) 」④ ポイント抜き出し 4/6~第6章 HIV異端者を火あぶりの刑に

 2021年11月9日に米国で発売された本書は、書店に置かれず、様々な妨害を受けながらもミリオンセラーとなり、この日本語版も販売妨害を避けるためか、当初はAmazonでは流通させず、経営科学出版からの直売のみになっているようだが、現在はAmazonで買うことができるようになっている。

 日本語版は1000ページを超えるために3巻に分けられた。

 本書はその中巻「アンソニー・ファウチの正体と大統領医療顧問トップの大罪」だ。

 極めて重要な情報が満載で、要旨を紹介して終わりでは余りにも勿体ないので、お伝えしたい内容を列記する。

 今回は第5章「HIV異端者を火あぶりの刑に」。

 HIVに関してファウチらが唱える公式説に対して異論を唱えた者に対する徹底した弾圧の様子が描かれている。

以下、抜き出し。

 1991年、ハーバード大学の微生物学者チャールズ・トーマス博士は、ウイルス学と免疫学の権威を集めて、ギャロのHIV仮説に対して正式に異議を申し立てる歴史的な書簡を『ネイチャー』誌に発表(宮庄注:「送付」の間違いか?)した。

 集まったのは、科学界の重鎮やノーベル賞受賞者など、そうそうたる面々だ。ハーバード大学のウォルター・ギルバート博士、PCRを開発したキャリー・マリス、イェール大学の数学者のサージ・ラング (全米科学アカデミーの会員であり、監視役)、カリフォルニア大学バークレー校の細胞生物学教授のハリー・ルービン博士、「ネイチャーバイオテクノロジー』誌の共同創刊者ハーベイ・ビアリー博士、米国科学アカデミー紀要の元編集長バーナード・フォーシャー博士の他、多数の権威が参加した。

 書簡には次の4文だけが記されていた。

  一般には、HIVというレトロウイルスがエイズという一群の病気を引き起こすと広く信じられている。しかし、多くの生物医学者はこの仮説に疑問を呈している。我々は、この仮説に対する既存の証拠の徹底的な再評価を、適切な独立したグループによって実施されるよう提案する。さらに、重要な疫学的研究を考案し、実施するよう提案する。

 『ネイチャー』誌はこの手紙の掲載を拒否した。また、『ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン(NEJM)』、『ジャーナル・オブ・ジ・アメリカン・メディカル・アソシエーション(JAMA)』、『ランセット』各誌にも掲載されなかった。

 これらの専門誌は、収益の90%以上を製薬業界に依存しており、製薬業界のパラダイムを脅かすような研究はめったに掲載しない。「学術誌は製薬業界の情報ロンダリング機関に成り下がった」とは、「ランセット』誌のリチャード・ホートン編集長の所感だ。ファウチ博士は専門誌の内容に直接、影響力を行使した。 査読制の出版物の管理は、正統説を構築するために不可欠な要素なのだ。

ピーター・デューズバーグの主張

 この手紙の後日版に名を連ねた科学者の中に、因習を打破するドイツ生まれの天才がいた。
 1970年代から1980年代にかけて、分子生物学者のピーター・デューズバーグ教授(1936年12月2日生まれ)は、分子生物学の申し子として、世界で最も有名で尊敬されている科学者だった。

 レトロウイルスは、すべてのウイルスがそうであるように、自力で複製する能力を持たない原始的な生命体だ。 

 ウイルス学者は一般に、 レトロウイルスは無害で、有益であるとさえ考えている。30億年の進化の間にレトロウイルスはヒトと共生関係を結び、ヒトゲノムに可動遺伝因子を提供してきた。実際、我々のゲノムに入り込んだ遺伝子の多くは、レトロウイルスに由来する。ヒトのDNAの約8~
10%はレトロウイルスと共通なのだから、驚いてしまう」とデイビット・ラズニック博士は言う。

 1970年、33歳のデューズバーグは、がんの原因となる遺伝子を初めて発見し、賞賛を浴びた。デューズバーグは、同僚のウイルス学者ピーター フォクトと共に、レトロウイルス内にがんを引き起こすと思われる「がん遺伝子」を発見した。デューズバーグの発見により「突然変異遺伝子説」が生まれ、がん研究という新しい学問分野にブームを巻き起こした。同僚たちはデューズバーグのノーベル賞受賞を期待した。
 しかし、デューズバーグは科学者の鑑で、研究者は実験し、観察した結果から推論し、自分も含めてあらゆる正統説を容赦なく疑うべきだという信念を持っていた。ゆえに、デューズバーグは、彼のがん遺伝子説を批判していた研究者の誰よりも、厳格なテストを行った。

 ストックホルムから不思議な電話がかかってくる前に、デューズバーグは自分自身の重大な発見が臨床に応用できない実験室のまぐれ当たりだと確信していた。この仮説は、すでに新しい分野を開拓していたにもかかわらず、彼は自説に拘泥しなかった。 がん遺伝子説は灰燼に帰し、ノーベル賞の可能性も、ピーター・フォクトとの友情も失われてしまった。デューズバーグの伝記作家ハーベイ・ビアリーは、デューズバーグが「私は自分の利益に反してでも正直でありたい」と語ったと伝えている。

 当時は、ウイルスを検出する電子顕微鏡などの新しい技術により、生物学、特にウイルスの研究がますます不透明になりつつあり、名声と資金を誘因にしてウイルスの研究への熱狂に拍車がかかった時期だった。公的、商業的な後押しを受けた研究者たちは、新しく発見されたウイルスを古くからある様々な病気の元凶と考えた。

 NIAIDや製薬会社は、こうした研究にいつでも喜んで資金を提供し、しばしば特許薬となり得る抗ウイルス薬への道を開いてきた。「新しい」 ウイルスががんなどの既存の病気との関連性があると説得力を持って示したウイルス学者は重宝され、豊富な金銭的報酬と専門家としての栄光を手にすることができた。 製薬会社は、ウイルスを分離し、それを殺す化合物を特定する。その化合物を主剤とした抗ウイルス薬が特許薬となり、そこから利益を得ている。ノーベル賞の選考が製薬会社の利益を上げるような画期的研究に偏っていることは、研究者なら誰でも知っている。

 当初からデューズバーグは、ロバート・ギャロの発見に疑問を抱いていた。 進化論的な観点から、古くから存在するレトロウイルスが、宿主である人間を攻撃するというのは、理にかなわない。

 ギャロの発表後、デューズバーグは18ヵ月を費やして、HIVとエイズに関するあらゆる科学論文を精査した。
 そして1987年3月、一流誌 『Cancer Research 』 に「Retroviruses as Carcinogens and Pathogens: Expectations and Reality (発がん物質および病原体としてのレトロウイルス―期待と現実)」という平凡なタイトルの爆弾論文を発表した。
 この論文は、レトロウイルス学の父として君臨するデューズバーグの力作で、制御不能に陥りつつあるほど熱狂的だったこの分野に自制心を求めるものだった。 電子顕微鏡やその他の新しい機器で武装した若い世代のウイルス学者が富と出世を求めて、レトロウイルスにあらゆる悪性腫瘍の原因としての罪を着せた。それも、レトロウイルスが病気を引き起こすメカニズムを説明する機能的、経験的証拠や厳密な証拠に基づく科学が乏しいままで。

 デューズバーグは、レトロウイルスが白血病から一般的ながん、果てはエイズ(白血病とは逆に白血球数が低下する)を引き起こすという考えを爆破した。

 デューズバーグは、30億年前からヒトゲノムの一部となっているレトロウイルスは、「細胞を破壊する性質」を持っていないと同僚たちに念を押した。

 デューズバーグは、HIVにはがんもエイズも引き起こす能力はないと主張した。彼は、HIVは何千世代にもわたって病気を引き起こすことなく、人類の中に共存してきた無害な乗客のようなウイルスだ、と断言した。

 「Cancer Research」 誌に掲載されたデューズバーグの論文は長大で、高度に専門的な内容だった。ギャロのHIVとエイズの仮説の根拠に対して、明確で説得力のある疑問を次々と呈していた。
 デューズバーグの調査を精査した同僚の多くが、「エイズとの戦いは何かひどく間違っている」という同じ結論に達した。

レトロウイルスは病原体となり得るか?

 分子生物学者であり「ネイチャーバイオテクノロジー』誌の編集者でもあるハーベイ・ビアリーは、(中略)「細胞障害性レトロウイルス? そんなのはギャロの戯言でしかない。絶対に受け入れられない』と言いました」
  ビアリーは、「私たちはみな、生殖細胞系列(訳注・生殖細胞の源である始原生殖細胞から最終産物である卵子や精子に至るまでの生殖細胞の総称)に何万というレトロウイルスを持っていますが、どれもこれまでに病原性が証明されてはおりません」と指摘する。

 「ギャロの仮説がまじめに受け取られるためには、一度でいいから主流となる説明が不可欠でした。この眠ったようなウイルスの病原性をどう説明するのでしょうか。このウイルスにはヒトを病気にする同属ウイルスはありません。実際には9万8000種類のレトロウイルスがヒトの生殖細胞系列に静かに存在しています。 生殖細胞系列内に9万8000種類ですよ! あなたの体細胞ではなく卵巣の中にね。 人類がこの惑星に存在する限り世代から世代へと受け継がれていく。それぞれに病原性がないだけでなく、まったく無害であるのは明白です。」 

 ノーベル賞受賞者のキャリー・マリスは、科学界が物事を軽々しく信じてしまう実態に驚きを隠せなかった。彼にとっては、何百年もの科学的研究の後、ロバート・ギャロというひとりの医学者が突然、 種々の病気の真の原因を発見したなど、常識に反していた。その病気の中には、アメリカヨーロッパで古くから知られている30の病気と、アフリカで見られる少なくとも30の随伴症状が含まれ、それらをすべて単純な生物ー約10万のレトロウイルスによるものとした。 どの病気もレトロウイルスによって引き起こされるとは知られていない。

 「科学の世界では、物事はそんな速さでは起こらない。 ある新しい生物があらゆる問題を引き起こしていることに突然気づくという事態はあり得ない。

 クリスティン・マジョーレもコメントを寄せた。「検査はありますが、それはエイズの検査ではありません。HIV検査と呼ばれていますが、HIVの検査ではありません。エイズと呼ばれる一連の問題がありますが、だからといってエイズが病気に昇格したわけではありません」
 30年後、かなりの数のウイルス学者が、HIVが単独でエイズを引き起こすというギャロとファウチの主張に対するデューズバーグの懐疑を、少なくとも部分的には、渋々受け入れるようになった。現在、ほとんどの研究者はひそかに、エイズには多くの要因が関わっていると考えている。ロバート・ギャロ博士とリュック・モンタニエ博士もそう考えていることは重要だ。トニー・ファウチ博士は数少ない例外のひとりだ。

 厳密な議論が行われないと、一般市民や報道関係者は、民主主義や科学ではなく、宗教の特徴である権威への訴えに基づいた意見を形成せざるを得ない。

 トニー・ファウチと彼の治験責任医師軍団は、このような批判を公表してオープンに議論するのではなく、新しい国家神学の公式規範に疑問を呈する科学者やジャーナリストのキャリアを抹殺し、議論を封じるために積極的かつ効果的に動いたのだった。

闇に突き落とされた科学者

 ギャロ博士とファウチ博士が、 デューズバーグの辛辣な質問にどう答えるのか、科学界はそれを待っていた。
 しかし、エイズ連合は決して反論しようとしなかった。それどころか、ファウチ博士は、単に無視し、デューズバーグの理論を信用する者を非難することによって、この実存する攻撃に対処した。
 そしてデューズバーグを見せしめにして、問い正そうとする人たちを牽制した。 ビアリーの言葉を借りれば、ファウチ博士は確実に、この論文が 「職業上の悲惨な結果」をデューズバーグにもたらすようにし、「彼の科学者としての運命を十数年間封印した」。ファウチ博士の指揮のもと、気が滅入るような毒々しい一斉攻撃が行われ、 デューズバーグの輝かしいキャリアは事実上終わりを告げた。

 ファウチ博士はこの論争に強い利害関係があった。NIAIDがNCIから管轄権とキャッシュフローを奪うための策略として、エイズの原因はウイルスでなければならなかった。ファウチ博士のキャリアは、HIVだけがエイズを引き起こすという普遍的な信念に依存していた。 ファウチ博士にとって、この論争は死活問題だった。

 NIHはデューズバーグへの資金援助を打ち切り、学界はこの優秀なバークレー校の大学教授を追放した。科学雑誌から彼の名前が消えた。

 政府の公式見解に疑問を呈し、特にHHSの技術官僚と対立したため、デューズバーグは直にNIHからの潤沢な研究助成金を得られなくなった。7年間の優良研究員奨励金の更新時期が来たとき、この研究助成は打ち切られた。いつものように、ファウチ博士は助成金審査委員会にメンバを送り込んでいた。メンバーには、グラクソ社(強い毒性があるとデューズバーグが猛烈に批判したアジドチミジンのメーカー)と深い金銭関係のあるエイズ研究者と、ギャロの愛人(彼の研究室の科学者でギャロとの間に子どもがいる)が含まれていた。他の3人の審査員は、デューズバーグの提案書を読むことすらしなかった。 NIHは助成金を出さず、デューズバーグには二度と研究費を下ろさなかった。

 「彼(ファウチ)は公然と言ったのです。彼に質問すること、つまり『科学』に質問することは罪なのだと。自分が科学であると言い切るなど、行きすぎです」

 NIAIDによる異端審問に関する公式の注意事項を、正統派として受け入れられたものとして、メディアは簡単に鵜呑みにした。
 エイズ関連団体は、デューズバーグと彼の同志の「過激否定論者」についての警告をウェブサイトに掲載した。

 ファウチ自身も、デューズバーグが全国ネットのテレビに出られないようにきちんと手筈を調えた。ファウチ博士には、テレビ局に睨みを利かせる能力が備わっていた。

 「デューズバーグの問題は、科学の域を越えています。彼をいじめて貶める一味になれば、キャリアを守れます。ファウチに隷属する研究者は恐怖におののいたのでしょう。 嫌悪感を込めてみんなの前でデューズバーグを非難しなければ、ファウチに罰せられる研究資金を下ろしてもらえないか、もっとひどい事態を招くかと恐れたのです」とファーバー。

討論することすら拒否され続けている

 数年をかけて、ジャーナリストのジョン・ローリンツェンはNIHの研究者にデューズバーグの論文が呈した疑問に答えてもらおうとした。
 しかし、NIAIDから政府関係の研究者に、対応してはならないとの指示が出ていた。

 ローリツェンは私に訴えた。
「報道関係者のひとりとして、HIVがエイズの原因であるという『圧倒的なエビデンス』をひとつか2つでも明らかにするようファウチ博士に掛け合ってもよいと思いました。なぜ、彼はエビデンスの提示をしないのでしょう? 彼の唯一の戦略は、証拠があまりにも圧倒的で、誰もその主張を疑うことを許されないかのように振る舞うことでした。 ファウチは、自分も同僚も、 デューズバーグや他の批判者に答える義務はない、という姿勢を貫きました。 公衆衛生の教皇が宣言したのだから、誰もが『エイズウイルス』 説を事実として受け入れなければならない、としたのです。まるで、教皇の無謬性の世俗版です」


 ファウチ博士は治験責任医師軍団をコントロールして、あらゆる議論を封じることができるのだ。ナショナル・パブリック・ラジオがデューズバーグとHIV仮説の支持者との対話を試みたが、彼と対決しようとする者はひとりもいなかった。

 ビアリーがコーネル大学のジョン・ムーア博士にエイズについての討論を申し込んだところ、ムーア博士は次のような返事を寄こした。
「ビアリーのような人物との公開討論に参加すると、彼に相応しくない信用を与えてしまいます。科学界はエイズ否定論者とは 『議論』せず、徹底的な軽蔑をもって接し、彼らがペテン師であることを暴露します。これ以上、この件やそれに関連した連絡を私に送らないようにお願いします」

 ノーベル賞受賞者のキャリー・マリスは、このような厳しい拒絶に怒りをあらわにした。
「ロバート・ギャロが「みなさん、これがエイズの原因です』と言ったのがすべてだった。 (中略)なぜ彼を信用するのか? もし彼が法廷の証人だったら、誰も彼の証言を信用しないだろう。」

  ギャロの発表から約20年後、ついにファウチ博士に自説の釈明を迫る事態が発生した。ドキュメタリー作家のブレント・ レオンが、ファウチ博士を説得して、エイズの歴史を描いた長編映画運びとなった。居心地悪そうにもじもじするファウチ博士に、HIVと免疫不全症を結びつける最伝染病の分析)」の取材に応じる運びとなった。居心地悪そうにもじもじするファウチ博士に、HIVと免疫不全症を結びつける最良のエビデンスは何かとレオンは尋ねた。
「2つの発見を結合すれば、自ずと答えが出ます。まず、モンタニエのグループが特有のレトロウィルスを分離し、次いでギャロがこのウイルスとエイズの原因に関連があるとしました。それらを考え併せ、エイズの原因物質、すなわちHIVが確認されたのです。」

 マリスが1994年に看破したところでは、ファウチ博士の命題を正式に証明することができた研究者には、金銭的にもキャリアの面でもインセンティブが途方もなく大きいので、誰もその命題を証明できていないこと自体、HIVだけがエイズを引き起こすわけではないという説得力のある証拠になるという。

 デューズバーグが何よりも驚いたのは、リュック・モンタニエの転向だった。 モンタニエはHIVの発見者なのだ。
 1990年のサンフランシスコでの国際エイズ会議の席で、 モンタニエ博士はHIVについて、明らかに自分の利益に反する驚くべき告白をした。
「HIVは良性かもしれない」
 モンタニエは、エイズ理論の生みの親であり、誠実な科学者である。彼は白旗を上げた。HIVとエイズとの関連性を否定したモンタニエの発言は、本来なら大きな衝撃を与えるはずだった。しかし会議の参加者たちは、自分に都合の良い正統説に満足し、モンタニエの重大な告白を無視し、心躍る新しい抗ウイルス薬による治療法について話し続けた。

科学では金がすべてである

 今日、HIVがエイズの唯一の原因であるという仮定は、数十億ドル規模の産業の中核をなす仮定だ。その仮定の驚異的なしぶとさは ファウチ博士の絶え間ない資金調達によるものであり、それは誰もが認めるところである。チャールズ・オルトレブは私にこう言った。
「科学には金がかかる。金を施す者は科学を支配できる」
 マリスは言った。「1980年代になると、多くの人がトニー・ファウチや彼の仲間に生活の糧を依存するようになりました。」
 ビアリーも同意見だ。 「まず、そこには莫大な金銭的、社会的利益が絡んでいます。何十億ドルもの研究資金、ストックオプション、活動家の予算などの基になっているのが、HIVがエイズを引き起こすという仮定です。 医薬品、診断のための検査、活動家で構成される業界そのものが存在する理由はないのです」

エイズの原因を説明する3つの説

 エイズの病因を説明する信頼できる説がいくつか展開されている。
 最も説得力のある3件のうち、まずデューズバーグの説を検討していこう。
 彼の説明は最初に出たものであり、これに触発され、大きく影響を受けた支持者も多い。 デューズバーグに続いて、説得力があるのは、皮肉にも、ロバート・ギャロやリュック・モンタニエが提唱した仮説も含まれる。

デューズバーグの説


 デューズバーグやマリスとその一派は、エイズという致死的な症状の原因を、1980年代に至るところに広がった様々な環境への複合曝露のせいだとしている。
 このグループは、HIVウイルスはただそこに乗っているだけのウイルスで、生活習慣への重複した曝露とも関連していると主張する。デューズバーグと彼に続く多くの研究者たちは、ゲイの男性や薬物中毒者が過量に娯楽用麻薬を使用したのが、第一世代のエイズ患者に見られる免疫不全の真の原因だとするエビデンスを提示した。

 彼らは、エイズの初期症状であるカポジ肉腫とカリニ肺炎 (PCP) は、共に亜硝酸アミル(通用名「ポッパー」、好色なゲイの間で人気の薬物)と強い関連があると主張した。

 デューズバーグ博士は、1980年代のエイズの重症患者は、「ポスト・ストーンウォール(訳注・1969年6月28日、ニューヨークのゲイバーであるストーンウォール・イン [Stonewall Inn] で、LGBTQ 当事者らが初めて警官に立ち向かって暴動となった事件が起きた)」の、違法薬物漬けのゲイパーティーにはつきものの行為にふけった男性たちだったと述べている。リスク因子としては、複数のパートナーとの乱交、メセドリン、コカイン、ヘロイン、LSDなどの向精神薬への累積的な曝露、どこにでもある性感染症の治療のために処方される抗生物質の多剤併用などが挙げられる。初期のエイズ患者は、エイズと診断される前の1年間に、平均して少なくとも3種類の抗生物質を服用していた。

 初期のエイズ患者の約95%は、静注薬物を使用していた。 デューズバーグは論文 「The Role of Drugs in the Origin of AIDS (エイズの起源における薬物の役割)」の中で、1900年以降の薬物中毒者の間でエイズに似た免疫不全の症状が見られた事例を示す十数件の医学文献を引用している。ヘロイン、モルヒネ、覚せい剤、コカイン、その他の静注薬物が免疫系を破壊する作用を持つと医学文献により証明されている。

 今日、HIVに感染していない何千人ものアメリカの麻薬常習者が、エイズ患者と同じようにCD陽性ヘルパーT細胞を失い、同じ病気にかかっている。

 デューズバーグの説は、決して目新しくも突飛でもなかった。 ファウチ博士自身、1984年にカリニ肺炎などのエイズに特徴的な症状を薬物常用の面から説明するのは理にかなっていると認めている。

ポッパーとドラッグを原因とする説

 ギャロがHIVを「発見」するまでは、政府機関の研究者や科学界の重鎮は、原因として娯楽薬が最も疑わしいと推定していた。

 なぜ、エイズが新奇なものとして目立つようになったのか? ウイルスもホモセクシャルも昔からある。デュラックによれば、原因として考えられるのは娯楽薬だという。
「エイズが発生している大都市では、娯楽薬が広く使われている。 提案されているように、おそらくは何らかの娯楽薬が免疫抑制剤となっているのだろう」
 デュラックの考察では、ホモセクシャルであろうとなかろうと、エイズの症状を示すのは向精神薬を大量に使用する者たちだ。デューズバーグの見解では、どこでも手に入る亜硝酸アミル(ポッパー)が薬物依存となる最も高いリスクで、同剤は自己免疫疾患との関連が確立している。

 エイズの最初の症例は5人のゲイの男性だった。互いに知り合いというわけではなかった。5人はカリニ肺炎とカポジ肉腫という稀な病気と診断された。
 5人の男は乱交パーティー狂で、刺激と危険が多いゲイの生活を楽しんでいた。彼らは多種類の娯楽薬を同時に服用していた。過量の薬物を組み合わせて飲み、まっしぐらに薬物常用者の仲間入りをした。彼らはバーやクラブ、浴場の常連だった。複数の見知らぬ相手とセックスするのは日常茶飯事で(ひとりで1年に延べ1000人ほどと行為に及んだ見込み)、梅毒、淋病、B型肝炎などの性感染症を拾った。そのため、彼らは抗生物質を手放せない体になった。

 研究者は、カポジ肉腫の直接の原因は亜硝酸アミルと考えている。カポジ肉腫は鼻、のど、肺、皮膚に現れる皮膚がんの一種で、エイズと診断する際の第一の指標となっているが、HIVに感染していないゲイの男性にも普通に見られる。

 ポッパーは免疫系、遺伝子、肺、肝臓、心臓、脳を著しく損傷する。多発性硬化症に似た神経損傷を起こしたり、がんになったり、吸引により急死する可能性もある。
「揮発性亜硝酸塩についての広範囲な医学文献があります」とローリツェン。「簡単に言えば、亜硝酸には強い酸化作用があります。それがエイズの一因でもあり、実際に、数種類の貧血の原因です。次に、揮発性亜硝酸塩は強力な変異原性および発がん性があります。つまり細胞の変化やがんを引き起こします。

 ギャロがあの発表をするまでは、アメリカ疾患予防管理センター (CDC)は、揮発性亜硝酸塩をエイズの原因である可能性が高いとしてターゲットにしていた。

 1984年のギャロの記者会見を受け、ファウチ博士はポッパーなどのエイズの一因に関する話題をすべて打ち消す作戦を開始した。CDCはすぐにその流れに乗った。

 CDCは好ましくないデータを積極的に弾圧し、ポッパーの安全性を「証明」するために、お得意の疑似科学論文を発表した。

 バローズ・ウェルカム社が1942年にポッパー容器の特許を取得しており、1980年代から1990年代にかけてポッパーの最大メーカーであったという事実だ。

 バローズ・ウェルカム社をはじめとするポッパーのメーカーはこの時代、ゲイに向けた新聞や雑誌にとって主要な広告主だった。彼らはその力を行使して、亜硝酸アミルと免疫系の崩壊との関連性を指摘しようとするジャーナリストを検閲した。
 この関連性についてデューズバーグや他の人々が正しいとすれば、バローズ・ウェルカム社はエイズの流行を引き起こし、さらにアジドチミジンという 「治療薬」で数十年にわたってゲイ男性を毒殺して利益を得ていたことになる。

カポジ肉腫はエイズではない?

 1990年にCDCの4人の研究者が「ランセット』誌でカポジ肉腫についての提言をしたーカポジ肉腫はHIVにまったく感染していない若いゲイの男性によく見られる、と。研究者は、エイズの定義の中核をなすカポジ肉腫は、主として性交渉により感染する未知の物質によって発症する可能性があると結んだ。
  驚くべき展開だ。というのも、カポジ肉腫はエイズの初期症状で、エイズの特徴だからだ。 1981年までは、カポジ肉腫は高齢者にしか見られなかった。それが突然、若い男に現れ、エイズ危機の始まりとなる徴候となったのだ。
 カポジ肉腫がエイズと診断するための徴候であることは、医療の世界では基本的な教義だった。エイズそのものはカポジ肉腫と緊密に結びついて存在する。もし、カポジ肉腫の流行にHIVが関与していないのなら、別の原因がなければならない。そのように理詰めで解決できないところから疑問が生じた。

 公にはファウチ博士のHIVをエイズの原因とする説が正統だと忠誠を見せていたが、ロバート・ギャロ自身はHIVのみでカポジ肉腫やエイズを起こすという自説にひそかに疑いを抱いていた。

 1994年、米国保健当局の高官レベルの会議が開催され、ギャロは「亜硝酸塩はカポジ肉腫の共同因子として働くか」と題した告白をして、信頼する同僚たちを驚かせた。HIVはカポジ肉腫に対して「触媒的要因」でしかないことを認めたのだ。「他の何かが関与しているに違いない」
 そしてギャロは、デューズバーグが論文にした研究そのものから引用されたような、息を呑むような譲歩をした。
「我々はカポジ肉腫の腫瘍細胞からHIVのDNAを見出せていません。(中略)HIVが形質転換という役割を果たした事例を我々は一度も見たことがないのです」

 その会議にはハリー・ハバーコスも出席していた。彼は当時、国立薬物乱用研究所(NIDA)のエイズ担当部長だった。 ハバーコスはギャロに、輸血の際、供血者がカポジ肉腫に罹っていても、受血者がカポジ肉腫を発症した事例は一件も報告されていないと指摘した。 輸血でカポジ肉腫が広がらないのなら、精液の交換で感染するのはあり得ない、とハバーコスは言った。これに対して、「亜硝酸塩(ポッパー)が主な原因かもしれませんね」とギャロは答えた。

 1990年には、政府の規制当局はすでにカポジ肉腫をエイズの定義から外そうと焦っていた。2004年に、「現在では、HIVはカポジ肉腫の発症に直接的にも間接的にも関与していないと(CDCの科学者も)認めている」と記述したのは、オーストラリアの生物学者でエイズ専門家のエレニ・パパドプロスだ。
「おとり商法」まがいの由々しき事態だ。カポジ肉腫はエイズを定義する病気だった。

 1987年以降、デューズバーグ博士と彼の支持者たちは、「エイズによる死」の大部分は、アジドチミジンによって引き起こされたと主張する。

 アジドチミジンは、ファウチ博士の肝入り「抗レトロウイルス剤」であり、ヒトの細胞を殺す作用を持った化学療法剤だ。 デューズバーグはこうした症候群をアジドチミジンによるエイズ」と表現している。皮肉なことに、デューズバーグの主張では、ファウチ博士がエイズ患者の治療のために処方するよう勧めていた毒性の強いアジドチミジンには、ウイルスにはできない能力がある。

 それは、エイズそのものを引き起こす能力だ。

 FDAはすでに、アジドチミジンは毒性が強いので、短期間のがん治療にさえ使えないと判断していた。 アジドチミジンは変異原性が強く、遺伝子そのものを破壊してしまう。 げっ歯類においては、がんを発生させる。 アジドチミジンはリンパ球を作る骨髄を標的にする。エイズ患者が免疫のために最も必要とするのがこのリンパ球だ。 アジドチミジンは、骨、腎臓、肝臓、筋肉組織、脳、中枢神経系をランダムに破壊する。

 デューズバーグは、アジドチミジンはエイズを引き起こすだけでなく、それまで娯楽薬が誘発した自己免疫疾患で亡くなった人たち以上に人を殺してきた、と考えている。
「アジドチミジンはエイズをはじめ、 同薬に特徴的な病気を引き起こしています。 アジドチミジンはカポジ肉腫の原因にはなっていませんが 免疫不全を引き起こします。 アジドチミジンはそのように設計されているのです。実際、メーカーは『エイズ様疾患』が起きる可能性があると明言しています」

 バローズ・ウェルカム社の製品モノグラフには、「レトロビル(アジドチミジンの商品名)の投与に関連すると考えられる有害事象を、HIVによる基礎症状や併発疾患と区別することはしばしば困難である」との注意書きがある。言い換えれば、同社でさえ、アジドチミジンがエイズを定義する疾患を引き起こすことを認めているのだ。

 歴史的に見ても、処方された薬がその対象疾患よりもひどい傷害を引き起こした例はたくさんある。私の叔父であるエドワード・ケネディ上院議員が暴露した悪名高きタスキギー実験はその例だ。
 この実験は1973年に終結した(1932~1973) が、当初、梅毒のどの症状がスピロヘータ菌によるもので、どの症状が水銀によるものかを解明しようとする公衆衛生管理者の努力から始まった。それまで、500年以上にわたって医師は水銀を「治療薬」として処方していた。後になってわかったのだが、梅毒の最も致命的な症状である第二段階の神経障害は、実は急性水銀中毒だった。

毒性の強いアジドチミジンによる被害

 デューズバーグ博士やウィルナー博士らは、毒性の弱い化学療法剤が登場する前の1986年から1996年にかけてアジドチミジンが何万人ものアメリカ人を殺したと考えている。その数は、エイズ流行の第一波の期間に娯楽薬が起こした免疫不全による死者数よりもはるかに多い。

ルドルフ・ヌレエフとアーサー・アッシュの死因

 史上最高のバレエダンサーであるルドルフ・ヌレエフは私の両親と友人で、1960年代から1970年代に、我が家を何度も訪れていた。
 彼は主治医の忠告を聞き入れず、アジドチミジンを飲み始めた。 ヌレエフはHIVに感染していたが、それ以外は健康そのものだった。主治医のミッシェル・カネシは、アジドチミジンの致命的な効果を知っていたため、ヌレエフに服用しないよう忠告した。しかし、ヌレエフは「あの薬が欲しい!」と主張した。 治療開始後すぐに体調を崩し、1993年にパリで54歳の生涯を閉じた。
 その年、元ウィンブルドン・チャンピオンのアーサー・アッシュも49歳で亡くなっている。
 異性のパートナーを持つアッシュは、1988年に自分がHIV陽性であることを知った。彼の主治医は極度に多量のアジドチミジンを処方した。

アジドチミジンは大量殺戮兵器か?

 アジドチミジンが普及した1990年代初期に、 エイズの性格が大きく変化したことに疑問はない。 カポジ肉腫は病気から切り離され、 エイズはますますアジドチミジンで毒された様相を示すようになった。
「そして、ある時点で、その種のエイズが事実上消滅し、新しいタイプのエイズが出現したのです」とジョン・ローリツェン。「そのため、定義を拡大し、実際には病気ではなく、単にHIV検査で陽性となった人々にも抗HIV薬を投与するようになりました。当然、エイズ治療薬で本物の病気になるので、その場合、彼らは『エイズ患者』と呼ばれます。  

 ジョセフ・ソナベンドの言葉を借りれば、『アジドチミジンは生命と両立しない』

 ジョン・ローリツェンはファウチ博士がゲイ男性やアフリカの黒人に対して大量虐殺を行ったと非難している。 アジドチミジンが普及して「エイズ」による死者数が劇的に増加したことを示唆するエビデンスがあるようだ。

 CDCによると、エイズが発生してから5年目の1986年には、米国で1万2205人が「エイズで」 死亡している。当時、CDCは、パンデミックの恐怖をあおるために、今ではおなじみの手法、すなわち不正なプロトコルを使って、死者数を膨らませた。CDCの死者数には、「エイズを定義する病気」ではなく、自殺、薬物の過剰摂取、交通事故、心臓発作で亡くなった「HIV抗体陽性の者」がすべて含まれた。

 アジドチミジンが市販されてから、死亡率は急上昇した。 「エイズ」による死者数は1987年には46%増加し、1万6469人が亡くなった。1988年には、アジドチミジンを服用する人が増え続け、死者数は2万1176人に増えた。1989年には2万7879人、1990年には3万1694人、1991年には3万7040人と死者数が増加した。

 1980年代後期には、HHSのアジドチミジンの標準的な処方は1日あたり1500ミリグラムだった。アジドチミジンを服用した患者の平均生存期間は1988年には4ヵ月だった。
 主流派の医学でさえ、より高用量の投与が非常に高い死亡率につながっている事実を看過できなくなった。
 1990年代に入って、HHSは1日あたりの投与量を500ミリグラムに引き下げた。1997年にはアジドチミジンを摂取した患者の平均寿命は24ヵ月に延び、エイズによる死亡が激減した。その後、CDCは計数法の基準を変更し、エイズの年間死者数を数えにくくした。

 アジドチミジンは、何千人もの「HIV陽性」のゲイ男性に加え、多くの血友病患者、静脈内麻薬使用者、サハラ以南のアフリカ人、そして1993年に亡くなったテニス界のスター故アーサー・アッシュのように、運悪く偽のHIV検査を受けてしまった同性愛者ではない少数の人々の早すぎる死を招いた。
 「この化学療法は、エイズ患者に予期されるのと非常によく似た状態を引き起こすので、誰も治療に問題があることに気づきませんでした」とケーンラインは指摘する。

 HIVの正統説に異議を唱える動きは、エイズ研究機関やメディアによってHIV「否定論者」の運動と宣伝されているが、ヨーロッパでは、アメリカよりもいくらか包囲攻撃は弱かった。
 ヨーロッパ諸国ではアメリカほど、ファウチ博士が承認する資金に頼らなくてもよかった。 正統説に異論を呈する専門家たちは一般的に、国家機構に検閲されずに仕事を続けることができた。

 ドイツのキール出身のがん専門医クラウス・ケーンライン博士は、国家が主導する財政面の規律の影響をあまり受けず、アメリカでの正統派に盾突く科学者を検閲していたような政治的ヒステリーにもさらされなかった。
 ケーンラインは1990年に初めてエイズ患者を診察し、数十年にわたって、キールのごく普通のクリニックで数百人の患者を治療してきた。HIVを無視し、それぞれの症状を治療することで、彼はほとんどすべての患者を生きて帰すことができた。

 デューズバーグは、抗ウイルス治療を受けているHIV陽性者の年間死亡率は7~9%で、全世界のHIV陽性者の年間死亡率(約1~2%)よりはるかに高いと指摘する。さらに、治療を受けているHIV陽性者は、 アジドチミジン (AZT)を受けていないHIV感染者やエイズ患者よりも、肝障害や心不全で早く死亡するとのエビデンスも十分にそろっている。

ゲイのコミュニティを手なずけたファウチ博士

 ファウチ博士が、著名な科学者や医師から上がっている異論に対して組織的に抵抗する中で、思いがけず味方になったのが、エイズ患者団体だった。
 ファウチ博士はゲイの指導者たちに金銭的な橋渡しをし、主だったエイズ活動家たちからの反対意見を封じるために素早く動いた。
 彼は(中略)有力なエイズ活動家たちに資金を提供した。 NIAIDは、擁護団体に毎年多額の公教育助成金をつぎ込んだ。この資金援助によって、ファウチ博士に対する批判は事実上封じ込められた。
  病院、医療機関、研究機関、製薬会社などのエイズをとりまく組織は、ゲイ団体の重要なメンバーのために、有料のコンサルティング契約を多々用意した。 ゲイのコミュニティは、エイズ組織にとって強力な門番となったのである。

 「ゲイの病気」を乱交や過剰なパーティーのせいだとする思想や医学的見解は、反・ゲイの偏見を助長する傾向があった。そのため、ゲイのコミュニティはファウチ博士の「病気の原因はひとつ説」を喜んで支持した。
 また、切実な商業的な要因もあった。1970年代、ゲイ向け出版物は主な財源をポッパーがらみの広告から得ていた。 広告主は、年商5000万ドルのポッパー産業、そしてポッパーの売上で儲けているバーだった。

 ファウチ博士が長きにわたってゲイのリーダーとの関係を醸成してきたおかげで、彼は新型コロナウイルス危機の初期にリベラル派の寵児となった。 他にも多くの歴史的、個人的な要因がある。それで、リベラル派がファウチ博士をよく調べもせず受け入れてしまったというわけだ。

 ファウチ博士への盲信は、現代のリベラリズムの致命的な欠陥として、またアメリカの民主主義、立憲政治、そして世界のリーダーシップを破壊する力として歴史に刻まれるかもしれない。

HHV-6がエイズを引き起こす補因子か

 HIVとエイズの仮説が多くの食い違いや内部矛盾を含んでいるとして攻撃されるようになると、デューズバーグ以外の科学者も、エイズ流行の元凶としてより妥当な微生物を発見しようとし始めた。
 その中に競合する仮定があった。ロバート・ギャロとリュック・モンタニエの2人が個別に立てた進歩的な仮説だ。この2人は、外交関係と利己主義、そして研ぎ澄まされた生存本能から、自分たちの病原体を、HIVと共存してエイズを引き起こす可能性がある 「補因子」として紹介したのだろう。

 2人の科学者が発見した新しい病原体は、それ自体で明らかに致死的なのだから、HIVを必要としないのではないかと批判された。これらの真に致死的な病原体の発見によって、HIVはパンデミックを説明するうえで余計なものになったとも指摘された。
 しかし、この2人の紳士には義務があった。HIVをエイズの究極の原因とする正統派を侵してはならないのだ。

 ギャロはヒトヘルペスウイルス(HHV-6)を発見したと発表した。
 この新しい病原体は、良性のレトロウイルスではなかった。細胞を殺す残酷なDNAウイルスだ。
 ギャロの研究室で発見された殺人的なHHV-6は、エイズに感染した男性の血液や、慢性疲労症候群の患者から検出された。 慢性疲労症候群はエイズに酷似した免疫不全の病気で、エイズが同性愛者に現れたのとまったく同じ時期に、同性愛者ではない人たちに現れていた。

 HIVは細胞破壊性を示さなかったが、HHV-6はCD4とT細胞を殺すように作用し、「免疫系と脳に影響を与える可能性があった」。 ギャロは、HHV-6がエイズを進行させる主要な原因であると断言した。

 NIHは、ノックスやHHV-6を研究しようとする人への資金援助をすぐに打ち切った。

 イタリアの研究者ダリオ・ディルーカは、慢性疲労症候群患者の20%のリンパ節にHHV-6が検出され、健常者ではわずか4%であると 「Journal of Clinical Microbiology (臨床微生物学ジャーナル)』誌に発表した。この研究により、エイズと慢性疲労症候群は同じ病気である可能性が出てきた。エイズはゲイ男性が罹患するが、慢性疲労症候群は1980年代初頭にエイズとほぼ同時に同性愛者ではない人たちに広がった。

 ギャロの発見とノックスの理論展開は、新しいヒトヘルペスウイルスHHV-6がエイズと慢性疲労症候群の両方に共通する重要な原因のひとつである可能性を示唆するものだ。

 ギャロとルッソは、エイズ患者の半分にアジドチミジンのみを投与し、残りの半分にヘルペス治療薬のアシクロビルを併用する試験を行ったところ、アジドチミジンとアシクロビルを併用投与された患者ではアジドチミジンのみの患者よりも大幅に延命できたと報告している。

 この種の発見は、アンソニー・ファウチのHIVとエイズのパラダイム全体を阻止し、信用を失墜させる恐れがあった。もし、アシクロビルのような特許切れの穏やかな治療薬が、 ファウチ博士の高価な化学療法の毒薬よりも効果的にエイズを治療できるとしたら、どんな結果がもたらされるのだろうか? ノックスはエイズに対するアシクロビルの有効性を発見した。 この発見は命を救う可能性があるにもかかわらず、 ファウチ博士はHHV-6の研究への資金供与を停止した。

微生物マイコプラズマがエイズを引き起こす?

 抗体は、これまで免疫反応の強さを示すシグナルであったが、HIVの場合は、むしろ死が差し迫っているシグナルである、というアンソニー・ファウチの型破りな主張に戸惑う研究者は多かった。
 米軍病理学研究所のエイズ・プログラム担当上級研究員シー・チン・ロー博士もそのひとりだ。

 1986年、ロー博士は、エイズ患者から採取した細胞から、これまで知られていなかった微生物を検出したと発表した。 ロー博士は、この新しい微生物はマイコプラズマと呼ばれる細菌のような生物で、HIVと一緒になってエイズを引き起こすと考えていると語った。

 ファウチ博士は、エイズとその他の感染症においては一流の専門家をテキサス州サンアントニオに派遣し、ロー博士を抹殺し彼の理論の信用を落とすことを期待して対決に臨ませた。ファウチ博士の派遣団は、3日間、ロー博士を容赦なく問い詰めたが、ロー博士が重大な発見をしたという結論に降参してしまった。 

 ロー博士の最初の発見から35年がたっても、NIAIDはマイコプラズマ仮説に関する研究にはまったく資金を下ろしていない。 

 1990年6月のサンフランシスコでの国際エイズ会議で、リュック・モンタニエは「HIVウイルスは無害で、受動的な、良性のウイルスである」と大地を揺るがすような発表をし、さらに、HIVは第二の生物の存在によってのみ危険となることを発見したと述べた。彼は、マイコプラズマと呼ばれる微小な細菌に似た生物について説明した。 彼の研究室は、その新しいマイコプラズマと一緒に培養したとき、HIVが凶悪な破壊者になると証明していた。 モンタニエは、HIVは「平和なウイルス」であり、 「mycoplasma infertans」 と共存したときにのみ致死的な影響を及ぼす、と宣言した。

 その年の4月、モンタニエは 「Research in Virology』 にて、HIVとこの微小な病原体が一緒に働いて、体の細胞を破裂させると報告した。さらに興味をそそられるのだが、彼は試験管の中で、テトラサイクリンがマイコプラズマによる破壊を完全に阻止することを発見した。

 モンタニエの発見は、エイズ治療にとって画期的な意味があった。 エイズは、高価で命にかかわるような化学療法剤ではなく、特許の切れた一般的な抗生物質で効果的に治療し、壊滅させられると示唆したのだ。

 2006年のブレント・レオンによる映画製作のためのインタビューで、トニー・ファウチは「他の要因は必要ありません。 マイコプラズマなどの別のタイプの病原体が感染症を起こすのに必要であると示唆するデータがあるようですが、それらの説は否定されたと考えています」と言った。
 いつものように、ファウチ博士は、アメリカ軍のエイズ研究者のトップやHIVを発見したノーベル賞受賞者の研究を否定するような研究成果を決して引用しなかった。
 34年後、エイズ研究に5000億ドル以上が費やされたにもかかわらず、ファウチ博士は、ローやモンタニエが提示したマイコプラズマの研究にも、ギャロやノックスが展開したHHV-6がエイズ発症に果たす役割の研究にも予算を1ドルも組んでいない。

エイズと恐怖

 合理的な、つまり民主主義が機能している世界では、HIVとエイズの仮説のような火種となる論争は、決着がつくまで戦われるものだ。科学を支配する最高位の者とその人に匹敵する反論者との間でなされる公開討論は科学文献が戦いの場となろう。
 しかし、トニー・ファウチの権威主義的な専門技術者が支配する政治において、医学界を支配する陰謀団はこのような対話を拒否する。異端審問の司祭のように、HIVの高位聖職者は、自分たちが間違っているかもしれないという可能性に頑なに抵抗する。

 キャリー・マリスは彼の著書「マリス博士の奇想天外な人生』 にこう記している。
「我々が現在科学と呼んでいるものはおそらく、1634年に科学と呼ばれていたものと非常によく似ている。 ガリレオは自分の信念を撤回するか、さもなくば破門すると宣告された。 エイズ研究を支配する層の考え方を拒む人々も、また基本的に同じことを言われているのだ」

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