見出し画像

『自分』に正直に生きる

私のデフォルト設定は「自己犠牲」です。良いも悪いもありません。ドラクエで言えば生まれながらにして職業はパラディンでしょう。戦闘での設定を「いのちだいじに」にしないと簡単にメガンテ(自爆呪文)を唱えちゃうタイプだと思っています。スキル振り分けでは「じこぎせい」のスキルポイントがやたらめったら高く、捨て駒に使われがちなタイプな気がします。御伽噺のお姫様のように王子様に守られて迎えに来てもらいたいのは本音ですが、どちらかというとお姫様を守って殉職する騎士なんだか兵士なんだか、いえ、誠に遺憾ですけれども、どうせ守る(守ってしまう)ほうなんでしょう。お城の中で夢見るよりも自分の足で巨大な悪に立ち向かいたいし…。あっ、何の話かって?ドラクエの話…。

₍Ꙭ̂₎ピキー

さて。
生きにくくないか?と問われれば、特殊スキル「じこぎせい」がデフォルトですから生きにくいのだと思います…。ですが、私にとっての当たり前は「じこぎせい」ですので、世の中みんなそうだと思っていました。人の気持ちを推し量るだけでなく、これから相手が感じるであろう気持ちを予想して動くことや相手が喜ぶことをすることは私にとって当然です。自分が持つ能力は、自分のためではなく人のために使うことが本気で当たり前だと思っていたため人に尽くすことが何よりの幸福でした。場が険悪な雰囲気になれば自分の気持ちを無視して潤滑剤になることだってあります。今思うと、場が険悪なムードになっても、場を険悪にした張本人が悪いので私が悪いわけではないのです。

しかし。

雰囲気や心が物質で例えられるとするならば。険悪なムードが墨汁だとしたら私の心は水なのです。だから、水である私の心の中に墨汁がぽたぽたと入り込んできて、瞬く間にフワッと黒いものが広がってしまうのです。これは極端な例えですが、いつもこのような思いをしています。その場の雰囲気と自分の心の間に境界線がないのです。
つまり、「じこぎせい」というのは、「じこぎせい」に見えて境界線がない自分の心を救うためのスキルにすぎないのです。「じこぎせい」のスキルによって場の雰囲気を浄化することで、同化してしまった自分の心を浄化していく、そのようなイメージになります。

そんな中、そんな生き方そのものを問い直さなくてはならない出来事に遭遇してしまったのでした。

去年の9月、7年付き合った彼氏とお別れしました。直接的な理由は、私の態度です。昨年度、新卒ホヤホヤで小学校教員として採用された私ですが、ストレスでどうにもこうにも自分をコントロールできず精神的に不安定になってしまいました。


元彼は適応障害を患っていた人でした。遡って生い立ちをお話をすると、ずっと虐待を受けてきたことに加えて貧困家庭で生まれ育った人です。祖父が大酒飲みでしたから、毎月家計は火の車状態で、高校に通うことも大変な人でした。東日本大震災での被災も大きく関わっているのでしょう。震災からの復興は見た目上は進んでいるかもしれませんが、まだ根強くわだかまりや悲しいものが残っているように感じます。

そんな彼とは高校で出会います。彼は野球部、私は吹奏楽部でした。

私は親に愛され、習い事もたくさんさせてもらった身です。それが私にとって「当たり前」でした。親は子どもにたくさんお金をかけることが世の中の常識だと思っていました。しかし、彼は私と真逆の環境で育ったのです。常人ならグレるであろう、そんな環境で彼は耐え難きを耐え忍びがたきを忍んで努力を続ける人でした。「環境を言い訳にしたくない」と果敢に挑む人でした。

私にとっては衝撃でした。何せ価値観がひっくり返ったのだから。こんな人がいるのか、と驚いたのなんの。そして温室でぬくぬくと育った自分が恥ずかしく思えてきて、彼のために何かできることは無いのか、と純粋に考えたのです。この健気に思える「自分にできること」を考える状況は、何年にもわたって私を苦しめる「じこぎせい」の呪いになるとは思ってもみませんでした。

彼の家には高校3年感通いました。なぜなら他人である私が通えば彼が虐待を受けなくなると思ったからです。暴力の代わりに「おめぇなんて甲子園なんざ行けねぇんだ!!!!」という心理的虐待が増えました。私は彼の部屋のコタツで勉強しながら毎日彼の祖父の罵詈雑言を聞いておりました。彼は淡々と筋トレをしていましたが、慣れたとは言え毎回心にザクザクと剣が突き刺さっていたであろうことは想像に易いことです。
このような日は当たり前のように繰り返されているものですから、彼の精神状態は確実に悪いです。
私はこの状況を変えなくてはならない、と考えます。

この悔しさを忘れてなるものか。今でも覚えています。彼と彼の祖父と罵り合う大きな声を聞きながら、私は唇を噛んで血を出しました。その血を指で拭って、指に滲んだ血を見つめて脳裏に焼き付けたのです。

「私は唇を噛み切るくらい悔しい。絶対に甲子園に行く。」と。

根本的にアレを解決するには彼の家庭だけでなく、その奥にある日本社会だとか政治だとか、そういうものからひっくり返さなくてはならないことだけはわかっていました。しかし何も持たぬ高校生です。根本を変えたいだとか理想論で、机上の空論を振りかざしている暇があったら勉強しろという話なのです。つまり現実的ではない。悔しいことですが、あの時点での最善策は対症療法しかありませんでした。

じゃあ何をしたかというと。
私には「絶対音感」という能力がありました。この能力をふんだんに使って、野球部が「演奏してほしい」と吹部に頼んだ応援歌を耳コピし自分なりに編曲するということをしました。実に20曲以上の編曲を行いました。

努力すればするだけ報われる、という言葉がありますが、それを本気で信じました。ただ作るだけでは納得がいかず、選手の曲の好みや選手の性格などを編曲に織り込み、感性をフル活用して編曲しました。部活して勉強して寝る間も惜しんで編曲をして。はっきり言って精神状態は悪かった。でも、ここで私は振り切ってしまったのです。私がおかしくなればなるほど、『犠牲になればなるほど』きっと思いなるものが曲に込められて、彼を鼓舞させて励まし、癒やすことができる。それが「甲子園」に繋がるんだ、と。正常な常態でないことは理解していました。でも自己犠牲の真骨頂、犠牲になればなるほどその先に相手校をも圧倒する魔力を持つ旋律が紡ぎだされると信じて疑いませんでした。あの曲たちは感性と知識と魂と、そのような見えないものが織り交ぜられた私の分身なのです。冷静に考えれば甲子園に行くのは実力をつけた彼らであって私たちではないのです。でも私は本気で思っていました。「甲子園に行かせるんだ。」とね。

文にすると、異常だな…と引きます。しかし、俯瞰すると改めて「わかるなぁ」という部分があるので私の中には常に狂気が棲みついていることがわかります。

じゃあ試合結果は、というと。
2回戦負けです。しかも逆転負け。別に良いんですけどね。ただひたすら彼が可哀想で不遇でやるせなかったです。あんなに上手でカッコよかったのに。
なお作った応援歌はあまり演奏しませんでした。吹コンと夏大の磁気が被ったから、こちらが応援歌を練習できないってことを伝えたのです。すると野球部内で何の曲を吹くかということで揉めに揉めたらしく、そこでまた数日経ったせいで吹部の練習期間がなくなって演奏する曲が減った、というね。何それwって感じなんです。

私の中には自分を犠牲にした分、心の中に消化しきれぬ「わだかまり」のようなものが残っているのでした。しかし夏は受験の天王山とか言いますので見て見ぬふりをして勉強をしました。彼は大学に行きたかったのですが、貧困家庭だったこととそもそも家の人たちに学がないことで受験することすら許されず(というか学問を軽視している人たちでしたのでバカにされまくって…)大学にいけませんでした。これも私の中の「わだかまり」を大きくさせました。

大学1年の夏。あまり詳しく書くと高校名がバレるかもしれないので詳しく書けないのですが、私の高校が全国的に有名になりました。野球で。

いやまぁね、そりゃあそうなんです。どこのテレビをつけてもその話題ばかりでした。大学でもその話題。学食では某地区予選の決勝を見ている学生ばかりでした。

私の頭の中にはいつも苦しみながらももがいて挑み続ける彼の姿がありました。地味で無骨で不器用だったけど私にとってはヒーローでした。一番報われてほしかった人です。栄冠は彼に輝いて欲しかったんです。

比べても仕方がありません。だけど、メディアはあまりにもうちの高校を持ち上げすぎだ。彼の悲惨さと1つ下の世代の華やかさが対比されて本当に苦しかった。は?彼だって被災しましたけど。親がいるからと言って必ずしも幸せとは限りませんけどね?はいはいすごいすごい、私らが感じていることなんてここでいえば所詮嫉妬で片付けられるんだろう、世間様にゃわかるまい!!!裏アカなんかを作って、こーんなことを酷く愚痴り散らかしてやろうかとも思いましたけど、そんなダサいことはしたくないですし、不毛ですし、醜いことはわかっていましたから我慢しました。だって1つ下の子達、ただただ頑張ってたわけで何も悪いことなんてしていないのだもの。最終的にはご飯も食べられなくなって話題を聞きたくないからって1週間ほど大学にも行けなくなりました。
まさか、「自己犠牲」がもたらした「わだかまり」がここまで大きくなって数年にもわたって心を蝕み続けるとは思ってもいませんでした。

そして、「わだかまり」は彼に「野球をしてほしい」という形に変わりました。でも彼はもう野球をするつもりはなかったのです。私は「野球をしてほしいなぁ〜」というのを何となく匂わせていたのですが、それが鬱陶しかったのでしょう。ここも私と彼との違いです。私はそもそも自分の行為の動機が「人のため」である事が多いのです。それが自分に興味があるのか無いのかは関係なく、その人が喜ぶならする、という性質です。しかし彼はそんな感覚はないですし、ないのが当たり前です。興味がないものやどうでもいいことはしない人のようです。そうは言っても、私自身(わだかまりのせいで)あの結果に満足できていなかったので、実際にプレイしていた彼のほうがなおさら満足できていないだろう、と考えてしまっていたのです。それが無意識のうちに自分のわだかまりを解消しようとしていたことに他なりません。

でも。彼は綺麗サッパリ満足してしまっていて、私だけ勝手に過ぎた彼の問題を背負い込んで苦しんでいただけでした。そもそも彼は本当に私の応援歌を望んでいたのかすらも怪しい。どう思っていたかもわからない。これに気付いた時、私がしてきたことの意味をこの人は理解してくれているのか一気に不安になってしまったのでした。

もしや意味のない犠牲をはらったのだろうか。だとしたら私は何をしてきたのだろう。いつも人にこうやって与えてばかりだけど、私はここから何を学んで何を得たのだろう。私って何がしたかったの?何を彼に求めているの?こんな混乱の中、あれよあれよという間に大学を卒業し社会人になってしまったのでした。

社会人1年目は本当にひどいものでした。精神状態はとにかく不安定でした。初任者担当とも合わないしとにかくワケがわらない。思考の範疇を超える不可思議な事象ばかり起こって、疲弊していました。毎日部屋には寝に帰りろくにご飯も食べずふらふらと学校へ行く。自分の時間なんてものは持たず、いつも子どものことを考える毎日でした。精神状態が悪くなるのは当然です。すべてが敵に見えましたし自分に対して嘲笑的で、何をするにも楽しくないしニヒルな自分でした。
そんな様子でしたから、適応障害を患う彼と会うのもしんどかったです。「今しんどい」と言えば距離を置けたのでしょうけど、言うという選択肢は頭にありませんでした。口を開けば皮肉や意地悪なことばかり言ってしまうし、そんな自分に嫌気がさして彼が帰るたび泣いていました。でも、人間はきっとその時にできる最善の選択をしているのでしょうから、私にとってそれが限界だったのだと思います。

そして根底にはドス黒いわだかまりが残っていたのです。「私はあなたに対してこれだけ自分を犠牲にしたのだから、あなただって少しは私のために犠牲になってよ。」とね。

去年の9月、別れを言い渡されました。もう無理だ。冷めた。良い人間だってのはわかるけどもう無理。

私は突然自分の半身を取られたような気持ちになりました。あり得ない。何で?ひどく取り乱し大喧嘩をしました。ひたすら泣き叫びましたが彼は決めたら堅い人です。びくともしませんでした。
でも、同時に「やっぱりな」と心のどこかで思う気持ちもありました。そうだよね、ごめんね。

言い争いは平行線でした。彼は気付いていたかはわかりませんが根本的に私らは違う人間なのです。やりたい事をやる彼と人が望んでいることをやる私。私がやりたい事をやる彼を応援することで需要と供給が成り立っていたわけですが、そこのバランスが崩れてしまいました。否、私にやりたい事を見つけるというスキルが備わっていなかったため私自身が彼を尊重できなかったのです。今なら、今のように自分を大切にできるようになってきたのなら、もっとうまくできたかもしれない。そんな後悔があります。

自分を変えなきゃ、と吐き気を催しながらもがいたこの数ヶ月間。ようやく自分が本当に求めていることって何かを自分自身に問いただして行動に移せるようになってきました。もちろんデフォルトは「じこぎせい」です。これを変えようとも思いませんし変える必要もないと思います。でも、この「じこぎせい」を使うには人一倍自分を大切にしなくてはなりません。自分の心に正直に生き、自分を救った上で人を救うことが何よりも大切なのでしょう。そして何かれ構わず「じこぎせい」を使うのではなく、使う時と場、そして使いたいと思える人に使うことが一番だと考えます。
何か選択を迫られた時も、やはりデフォルトが「じこぎせい」なので周りの人たちがどうするか、どう考えるかを最優先に考えがちです。しかし、そこで新たな自分が横槍を入れます。「自分はどうしたいの?」と聞いてくれるのです。自己の心の声があまりわからない人ですからうまく聞き取れないことがありますが、今が幸せで楽しいのできっと好きなように生きることができているのでしょう。
「自分」に正直に生きることができれば、自ずと道が拓けてくる、そのように思えます。案外世の中って楽しいことで溢れているのかもしれません。悩みが多くても、負の部分を見ないで「そこから何が得られるか」にフォーカスすれば案外ラクに生きることができるかも、そのように思うことができる毎日です。人の人生ではなく、いかに自分の人生を生きるか、これが一番考えるべきことでしょう。今を精一杯楽しく生きることができればきっと未来も明るいと思っています。死の直前に見る走馬灯で後悔しない生き方をしたいですね。望む未来を想像した時、どうとでもあそこに辿り着ける、と柔軟な発想をすることや、望まない未来がきたとしても「まぁこれも悪くないな」と楽観的に考えて人生を創造していくことも、恐らくは大切なような気がしています。


以上、長い長い私のお話でした。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?