おまつりと長男
3月のある土曜日の午後。
10歳の長男は友人2人と共に出かけていった。
駅前で、その土日にお祭りがあった。
校則では4年生から、校区内であれば子供だけで行ってもいいということになっている。
その日長男はついに「子供だけで行くお祭り」デビューをしたのだ。
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2歳半で長男を初めてお祭りに連れていった。
夏祭り。
毎年とても賑わい、街のあちこちで神輿を担いだ人々が練り歩く。
駅前通りにはずらりと並ぶ屋台。
中心まで行けば、大きな神輿に笛や太鼓の音、そして人、人、人。
その大勢の人々の声。
わっしょい、わっしょい。
大迫力。
この初めてのお祭りは長男にとっては恐怖でしかなかったようだ。
とても怯えた顔で、わたしにしがみつき離れようとしなかった。
大きなお神輿の反対側を「あっち、あっち」と指さす。
両目からはボロボロと涙を流し、当時歩くことが大好きだったのに、抱っこしたまま一度も下りたがらなかった。
盛り上がる人々の歓声が大きくなるのに比例して長男の泣き声も大きくなった。
これが長男のほろ苦いお祭りデビューである。
その後3歳になってからの春。
今度はさくら祭りに行った。
桜並木はゆるやかな坂道になっていた。
まだ咲きはじめで人もまばらだった。
この頃もやはり歩くことが大好きだった長男。
わたしと夫の少し前を、楽しそうにのぼっていく。
すると急に長男が踵を返し、わたしの元へ走ってくる。
とともに、またもや怯えた顔でわーんと泣き出した。
なにごとだ。
すぐに理由は分かった。
前から歩いてきた黒い集団。
革ジャンに革パン、ブーツは歩くたびにカチカチと音がする。
ツーリング仲間なのだろう。
5、6人のライダー集団。
うん、長男よ、気持ちはわからなくもない。
その集団の誰かが面白いことを言ったのだろう、みんなが一斉にわっはっはと笑う。
もれなく長男の泣き声はさらに大きくなった。
集団とすれ違う瞬間にはこの世の終わりくらいに顔を歪め、しがみついた腕は、小さな体のどこにそんな力があるのだと思うほどだった。
のちにこれは「ライダー事件」と名づけられ、我が家では桜の時期になると必ず話題にのぼることとなった。
これが幼少期の長男。
彼はお祭りとすこぶる相性が悪いような気がしていたので、まさかこんな日が来るなんて思いもしなかった。
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さて、今月。
友人と子供だけで出かけたお祭り。
わたしは3時間ほどのことだったがとてもそわそわしていた。
大丈夫かな。
ちゃんと帰ってこられるかな。
ヤンキーにからまれてへんかな。
屋台のにいちゃんに変なもの買わされてへんかな。
杞憂だった。
ただいまーと帰ってきた長男の顔は晴れやかだった。
「おみやげ!」
そう言って手渡されたナイロン袋の中にはギンガムチェックの紙袋が入っていた。
それは我が家ではよくおみやげに買うベビーカステラだった。
最近思うこと。
子供というのは成長とともに、どんどん親のいない時間が増えていくのだ。
わたしの知らない時間。
そして、彼にとってなんでも話せる相手は、もしかしたらもうわたしではないのかもしれない。
親には話せないことも友達には話せたりするし。
そう思った時に、自分でも意外なのだけどあまり寂しさを感じない。
むしろうれしいし頼もしい。
いろんな経験をしながら、大切に思えるものや人と出会ってほしい。
なんでも話せるのが親じゃなくていい。
でもわたしはずっとあなたを応援している。
わたしの知らない時間に、家族をおもって選んでくれたのであろうベビーカステラの袋のチェック柄。
それから手渡してくれた長男の、すこし自信を得たすがすがしい顔。
セットで、いつまでも覚えていたいなあと思う。
さあ、そろそろ今年も「ライダー事件」を思い出す季節がやってくる。
月日の流れのはやさを思い知らされている。
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