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ハナウタな日常

なんのラジオだったか、忘れてしまったなー。
気づいたらハナウタうたってた、みたいな日常って良いよねという話にとても共感した。

機嫌の悪い時にハナウタは出ない。
そうだよなあ。
ゴキゲンのしるし。
つくづく機嫌が良いことの大切さを感じている今日この頃。

たとえば近所のスーパーに行く。

そこには「いつもの音楽」が流れていて、だから帰宅後もその音楽は頭から離れない。

気づいたらハナウタ。
スーパーのテーマソング。

子ども達にはすぐに分かってしまう。

お母さんあそこのスーパー行ってきたんやな、と。


たとえばドライブに行く。

気づけば口ずさんでいる長渕剛、それから玉置浩二。

長渕は『とんぼ』。
ああーしあわせのーとんぼよーどこへ。
理由はもちろん、とんぼがとんでいるのを見たから。

玉置浩二は『田園』。
理由は言うまでもなく、田んぼを見たから。
実に単純な仕組みなのである。

でもここで機嫌が悪いとそうもいかない。

ずーっとその原因となることが頭をぐるぐるしている。
生きているーんだ、それでいいーんだ(『田園』より)とはならない。

だからハナウタは、今現在それほど悩んでいることはない、というバロメーターにもなる。

職場にすぐ機嫌が悪くなる人がいる。
あれは良くない。
周りを巻き込む。
機嫌の悪い人を前にして自分はヘラヘラと脳天気にしているわけにはいかない、ような気がしてくるのだ。

関係ない。
わたしは別に機嫌悪くないし。
と割り切れるならいいが、やはりわたしは空気を感じとってしまい、結局なにを話せばいいのか分からず黙りこんでしまう。

不機嫌によって、周りに気を使わせたくない。
でも、理不尽なことには時に不機嫌を堂々と表現するのも自分を守るためには大切な場合もあるよなあ、とも思う。

他人にも自分にも期待しすぎないこと。
誰かに腹を立てるならまず自分はどうなんだろうかと考える。
ある程度はいいんじゃない。
わたしもそんなにデキる人間じゃないし、と。

でもさー、人によってどうしても許せないことってある。
そこには自分の才能が隠れているらしい。
自分が当たり前にできていることができない人を見ると信じられないし許せない。
当たり前にできることは自分の才能らしいです。
余談だけど。

それはさておき、機嫌の良い人と悪い人では毎日の楽しさレベルが雲泥の差である。
わざわざたのしくない方にはいきたくない。

だから、数年前からよく聞く「自分で自分の機嫌をとる」を実行したい。
自分がハナウタうたってることにも気づかず、るんるんと過ごせる時間を少しでも多くしたい。

夕飯の準備を始めるとともに缶ビールを開ける。
気づけば森高千里を口づさんでいる。
「ビールを片手に持って、マカロニを茹でてみよー」(『素敵な誕生日』より)なんてうたいながら味噌汁の大根を切り始める。

選曲の仕組みは実に明快。
ハナウタはゴキゲンの印。

リビングからお母さんたのしそうやなーという子ども達の声が聞こえた。









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