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聖子は松田聖子のまま世界へ飛んだ 「松田聖子と中森明菜」中川右介

松田聖子に関する本は、過去に何冊か出版されている。ひと昔前は、元マネージャーや付き人、自称恋人という人々による暴露本的なものが多かったのではないか。松田聖子自身がそういった暴露本に対して、いちいち弁明もしないし、批判もしない。どこか余裕さえ感じるので、結局それらの全ては、やっぱ松田聖子ってすげーな、という聖子の偉大さの前では、小粒な状況であったと思う。それと当時に、社会学的見地での本も何冊か出ている。私が中学の頃に出た本が、小倉千加子さんによる「松田聖子論」だ。2012年に増強版として再販されている。この本はまさに80年代を駆け抜け、結婚・出産しても世界を狙った松田聖子と、ちょうど80年に結婚して引退した山口百恵との生き方を、女性の社会進出とは、ということをテーマに書いていた。大学の教授が書くので、非常に面白い視点であり、それぞれのヒット曲を作った作家たちの目論みも含めて書いている。当時の松田聖子は、出産しても海外へ仕事へ行く事で、大バッシングを受けていた最中だった。今考えると、不思議だが、その当時は週刊誌の部数も全盛期であり、祭り上げたスターをブチ落とす事が売上部数を増やした。出産後も歌い続け、ましてや無謀だと思われる世界進出に本気で単身で挑む松田聖子は、格好のネタだった。当時の編集者は、ほとんど男だったことも関係しているかもしれない。当時の男たちは、言葉では女性の社会進出を応援しながら、本格的な大きな仕事をするなんてことは、DNAレベルでは受け付けられなかったのではないかと思う。この本を読んで、当時の自分が感じたのは、どれだけバッシングされようが、松田聖子は、パンツルックで男と張り合って仕事をするのではなく、松田聖子のまま、輝くドレスで社会と戦っている気がする。そういう事だった。

そして、今日のこの一冊。「松田聖子と中森明菜」。これもまた、80年代の歌謡界を席巻した二人に焦点を絞った作品だ。小倉さんとは、また別の視点で書かれた本である。作者は、中川右介氏。中川氏リストを見ると、この本だけではなく、興味を惹かれるタイトルが多い。同じ年に出版された「カラヤンとフルトヴェングラー」なんて、聞いただけでわくわくする。

アイドルを自覚して演じ、虚構の世界を謳歌する松田聖子。生身の人間として、唯一無二のアーティストとしてすべてをさらす中森明菜。相反する思想と戦略をもった二人の歌姫は、八〇年代消費社会で圧倒的な支持を得た。商業主義をシビアに貫くレコード会社や芸能プロ、辛気臭い日本歌謡界の転覆を謀る作詞家や作曲家……背後で蠢く野望と欲望をかいくぐり、二人はいかに生き延びたのか? 歌番組の全盛時代を駆け抜けたアイドル歌手の、闘争と革命のドラマ。

もちろん、中森明菜との比較を書いてはいるけれども、どちらかというと、90年代初頭にバッシングを受けていたはずの松田聖子が、2007年に出版されたこの本では、自分の欲しいものを全て手に入れた自由の象徴として書かれているような気がする。80年代の華やかな芸能界で、周りの自分に対する演出やプロデュースを虎視眈々と学び、そして全てを自分の血や肉として、どの世界にも「松田聖子」として進出していく。ひとつの枠に捕らわれず、それぞれの場所で、新たな松田聖子として浸食していく。そういったビジネス本、自己啓発本に見える。そのアンチテーゼとしての中森明菜は、喜怒哀楽を持つ一人の人間として書かれている。出来る事なら、この本の続きを見続けたかった。中森明菜の場合、現在はほぼ休業してしまっており、その先が分からない。彼女が望む何か幸せなゴールがあったのか、それとも永遠に歌い続ける歌姫でありたかったのか。今となっては、見えないのが、とても残念だ。もちろん、この本についても、松田聖子は何も語っていない。読んだのか、存在すら知らないのかも分からない。40周年の松田聖子は、今年もただ日本武道館で、横浜アリーナで、さいたまスーパーアリーナで、大阪城ホールで歌い続ける。

結婚、出産、今となっては信じられないバッシングを受けながら、全て松田聖子で通してきた。彼女は、これから確実に「還暦」の在り方を変えるに違いない。彼女がこれから進むのは、「老後」という言葉が失われた世界なんだと思う。

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