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立憲が3勝して朝から大はしゃぎの朝日

アカが書き、ヤクザが売って、バカが読む 朝日新聞を表現する標語

戦前戦後、情弱な日本国民を洗脳・扇動してきた朝日新聞
コミンテルンのスパイ尾崎・ゾルゲなどと協力して、日本を太平洋戦争に引きずり込んだ朝日新聞
朝日新聞はアカなので、アカに染まりきらない日本を貶めることに躍起である。

息を吐くように、嘘をつく 朝鮮人の姿を現す西洋人の報告書だ。

朝日が推す政治家は、1人として日本の役に立つものはいなかった。

■米騒動
1918年のこと、富山県の魚津で、米を船に載せて運び出そうとするところを目撃した住民が、それを阻止し、さらに安売りを求めて米屋におしかけるという事件が起きました。
これが新聞で紹介されると、同じような暴動が全国各地に広まっていきました。
情弱な読者を新聞が扇動した「米騒動」です。
朝日新聞の扇動により、神戸の鈴木商店に飛び火します。

■朝日の捏造記事で焼き討ち事件が起こる
昭和43(1968)年6月17日に創立50周年を迎えた帝人が「帝人の歩み」と題する社史を制作。

全11巻から成り、それぞれに副題がつけられている。
そのうちの第1巻の副題は「一粒の麦」
第1章 金子直吉と人造絹糸 / 第2章 米沢人造絹糸製造所 /  第3章 帝国人造絹糸株式会社 /  第4章 広島工場の成功

第3章 帝国人造絹糸株式会社の第(3)項では「米騒動と鈴木商店焼打」としてかつての親会社鈴木商店が本店焼き打ちの被害を受けた経緯を詳細に記録している。

当時、鈴木商店はそのころ、政府の命によって外米・特に朝鮮米を買いつけていた。
大正7年の米価騰貴に当たっては、26万袋の外米を阪神間で廉売し、また兵庫県知事清野長太郎が廉売資金を募集した時にも、10万円を寄付しているほどで、買占めによる米価の高騰など一切策していない。

政府は米の安売りや警察や軍隊の派遣などを行いましたが、騒動はおよそ2か月間続きました。

「鈴木商店が米を買いつけている」というだけで、既に民衆の憤激を煽るのに充分であった。
また、大阪朝日新聞の「寺内内閣攻撃」の余波が、総合商社だった鈴木商店に及んだ。

群衆が鈴木商店本店、神戸新聞社を焼き打ちし、その後、鈴木商店社員寮、日本樟脳事務所、神戸製鋼所の米蔵、兵神館(家賃集金業)などを次々に焼き打ちしました。

鈴木商店は日本のGNPの1割以上を稼ぎ出していた日本の役に立つ企業だったため、アカの朝日は潰したかったわけです。

1918年(大正7年)7月23日から始まった米騒動の際に、大阪朝日新聞は「鈴木商店が米の買い占めを行っている悪徳業者である」という事実無根の捏造報道を行い、米騒動を煽ったとされています。
政争も絡んだ朝日新聞による悪意のある扇動であるとも言われています。

鈴木商店→日商→日商岩井→双日 総合商社は名前を変えながら今に生きる

鈴木商店が設立したりして系譜に連なる企業としては今も残る企業には、帝人(繊維)、神戸製鋼(製鉄)、IHI(旧 石川島播磨、重工業)、ダイセル(化学)、太平洋セメント(セメント)、サッポロビールとアサヒビール(酒造)、J-オイルミルズ(旧 豊年製油、食用油)、日本製粉(製粉)

帝人も戦前に新聞社・検察に叩かれている。
昭和の疑獄事件、帝人や銀行は無実の罪を問われたが、調べが進むと無実であることが判明する。
朝日新聞などは、家族まで攻撃して、長らく買い物にも出られない軟禁状態にしたという。
この疑獄事件は、今週のNHK朝ドラ『虎の翼』に別名で描写される。

陸軍出身の寺内正毅内閣は総辞職し、朝日新聞は誤報記事によって寺内内閣を潰す目的を達成した。
これにより朝日新聞はあじをしめ、誤報や捏造を使って政権交代の種を蒔く。情弱の読者を扇動し続けた。

加害者である朝日新聞は被害者ヅラをしています 
高島靖賢のWeb記事には「朝日新聞はこれまで、米騒動に関する各地の動きを報じてきました。報道禁止の経緯を、読者の皆さまに伝える必要があると考えます。水野錬太郎内相らが示した禁止の理由を以下に掲載します。」とまるで、正義の味方が検閲で事実を報じられなくなったかのような誤報をしている。

朝日新聞は焼き討ち事件を扇動した加害者です。

■アカいスパイに先導されて開戦
朝日新聞社記者で共産主義者だった尾崎秀実(おざき ほつみ)は、ソ連のスパイ・扇動者として活動し、
日中戦争(支那事変)から太平洋戦争(大東亜戦争)開戦直前まで政治の最上層部・中枢と接触して国政に影響を与えました。

記事についてはスパイとして疑われていなかったが、日本の国家機密をソ連に渡していたことが発覚する。
1941年に駐日ドイツ大使館顧問のゾルゲ(Richard Sorge)らとともに日本の政治・軍事に関する機密をソ連に通報した疑いで逮捕され、1944年に処刑されました。

朝日新聞はコミンテルンのスパイとともに日本を支那事変→太平洋戦争へと誘導しました。
中国側でも中国共産党を動かし、中国に進出している欧米諸国よりも、日本だけを攻撃するように仕向けた。
日本と戦ったのは蒋介石の国民党軍でしたが、中国共産党はコミンテルンを通じて、世界に抗日(反日)広報してプロパガンダ作戦を成功させています。

■原発作業員を冒涜する朝日新聞
2014年5月20日、の記事
2011年の福島原発事故について、当時福島第一原発の所長だった吉田昌郎氏による事故調査報告書には、「震災四日後には所長命令を無視し、福島第一所員は九割が逃げ出した」という虚偽内容で報道。
命令無視によって職員が退避したことを東電が隠蔽しているとし、さらに吉田氏が2013年に死去していることから、政府や東電は事実を隠していると記事を書いた。

朝日新聞は誤報を指摘されて逆ギレ
門田隆昌氏が、「吉田調書」にそんな記述はないと批判し誤報を指摘する
朝日新聞は確かな取材に基づいていると反論し、逆に訂正と謝罪を門田氏に要求する。

8月に産経新聞が「吉田調書」を入手し、朝日の報道にあったような記述はなく、誤報であることが報じられる。

朝日新聞(社当時の)社長が会見を開き、誤報を認めて訂正と謝罪を行った。

■捏造記事で30年もの間、日本人を貶めた朝日新聞
1991年に韓国人元慰安婦の証言を書いた朝日新聞記事を「捏造」と記述され名誉を傷つけられたとして、元朝日新聞記者である植村隆氏が賠償などを求めた裁判で、最高裁第一小法廷は植村氏の上告を退け、名誉毀損の成立を否定した一、二審判決が確定しています。

1982年の「吉田清治氏の慰安婦に関する証言の誤報(慰安婦問題捏造)」
吉田清治という(自称)元軍人が、戦時中、軍の命令で、済州島で朝鮮人女性を強制連行し、慰安婦にしたという証言を行ったとの報道をしました。

その後、吉田は『私の戦争犯罪ー朝鮮人強制連行』という書籍を出版、朝日新聞は、そこに書かれていることがまるで事実かのように報道しました。

1991年には、慰安婦と、戦時中に勤労奉仕のために動員された女子挺身隊とを混同した明らかな誤報があったにもかかわらず、それをそのまま放置しました。
吉田証言の矛盾に気付かない朝日記者たちの無能ぶり露呈する。

朝日新聞による慰安婦強制連行記事は捏造ではないかとの疑惑が強まった後も長らく訂正されることがなく、
池上彰氏は朝日新聞連載記事で安倍晋三首相を名指しで批判しています。

1982年9月2日付大阪本社朝刊に掲載した故・吉田清治氏の慰安婦に関する証言の誤報取り消しが遅きに失したこと、吉田調書報道の取り消し、
池上彰氏の連載掲載見合わせをおわびし、3つの検証委員会を立ち上げています。

調査で、吉田の証言は全くの事実無根であり、フィクションであったことが明らかとなり、吉田自身もそれを認めました。
吉田清治は軍人ではなく、日本共産党員でした。

その後も朝日新聞は過去の報道を訂正もしなければ、謝罪もしないまま報道を続けました。

1997年の吉田清治氏の「著述を裏付ける証言は出ておらず、真偽は確認できない」との記事の掲載

30年以上にわたって虚偽報道が行われ続け、日本人の名誉を傷つけ、事実上の賠償金を韓国に支払わせることに成功し、
植村隆氏など朝日新聞記者たちの「目的を達成」してから捏造報道だった事を認めたわけです。

2001年のNHKの慰安婦に関する報道番組に対し、当時の安倍晋三内閣官房副長官と中川昭一経産大臣がNHKに圧力をかけていたと、朝日新聞が2005年に誤報する。
NHKに圧力がかけられた事実はなく、NHK側の内部調査でも否定されてしまう。
また、第三者委員会も「朝日新聞の取材が不十分だった」と断定した。
朝日新聞は誤報について、訂正も謝罪もしていない。

『アメリカ合衆国下院一二一号決議』をはじめとする、いわゆる『従軍慰安婦』謝罪要求決議および非難決議が可決されました。情報源は、朝日新聞の捏造記事と日弁連の国連への訴状。日弁連も国家賠償を欲しさに、吉田清治の捏造を元に日本政府を批判し続けました。
嘘だったことが分かった現在も日弁連は謝罪も訂正もしていません。
疑獄事件や冤罪事件と戦ってきた弁護士としてどうなんでしょうね?金でどうとでも転ぶんですね。

■自作自演で日本人を貶める朝日新聞
1989年に沖縄県西表島で、カメラマンが自作自演で珊瑚に落書きをしてその写真をもとに新聞記事を捏造した虚報事件を起こしています。
「サンゴ汚したK・Yってだれだ」などと、日本人のモラルの低さを強調した記事を書いきました。

事が大きくなったため朝日新聞は記者会見を開くが、カメラマンの「(元々あった傷を)ストロボでただこすっただけ」という主張(虚言)を擁護。

■日本軍を貶めたくて仕方がない朝日新聞
1984年10月31日の朝刊一面で大々的に朝日新聞が報じた「旧日本軍毒ガス作戦」
原野に巨大な煙がもくもくと立ち上る写真を掲載して記事を捏造したが、
のちの産経新聞の調べで、毒ガスなどではなく、ただの煙幕であることが判明してしまう。

その後、訂正記事では、肝心の「毒ガスではなかった」という部分は曖昧にして、作戦の場所が違っていたなどと、あたかも毒ガス作戦が事実であるかのように報じた。
支那事変でナチス・ドイツから大量輸入した毒ガスを多用したのは中華民国軍でした。
日本は敗戦国となったため、史実を改ざんされて、その後始末をさせられています。

■北朝鮮帰国事業
在日朝鮮人らの北朝鮮への帰国を支援する「北朝鮮帰国事業」というものがあり、戦後、極左に傾いていたマスコミはほぼすべてが「北朝鮮は地上の楽園である」との認識(願望)からこの事業を支持、協賛してもいました。

1959年12月に第一便が新潟から北朝鮮へ出航。

「脱北者」の証言が出て、北朝鮮は「楽園」などではなく、むしろ「地獄」であったことが語られる。

マスコミ各社は手のひらを返し、北朝鮮帰国事業への支持もやめました。
ただ一社、朝日新聞は、そのような事実が判明してもなお北朝鮮の内実を報道しませんでした。

北朝鮮と同じ極左の新聞であるため「社会主義国は楽園であってほしい」という願望から、事実を受け入れようとしなかった。

渡辺氏
いわゆる「従軍慰安婦」や「強制連行」といった歴史の捏造および歪曲報道など、朝日新聞は何十年にもわたり、根拠のない記事で、日本人が外国人の前に顔も上げられないような恥をかかせた。彼らは「日本人の恥」というものを、いったいどう考えるのか。上智大学名誉教授・渡部昇一氏


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