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日本共産党

ソ連や中国に操られた阿呆共

中核自衛隊
1951年(昭和26年)に、ソ連共産党のスターリン・中国共産党の劉少奇らの日本国内の暴力革命の指示を受けて、日本共産党第5回全国協議会における「51年綱領」によって明記された暴力による革命を実現するための「日本共産党軍事組織」の名称。
軍事組織はY組織またはYと称された。

日本共産党はソ連・コミンテルンの下部組織、日本国内での工作部隊でした。
ソ連崩壊後は、中国共産党の支援を受けているようです。
資金源は、全国の自治体や労組に売っている機関紙ということになっているが、中共からの活動資金支援があるのは明白。

1951年10月のガリ版『新しいビタミン療法』では第一次世界大戦でドイツ軍が化学兵器として使用した毒ガスの臭化キシロールの製法が紹介され、また同パンフレット「栄養分析表」では時限爆弾、ラムネ弾、火炎瓶、タイヤパンク器、速燃紙の製造法、入手方法などが書かれた。また同時期の「理化学辞典」と題された書物(発行日不明)では、催涙弾、火炎弾、黒色火薬、塩素酸加里爆薬、ピクリンサン爆薬、雷コウ(雷酸水銀)などの製造法が紹介された。

『球根栽培法』
1951年11月から1952年2月にかけて発行された武装闘争本。
戦後の武装闘争時代の日本共産党によって地下出版された
火炎瓶闘争など日本共産党の武装方針について記されている。

山村工作隊(さんそんこうさくたい)
1950年代前半、ソ連共産党のスターリンと中国共産党の劉少奇の指導のもとサンフランシスコ平和条約発効に前後して組織された、日本国内の武装闘争を志向した「日本共産党のテロ組織」である。
日本の農村で「暴力革命」への支持は広がらず、逆に日本共産党候補者全員落選などの反発を招いた。

『腹腹時計』 (はらはらとけい)とは、1974年(昭和49年)3月発行の爆弾の製造法やゲリラ戦法などを記した教程本で、三菱重工爆破事件などの連続企業爆破事件を起こした日本の極左グループである東アジア反日武装戦線の狼班が地下出版したものである。

「腹腹」の由来は、爆弾でハラハラドキドキする意味と犯人グループに在日がいたことから、朝鮮語の文法の「하라체(ハラ体)」の両方の意味を含んでいる。

破壊活動防止法(破防法)の調査対象団体です。
■日本共産党
■全日本学生自治会総連合(全学連)
■共産主義青年同盟
■共産主義者同盟
■在日本朝鮮人総聯合会(朝鮮総連)
など。。。

三菱重工爆破事件

1974年(昭和49年)8月30日に東京都千代田区丸の内で発生した、
東アジア反日武装戦線「狼」による無差別爆弾テロ事件

防衛産業を手掛けながら世界進出をしている三菱重工を「経済的にアジアを侵略している」「三菱をボスとする日帝の侵略企業・植民者に対する攻撃」として爆破テロのターゲットとするに至った。

午後0時45分に時限爆弾が炸裂した。
この爆発の衝撃で1階部分が破壊され玄関ロビーは大破、建物内にいた社員が殺傷されたほか、表通りにも破片が降り注ぎ多数の通行人が巻き込まれ死傷した。三菱重工業東京本社ビルの窓は9階まで全て割れ、道を隔てて反対側にある三菱電機ビルや、丸ビルなど周囲のビルも窓ガラスが割れた。
この爆風と飛び散ったガラス片等により、三菱重工とは無関係な通行人を含む死者8人、重軽傷者376人を数える戦後日本最悪の爆弾テロ事件となった。

37歳の三菱信託銀行課長 - 即死
28歳の船舶エンジニア - 即死
49歳の鉱業会社社員 - 即死
50歳の三菱重工社員 - 即死
38歳のメーカー所長代理 - 静岡県から商談のため訪問し、地下食堂から出たところ巻き込まれ即死
23歳の会計士事務所事務員 - 脳損傷と全身打撲で病院収容後死亡
41歳のデザイン会社役員 - 脱血ショックで病院収容後に死亡
51歳の三菱重工主任 - 病院収容後翌日死亡

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