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江戸時代の移動速度比較

江戸時代の郵便屋さん
「飛脚」は東海道を江戸から京都まで約492kmを3~4日で走ったと言われています。
最速飛脚の走行スピードは平均時速12kmで、リレー形式で文を運んだようです。

江戸時代の「早駕籠」(タクシー)
江戸城から赤穂城まで155里あります。
現在の距離で620kmを早駕籠で4日半で到達、江戸での事件を赤穂の仲間たちに伝えたという。運ばれる武士も命がけです。
この速さは村単位で足の早い担ぎ手を手配し交代を繰り返したのかもしれませんね。

矢野圭吾(赤穂市教育委員会)の調査によると
殿中刃傷事件の日、浅野内匠頭長矩が切腹をした日
 元禄14年3月14日=1701年4月21日(木曜日)
刃傷事件を知らせる最初の早駕籠が赤穂へ到着した日
 元禄14年3月19日=1701年4月26日(火曜日)わずか4日半で到達
赤穂城明け渡しの日
 元禄14年4月19日=1701年5月26日(木曜日)
吉良邸へ討入りをした日、吉良上野介義央の首を取った日
 元禄15年12月14日寅の上刻=1703年1月30日(火曜日)
 現在でいう時間帯=1703年1月31日(水曜日)午前3時半ころ討入り
※元禄15年8月の翌月に閏8月がありましたので、刃傷事件から1年10ヶ月で討入りということになります。
義士たちが四大名家へ預けられた日、大石内蔵助らが細川邸へ到着した日
 元禄15年12月15日丑の刻=1703年1月31日(水曜日)
 現在でいう時間帯=1703年2月1日(木曜日)午前2時ころ
義士が切腹をした日
 元禄16年2月4日=1703年3月20日(火曜日)

京都から伊勢参り(平均時速4kmで歩き続ければ30時間で着く)

伊勢参り 1日に歩ける距離は、約8里から10里強(約32~40km)
江戸時代の旅人は、ゆっくりの旅程で6、7里、急ぎ旅や健脚の場合、12里から13里くらいは歩いているという記録もあります。
江戸時代の歩行速度を時速4kmとすると、1日に歩く時間は単純計算で約8~10時間、個人差ありです。

現代日本人の平均的な歩行速度は時速3km、ウォーキングで時速4km
数日間にわたり長距離を歩くのは行者、陸上自衛隊員、登山家、トレラン、鉄道保線、水道局員くらいでしょうか。

早馬
早馬」は、短距離では時速40kmで走れますが、フル装備の鎧武者を背負うと時速30km程度まで落ちた。戦場まではゆっくり歩いたようです。
長距離の場合は1頭で目的地まで走り切るのではなく、宿場から宿場を移動していました。
生き物なので疲労回復や食事も必要になりますね。急ぎの時は馬替もしていたようです。武士もお尻が心配ですね
早馬ではなく、乗馬クラブの早足「駈歩」ならば時速20km強くらいで、早馬より長距離移動が出来たようです。

次の宿場町は?
幕末の天保改革時に調査された「東海道宿村大概帳」によると、
大きな宿場間の距離は平均約30~40kmでだったようです。
徒歩で1日に歩ける8里~10里という事ですね。

もし舗装道路と二輪車が有れば
総距離は2,000km、総獲得標高は20,000mでバイクと自転車の比較
九州を1週するのは約1,500kmくらいでしょうか。
東京から大阪まで道路を使うと約500km程度になります。
羽田から伊丹空港まで飛行機で400km程度(1時間ちょい)ですね。

自転車ツーリング:1ヶ月前後 ケツが崩壊しそうですね
走行距離
・クロスバイクタイプ(e-BIKE):1日100km(ブリジストンは200km対応)
・ロードバイク:1日100km以上
・MTB、ミニベロ(電動アシスト付):1日50km+くらい

最高速度
普通の自転車なら政令で定める最高速度がありませんが電動は制限あり。
特定小型原付は車道で時速20km、歩道で時速6kmの制限あり。

バイクツーリング:10日程度必要
・一般道を使用する場合:1日200km
・高速道路を使用する場合:1日400km


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