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知的好奇心を満たせ!!

金曜日はお楽しみ哲学の時間だ🤩
毎週1時間夜に私が勝手に話をする時間なのでーす!

一応題材はあるんだけど、今日もその本は2行しか読まなかった(笑)

でも、その2行の中に込められた意味を1時間 12分かけて、情熱に任せて、
しゃべり倒すのだ〜〜😆

私たちはじわじわじわじわと範囲を狭められているような気がしませんか?
いろんなことがじわじわじわじわと小さく小さくさせられている。
そして、その小さな中で細分化されてバラバラにされている。

いつの間にやら、自分以外の事は全部わからないし、
関わることもできないようにされてしまっていて、
大事なことを誰かに相談したくても、
誰にも相談できなくなってしまっていないかな?

今とても円安のほうに振り切っているような気がするね?
でも、私が銀行員だった時代は、1ドルは360円だったのだ。
これは固定で決まっていて、試験にも出た位長い間360円だった。

今154円程度で何をびびっているのだ?

360円時代に戻ってみれば簡単な話だ。
その時の日本は活気があったし、みんなめちゃくちゃ頑張っていたよ。
必死だった。なんでも必死。
なりふり構わず必死。そして、自分のことは自分でやってた。
そこから40年ぐらい経ったので、
今の40代の人にはわからないことになってしまっているけど、
60代の私たちは経験済みだよ!覚えているでしょう?


バブルの時代、私たちは一生懸命働いて一生懸命遊んだ。
本当にバブル🫧と言う位一生懸命、一生懸命、一生懸命、一生懸命だった。
今で言うなら、パワハラもセクハラも大ありありだった。
嫌な人もいたかもしれないけど、それは結構良い風潮でもあったような気がするよ?
今そんなに一生懸命やると馬鹿らしいみたいな風潮があるけど
それってまんまと乗せられてないか?

よく考えてみてね。なんでこんな風になってるんだろう?

私たちの世界は、私たちが作ってるんじゃなくて
テレビの世界&情報(仮想空間)に汚染されている。 

大勢の高齢者は、みんな揃いも揃ってテレビの前に座っている。
高齢者にとって、テレビは宝箱なのだ⭐️

その人口が多いんだから、テレビを信じている人たちが多いと言うことになるし、若者は人数が少なくて、テレビは見ていない。
けれど、若者は 優しくて、みんな素直で親の言うことを聞くとか、
おじいちゃんおばあちゃんの言うことを聞くとか言うふうになってるんだから、
おじいちゃんやおばあちゃんたちの言うテレビの情報をもとにしたネタを言われると、考えもしないでそうなんだぁ〜と同調する


優しいと言えば優しい素直と言えば素直なんだけど、何も考えていないと言えば
何も考えてないんだからはっきり言えば馬鹿だよね(わはは〜〜w)

何も考えないで、小さな画面ばっかり見つめている人なんて
その小さい画面に何か映しとけばそれ信じるわけでしょ?

これもその小さい画面で読んでくれてる?ありがと❤️
(これはいいのよ❤️)

今日、私が読んだ文章はこれ。

一般的に言って、ある大きなテーマが抜き差しならぬ形で、
時代の一般的意識に登場してくるには、
それだけの長い準備過程があったはずです。
原因として熟してくる長いプロセスを振り返らなければならないと思うのです。

この文章を読んで、1時間12分話しました。
この文章を読んでどう思いますか?

この40年位の間に起こったことを考えてみてください。
「不適切にもほどがある」と言うドラマがありましたよね。
あれは40年前にワープする話でした。
そして今はまた始まったドラマも、「40年位前の話」が舞台になっています。
これって何かありますよね???

これを見て何か思いますよね?

40年前は当たり前だったことが今はなくなっていると言うことが
本当に良くなったということなのかなと
言うことを考えて欲しいということでしょうね。
では、今30歳の人はどうしたらいいんでしょうか?
知らない世界ですものね。

でも、そんな人たちにもわかりやすいように
ドラマは作られているんだと思います。
このドラマを配信してくれている人たちの気持ちを考えると、
見たことのない世界を創造させるには、
ドラマの中で作るしかないと言うことなんでしょう。

映画だと見に行く人は少ないよね。
でもドラマだと見る人はそれよりも多いかもしれない。
もうちょっと身近に簡単に見てくれるかもしれない。
もしかして、流行ったらその世界に憧れてくれるかもしれない。

日本人は 1ドル360円の時代でも幸せでした。
なぜ幸せだったかを考えてみたらいいと思います。

Made in Japanは信頼のおける高級ブランドだったはずです。
世界では今もそうだと思いますが、
作っている日本人たちがそのことを忘れてしまっているのかもしれませんね。

私が 金曜日に楽しみながら読んでいる哲学の本は、1976年に書かれた本です。
しかし、この本の中に書かれている日本語は、少し解説しないと、現在ではわかりにくくなってしまっていて、日本語の良さというのが日本から奪われてしまっているのはよくわかります。

昔は大人と子供が話している言葉は違いました。
今は大人と子供が同じ言葉を話していますよね。
これは残念ながら退化したとしか言いようがありません。
このことに気づいている人は少しはいるんじゃないかな?
大河ドラマの中にはまだ多少残っているような気がするけれど。。。。。

🌸あしたに道を聞かば、夕べに死すとも可なり
こんな言葉も死語になったのかな。

🌸明日ありと思ふ心のあだ桜夜半に嵐の吹かぬものかは(親鸞)


今すぐ!今すぐ!今すぐ!このことに気がついて、
少しでもみんなで哲学ができたらいいなぁと思います。

難しい哲学は特にありません。
身近なところで身近なことを考える。
日本語はとても素敵な言葉なので、1文字で意味があります。
大切な日本語を守りながら、
私たちは私たちの日本人の生き方ができればいいなと思います。

毎週金曜日は「 お楽しみ哲学の日」






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